妙立寺から3キロプンプン
長浜駅方面に歩きますえー
その途中にインパクト大の大仏がある良疇寺へ爆笑

良疇寺 (長浜びわこ大仏)
【 りょうちゅうじ】
平安山良疇寺は鎌倉幕府執権最明寺殿北条時頼公により開創された寺である。

諸国巡察のための行脚の途中湖北の地に到った折り、僧形の時頼公に一宿を献じたのが当地に小さな草庵を結んでいた当山開山天山和尚であった。

勿論この旅の僧が高貴な人物であることなど和尚は知る由も無い。しかし、和尚と時頼公は肝胆相照(かんたんそうしょう)し、話は山雲海月の情を尽くしたと伝えられている。

鎌倉に帰るや時頼公は自ら本尊阿弥陀三尊を刻み、当山の伽藍を建立し、方三町の田地を寄し、近江守護佐々木道倫に当山安堵を命じたと寺の古文書は伝えている。

弘長二年(一二六二)のことである。以後織田信長の兵火による灰滅、天災による琵琶湖中への陥没などを経るも脈々と法燈を守り続けている。

湖畔の景勝つを訪れる文人墨客は多く、俳聖松尾芭蕉の逗留の証と言われる自刻の芭蕉像が寺に残されており、境内に三箇所の句碑を見ることができる


山門
なんか…
縦と、横が似合ってないかも…キョロキョロ


手水じゃなくて…
つくばいやね爆笑


タヌキ…びっくり
間抜けな表情が好き照れ


本堂
御本尊
阿弥陀如来

本堂前の庭園は、曽呂利信左衛門の作といわれていますプンプン

曽呂利信左衛門
豊臣秀吉に御伽衆として仕えたといわれる人物なんやってえー

落語家の始祖とも言われ、ユーモラスな頓知で人を笑わせる数々の逸話を残したとかえー

堺で刀の鞘を作っていた杉本新左衛門(坂内宗拾)という鞘師で、作った鞘には刀がそろりと合うのでこの名がついたとかキョロキョロ

架空の人物と言う説や、実在したが逸話は後世の創作という説があるみたいですねキョロキョロ

また、茶人で落語家の祖とされる安楽庵策伝と同一人物とも言われるとかびっくり

茶道を武野紹鴎に学び、香道や和歌にも通じていたとかえー

『時慶卿記』に曽呂利が豊臣秀次の茶会に出席した記述がみられるなど、『雨窓閑話』『半日閑話』ほか江戸時代の書物に記録があるんやってニヤリ

本名は杉森彦右衛門で、坂内宗拾と名乗ったともいわれていますキョロキョロ

逸話
秀吉が、猿に顔が似ている事を嘆くと、「猿の方が殿下を慕って似せたのです」と言って笑わせた。

秀吉から褒美を下される際、何を希望するか尋ねられた新左衛門は、今日は米1粒、翌日には倍の2粒、その翌日には更に倍の4粒と指数関数の法則で日ごとに倍の量の米を100日間もらう事を希望した。

米粒なら大した事はないと思った秀吉は簡単に承諾したが、日ごとに倍ずつ増やして行くと100日後には膨大な量になる事に途中で気づき、他の褒美に変えてもらった。

御前でおならをして秀吉に笏で叩かれて、とっさに「おならして国二ヶ国を得たりけり頭はりまに尻はびっちう(びっちゅう)」という歌を詠んだ。

ある時、秀吉が望みのものをやろうというとに「耳のにおいを毎日嗅がせてほしい」と願い、人々の前で口を秀吉の耳に寄せるようになった。

大名たちは陰口をきかれたかと心落ち着かず、新左衛門に山のような贈物を届けたという。

面白いでしょ爆笑


鐘楼
綺麗な造りの鐘楼照れ
模様の雰囲気が好きニヤリ


びわこ大仏
大仏は28mの青銅製の阿弥陀如来像びっくり

初代は護国阿弥陀如来と言いましたが、この二代目は長浜びわこ大仏と呼ばれてるんやってニヤリ

1994年建立で青銅でできていますプンプン

昭和12(1937)年には初代大仏となる護国阿弥陀如来像が建立されましたえー

初代大仏は昭和50年代になってコンクリートの劣化が進んだために1992年に解体ショボーン

阪神淡路大震災の3年前のことえー

初代大仏も27mもあったのでそのまま建っていたら危なかったかもねガーン

解体された初代の大仏様は境内に埋められていますプンプン


びわこ大仏の胎内に入ることが出来、二階に登ることも出来るようですえー
が…
鍵がかかっていて…
入る事が出来んかった…ショボーン


布袋様
布袋さんは、福や財をもたらすとして日本で信仰されている七福神のお一人で、中国の唐の時代に現在の浙江省寧波市に実在した禅宗のお坊さんやね照れ
しっかり…
お腹を触って…
ご利益を頂きました照れ


