難波八坂神社から約10分くらいかな?えー
大国主神社に照れ

敷津松之宮  (大国主神社)  
【しきつまつのみや】
敷津松之宮(しきつまつのみや)の由緒はとても古く、神功皇后が三韓征伐より帰朝の折、敷津の浜に荒波が打ち寄せるのを目にして、渚に松を3本植えたあと、ここより潮が満ちないよう素盞嗚尊に航海の安全を祈願されたことをその端緒としています。

社名の敷津松之宮とはこの祈願した場所のことを指すようですが、それから時を経た延享元年(1744年)には降りたご神託によって敷津松之宮の中に出雲大社が勧請され、程なく摂社の大国主神社が境内に建てられました。

以後は参れば商売繁盛のご利益のある社として「東は今宮の戎さん、西は木津の大黒さん」として多くの人に親しまれています


敷津松之宮の鳥居おねがい


めちゃカッコいい龍やぁ〰️ラブ
手にはドラゴンボールかぁ〰️チュー
でも……
少し痛みが……ガーン


拝殿
主祭神
素盞嗚尊(スサノオ)
三貴子の一柱で、出雲の祖神

その他に
大國主命(オオクニヌシ)
国造りの神で、出雲大社の主祭神として有名チュー
『記紀』によって出自は異なるが、概ねスサノオの子孫のオオナムチとされてるんやって照れ

七福神の大黒としても知られ、縁結びに御利益があるとされてるんやぁ〰️ラブ

事代主命(コトシロヌシ)
大国主の御子神
七福神の恵比寿としても知られ、商売繁盛に御利益があるとされてますぅチュー

奇稻田姫命(クシナダヒメ)
スサノオの后

少彦名命(スクナヒコナ)
大国主と共に国造りを行ったとされる神

八柱御子神(ハヤシラノミコ)
スサノオの8人の御子の総称(概ね以下の神が挙げられるが、正確な神名は不詳)
 → 八島篠見神(ヤシマジヌミ)
 → 五十猛神(イタケル)
 → 大屋比売神(オオヤツヒメ)
 → 抓津比売神(ツマツヒメ)
 → 大年神(オオトシガミ)
 → 宇迦之御魂神(ウカノミタマ)
 → 大屋毘古神(オオヤビコ)
 → 須勢理毘売命(スセリビメ)


狛犬
なんか邪気を纏ってそうな……キョロキョロ


本殿の入り口横には、七福神の「木津の大国さん」が鎮座していましたぁラブ


東の鳥居は大国主神社の鳥居だぁ〰️照れ


敷津松之宮の摂社・大国主神社
(おおくにぬしじんじゃ)
祭神に日出大国神(大国さん)を祀っており、福徳開運・商売繁盛・家内安全・良縁結びなどに御利益があるとされていますぅチュー

由緒については、江戸中期の延享元年(1744年)に神託に受けて出雲大社を勧請し、社殿が建立されたことに始まるとされています。これ以来、今宮戎神社と並んで大阪市街からの参拝が多い神社となったそうですよびっくり

なお、当社は大阪市内の七ヶ所にある大阪七福神めぐりの一社(大黒天)にも数えられてるんやってぇ照れ


狛犬じゃ…ないえー


大国主神社の殿前には狛犬ではなく「狛鼠」が鎮座してるぅ〰️びっくり

よく見ると一方は米俵、もう一方が小槌を持っていますが、それらは大黒様の所有物とされ、
素戔嗚尊の提示した三難遂行の最中、火に取り囲まれた大黒様を地下の洞穴に誘った縁から大黒様の神使として仕える身になったのだそうですプンプン

当初はなぜ鼠?と腑に落ちませんでしたが、調べてみることで意外な理由がはっきりするものやなぁびっくり


めちゃデカイ大黒様……って言うよりも……キョロキョロ

大黒様を祀っているだけに、どうしても縁結びのご利益にばかり目がいってしまいますが実はこの神社、金運を高めてくれるパワースポットとしても全国的に知名度が高いんですってぇ照れ

