今回は兵庫県高砂市へ
山陽電鉄本線の高砂駅に
家から…
3時間の旅でした
高砂駅まえに変わったオブジェが
高砂商工会議所青年部が主催する婚活イベント「キャンドルカフェ」が、カップル成立促進の目的で、山陽電車高砂駅前に「縁結びベンチ」を設置したんだとか
上質な竜山石で作られたハート型のベンチは、座ると二人が寄り添うような格好となり、正面に彫られたキュートなエンジェルと相まって、二人の愛を永遠なものにしてくれるんやって
でも…
めちゃ汚れていて…
たぶん…
今は誰も座ってないと思う…
高砂駅から南へ約2キロ
高砂神社へ
高砂神社 (たかさごじんじゃ)
神功皇后が外征のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげられた。
帰国の途中、この地に船を寄せられ、国家鎮護のため、大己貴命をまつられたのが高砂神社のはじまりです。
その後、天禄年間(970年)~(972年)国内に疫病が流行し、庶民が苦しんでいた時、神託によって素盞嗚命(すさのうのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)をあわせまつったところ、疫病がたちまちおさまったので、庶民は喜んでお礼参りをしました。
文禄元年(1592年)豊臣秀吉は、朝鮮出兵のときこの神社に参拝し戦勝を祈願したと伝えられてます。
池田輝政をはじめ、歴代姫路城主は社領を寄進し、特に本多忠政は尊崇熱く、輝政によって他に移されていた社殿を旧社地に再建し、にぎやかな遷座祭を行いました。
天樹院(千姫)をはじめ、武将や貴人、そのほか学者、詩人、歌人、俳人が多くこの神社を歴訪しています。
江戸時代の画家、森狙仙筆「神式図」、森周峯筆「関羽図」、曽我蕭白筆「武者図」をはじめ、現代では棟方志功筆「鯤魚之図」等、すぐれた絵馬も多く奉納されています。
真っ白で綺麗な鳥居
神門
19世紀前半建造と考えられています
手水舎
龍もいなければ…蛇口でもなく…
石…
別の所に使われていない手水が
水の出口が龍ではなく、鯉
鯉は初めてかも…
拝殿
拝殿・幣殿は18世紀後半に建立、本殿は17世紀前半に建立され19世紀前半に建て替えられたと考えられています
御祭神は、主神:大己貴命(おおなむちのみこと)、配祀:素盞鳴命(すさのうのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
大己貴命
大国主命の別名で、出雲大社の祭神とされています
素戔嗚尊の6世、もしくは7世後の孫とか
古事記や日本書紀では、出雲国の代表者で国譲りをした人物
素盞嗚尊・奇稲田姫
天禄年間(970年~973年)に疫病が流行したそうです
その際に、2柱の神様を祀ったところ、疫病が治まった、と伝えられているそうですよ
大己貴命が縁結び、素盞嗚尊が厄除け、奇稲田姫が縁結び・夫婦和合のご利益です
狛犬
胸を張り…凛とした姿がカッコいいよね
能舞台
神殿の正面に2013年に新設された日本でも最大級の能舞台
野村萬斎の狂言「末広かり」野村萬斎、大島輝久の能「高砂」が見られる催しもあったんやって
霊松殿
神功皇后の御世に大国主命を祀り高砂神社が創建されてまもなく境内に一本の松生い出たが、その根は一つで雌雄の幹左右に分かれていたので見る者、神木霊松などと称えていたところ、ある日、尉姥の二神が現れ「我は今より神霊をこの木に宿し世に夫婦の道示さん」と告げられた、此より人は相生の霊松と呼びこの松を前にして結婚式を挙げるようになった・・・とか
あるとき、1つの根から雌雄2本の幹をもつ松が境内に生えたとか
この松は、尉(伊弉諾尊)と姥(伊弉冊尊)の2神が宿る霊松とされ、相生の松と称された、という説があるが確証はないとされているみたい
初代相生の松は天禄年間に、2代目は兵火によって天正年間に枯死したんやって
本多忠政がこれを惜しみ、遷宮の際に3代目の相生の松を植えたと言われています
3代目相生の松は大正13年に天然記念物に指定されたが、昭和12年に枯死し、幹が霊松殿で保存
4代目は松くい虫の被害により短命に終わったみたい
現在は5代目の松が枝を張ってます
なお、相生の松の他にもいぶき(高砂市保存樹)も神木とされており、『高砂』の登場人物である阿蘇の宮神主・友成の杖から発芽したとする伝説があるんやって
「相生の松」がモチーフの絵馬掛け