納骨堂
初代の護国阿弥陀如来を安置とかえー

初代はコンクリート製だったので、バラバラにして塚の土台にしたんでしょうかねニヤリ


可愛い顔の六子の六地蔵様です爆笑


庭園
良疇寺は梅・桜・ツツジ・サツキ・蓮・紅葉などの四季折々の花も楽しめるそうですよ照れ


子宝水子地蔵
お寺で見られる水子地蔵は、水子の霊を祀っている地蔵ですえー

生まれてくることができなかった赤ちゃんを慰めてくれる仏様と考えられますえー

水子とは、人それぞれの事情で産んであげられなかった子、残念ながら流産してしまった子、生まれてから1年以内で亡くなった子のことショボーン

本来、水子は「すいじ」と読み、亡くなった胎児のみでなく、乳児期や幼児期に亡くなってしまった子供を指しましたえー

しかし、いつのころからかはっきりわかりませんが、水子「みずこ」と読むようになり、現在のように生まれてくることができなかった赤ちゃんを指すようになりましたえー

水子地蔵は3種類プンプン
錫杖を持っている水子地蔵   
子供たちを鬼から救い、成仏できるように見守ってくれます照れ

合掌している水子地蔵    
母のように子供を慈しむ観音菩薩照れ

子供を抱いている水子地蔵    
子宝を授けてくれたり妊婦の安産を見守ってくれます照れ

こちらのは
錫杖を持っている水子地蔵キョロキョロ
子供たちを鬼から救い、成仏できるように見守ってくれるんやね照れ


この観音様は女性…キョロキョロ


観音堂
西国観音・疱瘡観音・地蔵尊がお祀りされてます照れ


稲荷社
綺麗な、稲荷社びっくり
お狐様も可愛いですよね爆笑


境内にはいろんな梅が咲いたました照れ
まずは…
白い梅ラブ


薄いピンクの梅…可愛い感じやね照れ


濃いピンクの梅照れ
ピンクの梅のお姉さんって…感じ爆笑


滋賀県長浜市下坂浜町86


JR長浜駅からすぐの場所にある成駒家さんに照れ

久しぶりに長浜市に行くことになり、せっかくなので郷土料理をいただきたいなと思い、それなら焼鯖そうめんやぁ~と…
思い来ましたニヤリ

焼鯖そうめんとはこの地方に伝わる伝統料理で、焼鯖を甘辛い出汁で柔らかくなるまで煮込んで、素麺と合わせた物を言いますニヤリ

その昔、日本海で獲れた鯖を琵琶湖西岸を通り、京都まで運ぶ道中を「鯖街道」と名付けたそうえー

長浜へも鯖街道の支流が伸び、焼鯖そうめんとして郷土料理が自然と生まれました照れ

また湖北地方には五月見舞いといって、農家に嫁いだ娘のもとへ春の田植えの農繁期に家事に農作業に追われる娘を案じ、実家から食材の焼鯖を届ける風習がありますえー

その焼鯖と素麺を抱き合わせて、手軽に食べられることから農繁期の定番の郷土料理となりました照れ

また、長浜では曳山祭り客人をもてなすハレの日のご馳走様でもあるんだとかえー

焼鯖そうめんは、娘を思いやる親の愛、お客さんへのおもてなしの心をこめた伝統の郷土料理なんだそうです照れ


焼鯖そうめん定食 1650円
綺麗なお椀にて登場やぁ~爆笑


メインの他にはご飯、お味噌汁、小鉢が付いてますニヤリ

焼鯖はしっかり煮込まれていて、甘辛い味が口中に広がりますラブ

そして骨まで簡単に噛み切れるホロホロ感ニヤリ
臭さは無くて抜群に美味しいです照れ

そうめんの方は見た目が薄いので、どうなんだろうな〜と思ってはいましたが…キョロキョロ
むしろあっさり感が、そうめん本来の美味しさも、ちゃんと残してくれていて、美味しいです照れ

あっさりといっても、決して物足りないわけではなく、しっかりと風味を感じることができました照れ


しっかりした味付けの焼鯖プンプン
米にめちゃあいますなぁ爆笑


小鉢はこちらも滋賀県の郷土料理のえび豆ウインク
えび豆は、琵琶湖でとれるスジエビを大豆と一緒に甘辛く煮た滋賀県の郷土料理で、カルシウムとタンパクが豊富な料理なんよえー

滋賀県では田んぼの畦で大豆や小豆が栽培されていて、古くから祝儀や法事、祭りなどの集まりで大豆を使用した料理がよく食されていたんだとかえー

えび豆もその一つなんよ爆笑

えび豆は、安価な食材でつくることができ、保存もきくため、日常食としても食べられているほか、「エビのように腰が曲がるまでまめにくらせますように」との長寿への願いをこめて、お正月などのハレの日にも食されています照れ

スジエビは、琵琶湖の水草の生えている浅瀬に広く生息しており、産卵期である春から夏にかけて水深10m以内に生息プンプン

冬に入ると、より一層深いところへ移動するため、春から夏は沖島に伝わる伝統漁法「エビたつべ漁」を行い、冬は「沖びき網漁」を行っているんやってニヤリ

エビたつべ漁は、「たつべ」と呼ばれる専用のかごを使った伝統漁法のことで、たつべの中に餌を入れ水中に仕掛けるプンプン

たつべの中に入り込んだエビが出られなくなる仕組みキョロキョロ
また、沖びき網漁とは、漁船を使用し網を仕掛け、巻き上げる底びき網の一種なんやってニヤリ

豆にもえびの味が染み込んでいて美味しいです照れ

長浜駅から139m
滋賀県長浜市南呉服町5-25