その誉を象徴するのが金運を呼び込む「種銭」と呼ばれるお守りでしょうかねぇ……キョロキョロ

そのお守りを財布や金庫に入れておくことでどんどんお金が増えると言われていますラブ

購入したことで宝くじに当たったなんていう声も多数寄せられていることからもその効果は窺い知れますねぇ照れ


木津勘助の銅像
木津勘助とは、江戸前期、相模(神奈川県)出身の人物であり、青年の頃より豊臣家に仕え大阪繁栄の基礎となる水運の開発や堤防を強化して水害を防ぐなど、大阪の土木事業に貢献したことで高く評されている開拓者とされていますおねがい

なお、寛永の大飢饉の際には、幕府の米蔵を無断で開放し、その米を飢饉に苦しむ人々に施したことで、流刑あるいは処刑されてしまったそうですガーン



手水の後ろに稲荷社がキョロキョロ 
以前、来たときは気付かんかったえー 

楠稲荷社 
ご祭神 
宇迦之御魂神 
主なご利益 五穀豊穣・商売繁盛


鳥居近くに狛犬が…キョロキョロ 
以前の狛犬だと思うのですが…
1匹足りませんねキョロキョロ
買い物にでも行ってるんかな?爆笑


日露戦争の慰霊碑 
揮毫は東郷平八郎「東郷平八郎」(とうごうへいはちろう)は明治時代の軍人プンプン

1847年(弘化4年)に薩摩藩(さつまはん:現在の鹿児島県鹿児島市)で生まれ、明治政府軍として「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)に参加したんですえー

明治維新後はイギリスのポーツマスへ留学とかキョロキョロ

帰国後は海軍軍人として「日清戦争」(にっしんせんそう)で名を挙げますプンプン

その後、佐世保・舞鶴鎮守府司令長官などを経て、1904年(明治37年)から始まる「日露戦争」ではめざましい指導力を発揮プンプン

「日本海海戦」の大勝利を実現し、国民的英雄となりました爆笑


折口信夫の歌碑 
活字体で同じ歌が刻まれており、それによると、「春はやきこぶしのうれひさきみちて たゞにひと木はすべなきものを」という歌のようキョロキョロ

折口信夫は、明治32(1899)年4月、大阪府第五中学校(現在の天王寺高等学校)に入学しています(第五中学校は1901年に天王寺中学校と名前を変えています)えー

明治38年(1905年)に國學院大學に入学し、上京。明治43(1910)年7月には國學院大學を卒業し、翌44年10月から大正3(1914)年3月に退職するまで二年半にわたり、今宮中学校(現在の今宮高等学校)の嘱託教員として教壇に立っていました照れ

担当は国語と漢文えー

解説板によると、折口信夫没後25年を記念して建てられたもので、これが大阪では初めての歌碑だとかびっくり


白龍明神社 
巳さん照れ
とても小さな御社なのに彫刻が凝ってますびっくり

 白龍・白蛇を祀る祠ニヤリ

おそらくは「水」に関する祈りを捧げる場所なんかな?キョロキョロ

白蛇さんが金運アップのご利益があるのは皆さんもご存知かとえー

 この「白龍明神社」は白龍ですが、龍と蛇はご利益が同じと考えていいそうなんですね照れ


インク薄っガーン

大阪府大阪市浪速区敷津西1丁目2-12


南海電車難波駅直結、「大阪タカシマヤ」地下1階のお店。えー

昭和23年、大阪・黒門市場で創業した『大和果園』が’10年にオープンしたフルーツパーラーのえー
ザ・カエンさん爆笑

フロアの中ほどに位置するカウンターのみの小型店舗なんよえー

カウンターには色とりどりのジューサーが並んですね照れ

メニューは搾りたてのフレッシュジュースの他に旬のフルーツを使ったパフェなどニヤリ


クラウンメロンパフェ 800円 

とってもシンプルえー
コーンフレークに、美味しいソフトクリーム、そして完熟のメロンニヤリ

流石!メロンが美味しいわぁ爆笑

食後のデザートに、お買い物の合間に、ちょっと食べるのにとても良い量、サイズですなぁ照れ

 難波駅(南海)から145m 
大阪府大阪市中央区難波5-1-5 大阪タカシマヤ B1F