等持院から仁和寺の方に戻ると…
住吉大伴神社がありまして…
お立ち寄り
住吉大伴神社
【すみよしおおともじんじゃ】
当社は当地に移転してきた「大伴氏」が祖神を祀ったとされています。
大伴氏は物部氏と共に古代において軍事を司った有力氏族で、高皇産霊尊の子(もしくは五世孫)の「天押日命」、またその後裔の「道臣命」を祖としています。
『日本書紀』の天孫降臨の段では「天忍日命」は瓊々杵尊の先払いをしたとあり、また神武東征の段では「道臣命」は先導を務めたことが記されています。
『日本書紀』の天孫降臨の段では「天忍日命」は瓊々杵尊の先払いをしたとあり、また神武東征の段では「道臣命」は先導を務めたことが記されています。
このことからも大伴氏の軍事氏族としての性格が表れています。
大伴氏の本拠地は摂津国・河内国であり、特に河内国志紀郡(大阪府藤井寺市林)には大伴氏の氏神である「伴林氏神社」が鎮座しています。
大伴氏の本拠地は摂津国・河内国であり、特に河内国志紀郡(大阪府藤井寺市林)には大伴氏の氏神である「伴林氏神社」が鎮座しています。
そのような大伴氏が当地に居を構えた事情は『続日本後紀』に記されてあり、承和元年(834年)正月、葛野郡上林郷地方一町を伴宿祢等に賜り氏神を祀るところとするとあります。
この時に祀った氏神が式内社「伴氏神社」だったと考えられます。
ただし、式内社「伴氏神社」は中世以降所在不明となりました。
ただし、式内社「伴氏神社」は中世以降所在不明となりました。
江戸時代中期に「伴氏神社」を当社に比定する説が現れましたが、当社が伴氏神社・大伴神社などと呼ばれたことはなく、その論拠ははっきりしません。
また、当地は『倭名類聚抄』に見える「上林郷」でなく「綿代郷」だったとする説があり、先の大伴氏が上林郷の土地を与えられ氏神を祀った記事と矛盾することになります。
とはいえ式内社「伴氏神社」のもう一つの論社である北野天満宮境内社の「伴氏社」も論拠としては弱く、他に論社となりそうな神社も見当たりません。
とはいえ式内社「伴氏神社」のもう一つの論社である北野天満宮境内社の「伴氏社」も論拠としては弱く、他に論社となりそうな神社も見当たりません。
鳥居
当社で大伴氏の神を祀っていたのかは不明ですが、現在では大伴氏の神と共に「住吉三神」を祀っています
社伝によれば、住吉三神が祀られるようになったのはかつて当地を領有した徳大寺家が和歌の神として勧請したからとしています
現在のように住吉神と大伴氏の祖神が合祀されたのは昭和十七年(1942年)になってからのこと
大伴氏の神社というのもやや珍しいですが、京都において境内の整えられた住吉神社も珍しく、その意味で貴重な一社と言えるかもしれませんね
大伴氏の神社というのもやや珍しいですが、京都において境内の整えられた住吉神社も珍しく、その意味で貴重な一社と言えるかもしれませんね
手水
おじいちゃん龍…みたいな…
拝殿
平入の切妻造
床の無い土間の拝殿で、屋根は反りの無いものとなっていますね
本殿は変わった形式で、こちらも反りの無い屋根を載せた妻入の切妻造
本殿は変わった形式で、こちらも反りの無い屋根を載せた妻入の切妻造
奥の一間にのみ壁があり、手前側は吹き放ちで幣殿のような機能を持たせているのでしょうかね
当社の掲示板には「柱間 間口一間、奥行一間半の縮少型住吉造にて全国唯一の建物」とあり、住吉造の一種のようです
御祭神
住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)
大伴祖神(天押日命、道臣命)
天押日命
御祭神
住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)
大伴祖神(天押日命、道臣命)
天押日命
大伴氏(おおとも)の祖神、瓊瓊杵尊の天孫降臨の先導役、古事記にのみ登場する、高皇産霊神の御子神、皇室の守護
