世田谷八幡宮から次の豪徳寺ヘ照れ

途中に宮の坂駅があり…可愛い電車をびっくり


招き猫電車は、2017年に世田谷線の前身である玉電(玉川電気鉄道)開通110周年を記念して企画されたラッピング電車爆笑


一度姿を消したものの、世田谷線開通50周年にあたる2019年に再登場し、それ以降休むことなく運行されています照れ


世田谷線を走る車両は全部で10編成プンプン

そのうちの1つがこの招き猫電車なので、遭遇する確率は1/10ということになりますえー

めちゃ運が良かったぁ爆笑



宮の坂駅には、かつて世田谷線を走り、その後江ノ島電鉄でも使用された車両「東急デハ87(江ノ電601号)」が展示されています照れ

東急デハ87は大正14年に製造された木製電車えー
途中で鋼鉄車体に改造され、平成2年まで現役で走っていたそうですびっくり

宮の坂駅から数分歩いて…豪徳寺に到着やぉ爆笑


豪徳寺 【ごうとくじ】
大谿山 豪徳寺は、世田谷区にある曹洞宗の寺院です。

彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺で、井伊家ゆかりの文化財が数多く所蔵。

世田谷区でありながら緑豊かな地にあり、都会の喧騒を忘れてしまうほど、心やすらぐ静寂な時間が流れています。

境内にある梅・桜・牡丹・芍薬・つつじや晩秋の紅葉などの四季折々の草木で、季節によって変わる境内の表情もお楽しみください。

石門から山門に至る山道の松並木、さらに野鳥が飛び交う奥深い森林もまた見所です。


寛永10年(1633年)に、世田谷が彦根藩の所領地となり、文明12年(1480年)に建立されていた「弘徳院」を、彦根藩主井伊家は江戸菩提寺と定めたプンプン

その後、万治2年(1659年)2代藩主井伊直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に因み、豪徳寺と改称され、大名家墓所に相応しい伽藍を整え現在に至ります照れ

江戸時代の大名墓所の形態をよく保存し、
周辺では最大規模の国指定史跡となっているんよニヤリ


山門 
山門の扁額には「碧雲関」という文字が書かれており、「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味すると言われていますびっくり


仏殿 
延宝5年(1677年)建立照れ
仏殿の正面に篆額「弎世佛」があり、現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されていますびっくり

阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒菩薩坐像を安置照れ

平成2年(1990年)に世田谷区指定有形文化財に指定されました照れ


三重塔 
平成18年(2006年)5月に落慶。高さ22.5メートルびっくり
釈迦如来像、迦葉尊者像、阿難尊者像、招福猫児観音像が安置されています照れ


牡丹が見頃爆笑


ある日、この地を通りかかった鷹狩り帰りの殿様が、お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることにえー

寺で過ごしていると、突然雷が鳴り雨が降りはじめましたガーン

雷雨を避けられた上に、和尚との話も楽しめた殿様は、その幸運にいたく感動したそうです照れ

それが彦根藩主の井伊直孝でしたえー

豪德寺は、直孝に支援され、寛永10年(1633年)に再興しましたプンプン

豪徳寺の招福猫児は小判を持っておらず、右手をあげていますびっくり

招福猫児は、人を招いて「縁」をもたらしてくれますが、福そのものを与えてくれるわけではありませんプンプン

人との大切な「縁」を生かせるかどうかは、その人次第えー

報恩感謝の気持ちがあれば、自然とその人のもとに福が訪れる!
という教えから、小判を持たず、右手だけをあげているんやって照れ


山門と新緑が素敵です照れ


井戸の手水~爆笑


招福殿 
彦根藩井伊家と縁が結ばれた豪徳寺プンプン

家内安全、商売繁盛、開運招福を願い訪れる、多くの参詣者が奉納した大小さまざまな招福猫児は圧巻なんよ照れ
昭和16年に建立、令和4年に改修されましたえー

豪德寺では、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、お祀りする招福殿が建てられました照れ

招福殿には、家内安全、商売繁盛、開運招福を願うたくさんの参詣者が訪れていますニヤリ

堂内には招福観音菩薩立像が安置されていました照れ


如意輪様と招き猫…異様な雰囲気…ニヤリ


何万とある、いろんななサイズの招き猫びっくり
フォトスポットとしてたくさんの人達が…キョロキョロ
海外の人もめちゃ居ましたプンプン 


法堂 (本堂)
昭和42年(1967年)に造営されましたプンプン

法堂には聖観世音菩薩立像、文殊菩薩坐像、普賢菩薩座像、地蔵菩薩立像が安置され、さらに寺宝の「井伊直弼肖像画(井伊直安作)」が飾られています照れ

正面の額に掲げられた文字は、現在・過去・未来の三世を意味しているそうびっくり

花菖蒲が見頃で本堂とのコラボ…照れ


梵鐘 
延宝7年(1679年)、藤原正次(釜屋六右衛門)により鋳造プンプン

区内最古で、美術的にも高い評価があるんやってびっくり
平成12年(2000年)に世田谷区指定有形文化財となりました照れ



地蔵堂 
令和2年(2020年)9月落慶えー
地蔵菩薩半跏像が安置されています照れ

土日祝日と、正月三が日、お彼岸、お盆に開放されるんやって照れ


井伊家墓所 
井伊家は、遠江国井伊谷を中心に勢力を持った武士で、戦国期には今川氏の配下にあったプンプン

井伊家二十四世とされる直政は天正三年(一五七五)、十五歳で徳川家康に仕え、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦においては、自ら先鋒を務め東軍の勝利に貢献爆笑