松をかたどった緑色の絵馬が参拝者によって掛けられ松が茂っているように見えますね
尉姥神社
御祭神は夫婦神である尉(伊弉諾尊いざなぎのみこと)・姥(伊弉冉尊いざなみのみこと)であることから縁結び・和合長寿のご利益で有名なんです
境内の「相生松」は、伊弉諾尊・伊弉冊尊の2神が現れ「我は今より神霊をこの木に宿し世に夫婦の道を示さん」と告げられたことから名付けられたと伝わります
謡曲「高砂」
高砂や この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に帆を上げて
月もろともに 出潮(いでしお)の
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり
四海(しかい)波静かにて 国も治まる時つ風
枝を鳴らさぬ 御代(みよ)なれや
あひに相生の松こそ めでたかれ
げにや仰ぎても 事も疎(おろ)かや
かかる代(よ)に住める 民とて豊かなる
君の恵みぞ ありがたき
君の恵みぞ ありがたき
中を覗くも…
なんか…
見えん…
猿田彦社・秋葉社・神馬社・天神社・と並びます
猿田彦社は猿田彦大神さるたひこおおかみ、秋葉社は軻遇突智命かぐつちのみこと、天神社は菅原道真公、粟島社は少彦名命すくなひこなのみことがお祀りされています
粟嶋社
祭神:少彦名命
(婦人病や安産を祈る神様)
天神さん
祭神:菅原道真
(学問・人徳を積む神様)
秋葉社
祭神:軻遇突智命
(鎮火・防火の神様)
琴平神社
御祭神に大物主命がお祀りされています
国造りの神様であることから五穀豊穣・商売繁盛・殖産興業・方除け等のご利益で知られています
和魂神社
高砂町出身の英霊がお祀りされています
神馬
神馬って…雄なんやね…
工楽松右衛門
工樂松右衛門は江戸時代の半ば、徳川吉宗の時代寛保三年(1743年)、兵庫県高砂で漁労を生業とする釣屋善三郎の子として生まれますが、彼の剛毅で同じ年頃の子供と違って並外れた才知に親として持て余していたこともあったらしく、時期不詳であるが高砂町東宮町の宮本長三郎・カチ夫妻の養子として迎えられてます
宮本家は蔵荷を廻漕する渡海船主でありました(松田裕之著『近世海事の革新者 工樂松右衛門伝―公益に尽くした七〇年』39頁)
ところが松右衛門15歳のころになると、兵庫津(現在の神戸)に出て、西出町の船具商兼直乗り船頭である鍛冶屋善兵衛方に奉公に出ることになります
そこでその鍛冶屋善兵衛から船の操舵法をはじめ商いの方法等を学び、船乗りとしての経験を積んでいきました
生来の激しい気性と頭の回転の良さから、やがて御影屋平兵衛の手船八幡丸の船頭となり、北国への廻漕に携わることになります
松右衛門のあふれる才知と実力は、兵庫津における船頭仲間の間でいち早く知れわたる事に
彼の過酷極まる幾多の航海での成功とそれによる船乗りとしての並外れた才能は、すぐに兵庫の大きな回船問屋北風荘右衛門の目にとまり、彼の知遇を得て寛政四年頃には御影屋藤兵衛から身代を譲り受けて兵庫津佐比江町に店を構え、船持ち船頭として独立することが出来ました
寛政11年の兵庫津佐比江における水帳(土地台帳)には、御影屋松右衛門という名でハッキリと記されています
このときは、まだ幕府から「工樂」という姓は貰っていないので、御影屋松右衛門だたとか
弁財天
弁財天は諸芸上達・金運向上等のご利益で知られています
手前にある狛犬か…狛狐か…
こまちゃん…って…書いてあるから…
狛犬さんなんやね
アートやね
厄落し清め処
一、「厄落とし桃玉」に 息を三度吹きかける
二、「厄落とし桃玉」を石柱に投げ 厄を落として頂きます…ですって…
この石柱は 阪神淡路大震災の際に倒れた 鳥居の一部を埋め直したそうですよ
桃玉は4種類
青→厄落し
赤→悪縁切り・良縁
緑→無病息災・健康長寿
黄→心機一転・開運
みぞかつは…赤
皆さんは何色にしますかぁ
陶器の狛犬さん
ここは…
陶器神社かな…
猪目窓のフォトスポットがあったぁ~
ハートに見えますが、猪目窓という日本伝統文様の一つで災いを除き、福を招く意味が込められています
高砂の真砂
白砂青松というそうです
相生の松を育んだ、清く、めでたい白砂だそうですよ
透明なボトルも置かれていますが、そちらを頂く場合は300円を納めます
こちらは御朱印が有名で毎月楽しませてくれるんやって
行った時は2月!
節分の御朱印
直書きです