道臣命
天忍日命の後裔、大伴氏の祖、神武天皇の東征の先鋒を務め、神武天皇即位の際には宮門の警衛を務めたとされる神
住吉三神
海の神、航海の神
ご利益
家内安全、交通安全、五穀豊穣、商売繁盛、航海安全、水難守護
ご利益
家内安全、交通安全、五穀豊穣、商売繁盛、航海安全、水難守護
めちゃど迫力の狛犬さんやぁ
小松神社
十禅師社と・・・
御祭神は、天照大神(アマテラスオオミカミ)と大己貴命(オオナムチノミコト)
小松神社
斎明社と・・・
第58代光考天皇の皇后で、宇多天皇の母君班子女王(はんしじょおう)を祭神として祀られています。
900年(昌泰3年)に68歳で崩御された班子女王の陵墓の地がこの辺りと伝わり、班子女王を祀る社殿が造営されたとか。
神社名の由来は、班子女王が多くの皇子皇女を生んだ事に由来するともいわれています。
古くから仁和寺の守護神として祀られ、歴代の仁和寺法親王から厚い尊崇を受けてきました。
社殿は応仁の乱によって仁和寺とともに全て焼失してしまい、1644年(寛永11年)徳川3代将軍・徳川家光の寄進により、仁和寺の伽藍整備とともに造営されました
鳥居
鳥居に掲げられた扁額に一見の価値があります
ノミやカンナ、刀剣など鋭利な刃物を研磨する際に使う鳴滝砥石(なるたきといし)という最上級の岩石が使われています
古くは鳴滝、梅ヶ畑、愛宕山月輪寺、越畑において採掘されてきました
高雄奥殿山あたりで砥石の採掘場跡などが残されていますが、現在は希少な岩石だと言います
手水舎
なんか…
雅…
拝殿
寛永年間頃の造営で、国重文化財なんです
寛永年間頃の造営で、国重文化財なんです
本殿は、前身の深川神社が応仁の乱で全焼しましたが、徳川幕府3代将軍の家光と仁和寺第21世門跡の覚深法親王により再建されたと言われています
木賊葺(とくさぶき)という屋根を持ち、国の重要文化財に指定されています
本殿の中に、普段は見られない金色の狛犬さんがあるようですよ
御祭神
班子皇后の皇子である宇多天皇が仁和寺を開いたことから、この社は仁和寺の守護神とされているそう
ご利益
本殿の中に、普段は見られない金色の狛犬さんがあるようですよ
御祭神
班子皇后の皇子である宇多天皇が仁和寺を開いたことから、この社は仁和寺の守護神とされているそう
ご利益
子宝・安産、子育て、身体壮健、諸願成就
がぉ~
夫荒社
平安時代、毎年夏に洛北氷室より御所宮中に氷が献上される慣わしとなっていました
ある時、御所に氷を届ける夫役が氷を解かさないために疾走したところ、疲労のため、この地で息絶えてしまいます
その後、夫役の霊が妖怪となり崇りをなしたため、社を建てて祀ったと伝えられています
その社が、福王子神社の末社なんよ
ちなみに福王子の「ふくおう」は、「ぶこう」が転訛したものと言われています
ある時、御所に氷を届ける夫役が氷を解かさないために疾走したところ、疲労のため、この地で息絶えてしまいます
その後、夫役の霊が妖怪となり崇りをなしたため、社を建てて祀ったと伝えられています
その社が、福王子神社の末社なんよ
ちなみに福王子の「ふくおう」は、「ぶこう」が転訛したものと言われています
小さい狛犬さんですが…
目付きは…
本気みたいやね
社務所の中
旅館みたいな…
京都府京都市右京区宇多野福王子町52
福王子神社から10分ほど北へ行った所にあるサツマイモスイーツの専門店 京甘藷さん
カットしたサツマイモを油で揚げて宮古島の雪塩をまぶした芋けんぴなんよぉ
茶席で使う取り箸サイズの黒文字のような長さと
細さで、表面は固く揚がってカリッと香ばしく
中は柔らかく塩味がしっかり効いていましたぁ
食べ始めたらやめられない止まらないとは
まさにこのことやな…
福王子バス停より徒歩5分
宇多野駅から550m
京都府京都市右京区鳴滝蓮池町12-7