合戦後、直政は近江国などに十八万石を与えられ、初代藩主として彦根藩の礎を築いたんよえー

続く二代直孝も大坂夏の陣で功績をあげ、近江国、下野国、武蔵国世田谷にあわせて三十万石を有する譜代大名の筆頭格と爆笑

以後、幕末までこの家格は堅持され、藩主は江戸城溜間に控えて将軍に近侍し、時には大老職に就き幕府政治に参与したんです照れ

寛永十年(一六三三)頃、世田谷が井伊家所領となったのを機に、領内の弘徳院が普提寺に取り立てられたえー

直孝の没後には、その法号「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなみ豪徳寺と寺号を改め、以後、井伊家墓所として、江戸で亡くなった藩主や家族がここに葬られたんですえー

墓所の北西角には、豪徳寺中興開基の直孝墓が位置し、そこから南西に直進したところに幕末の大老、十三代直弼(宗観院殿)墓がありますニコニコ

直弼墓に至る参道沿いには、藩主や藩主正室ら墓石が整然と並び、豪徳寺の伽藍造営に貢献した亀姫(掃雲院般・直孝長女)墓がその中央西側に位置えー

墓所内で最も古い墓は、直時(広度院殿・直孝四男)のもので、万治元年(一六五八)に建てられたんですニコニコ

直孝が没したのは万冶二年で、どちらの墓石も唐破風笠付位牌型で造られている。以降、豪徳寺に所在する藩主、正室、世子、側室の墓石は、いずれもこの形式で建造プンプン

また、幕所の北側の一角には、早世した井伊家子息子女らの墓石に混じって、江戸で
亡くなった藩士とその家族の墓石も据えられているんですえー

これらを合わせると、墓所に所在する墓石の総数は三百基余にびっくり

彦根藩主井伊家墓所は、豪徳寺、清涼寺(滋賀県彦根市)、永源寺(滋賀県東近江市)の三ケ寺にあり、歴代藩主とその一族の墓が網羅されてますえー

各墓所は、将軍家側近でもあった井伊家の姿を物語り、江戸時代の幕藩体制と大名文化を考える上で欠くことのできない貴重な遺産であるため、一括で「彦根藩主井伊家墓所」として、平成二十年三月二十八日、国史跡に指定されました照れ


東京都世田谷区豪徳寺2-24-7


駅弁激戦区と言えば、やはり鉄道交通の始点であり終点でもある東京駅爆笑

日本最大級の駅弁売り場「駅弁屋 祭」や、日本最大級のエキナカ商業施設「グランスタ」、新幹線改札前の「エキュート東京」などがあり、数えきれないほどの弁当が販売されているんよえー

メディアでも紹介される人気弁当も多数あり、週末やゴールデンウィークなどの長期連休、お盆や年末年始の帰省シーズンには、旅の楽しみでもある弁当を求めて、たくさんの旅行客が目当ての店を訪れるんやってニヤリ
この日も…めちゃ人ガーン

そんな東京駅で販売される弁当の中でも、東京駅でしか購入できない限定弁当で、東京の伝統も感じられて、さらに酒のつまみにもなり、ビジュアルも映えると大人気の弁当がえー

それが、「エキュート東京」で不動の人気№1を誇る「深川弁当」なのだぁ爆笑


深川めし 980円 
 江戸の下町である深川(現在の江東区の一部)の漁師たちが、賄い飯として食べていた「ぶっかけめし」をルーツとしているそうびっくり

その深川めしを弁当として楽しむことができるのが、つきじ喜代村の深川弁当照れ

この深川弁当は、まずビジュアルのインパクトに驚かされましたぁびっくり

大粒のアサリが、ご飯が見えないほどにびっしりと敷き詰められ、食べる前からテンション爆上がり~チュー

蓋を開けるとアサリと醤油ダレの香りが広がって、食欲が刺激…照れ

一粒が大きなアサリは、生姜が効いた醤油ダレで煮込まれていて、少し硬めに炊かれたごはんとの相性はもちろんサイコ~爆笑

煮込んだアサリと言うとギュっと硬いイメージがあるが、このアサリはふっくらと柔らかく煮込まれていて、食べやすいニヤリ

旨味が染み込んだ奥深い味わいは、一粒でもしっかりと美味しさを堪能できる照れ

旅のお供にするのなら、アサリを少し残しておいて、食後に酒のつまみとして楽しむこともおすすめやなぁニヤリ

アサリの下には錦糸卵と煮ごぼう、白いご飯が盛られています照れ

ご飯はしっかり詰められていて、見た目以上にボリュームが爆笑