蜂田神社から2キロ
鳳ぶらり最後は日部神社へ
日部神社 【くさべじんじゃ】
日部神社の御創建は不詳ですが、日下部の祖神の彦坐命、神武天皇、 道臣命を祀った神社で延喜式神明帳に「日下部神社」とあります。
江戸時代の国学者・本居宣長が編纂した「古事記伝」には、神武天皇が御東征の際に上陸し、長髄彦と最初の戦いをした
「日下の蓼津」はこの一帯であるともいわれており、神武天皇御東征日下津旧跡の石碑が 残っています。
彦坐命の子孫である和泉国の豪族、日下部首の一族にはおとぎ話で有名な浦島太郎もいたと云い伝えられています。
明治四十四年六月、当時の鶴田村字輪之内の日部神社、同村字寺山の八坂神社、原田村の熊野神社、上村の菅原神社が、
八坂神社の地に合祀され、日部神社と称することになりました。
鳥居
京都府与謝郡伊根町本庄浜に鎮座される宇良神社 ( 浦島神社 ) の御祭神は筒川大明神、つまり浦嶋子 ( うらのしまこ ) です
日本書紀・丹後国風土記 ( 逸文 ) では「 浦嶋子 」、御伽草子では 「 浦島太郎 」 になっています
日本書紀の雄略天皇の条には、秋7月、丹波国、与謝郡 ( よさのこほり ) の筒川の人、瑞江 ( みずのえ ) の浦島子が舟に乗って釣をしていて大亀を得た
するとその亀が女になった
浦島は感動して妻にした
二人は一緒に蓬莱山 ( ほうらいさん ) に至って、仙境を巡り観た
と書かれています
丹後国風土記 ( 逸文 ) にも、ほぼ同じような物語が掲載されており、どちらの本も 「 丹後半島の付け根あたり 」 を舞台のお話しのように書かれていますが、 万葉集に書かれている高橋虫麻呂の浦の嶋子を詠んだ歌では
春の日の 霞める時に 墨吉(すみのえ)の 岸に出でゐて
釣船の とをらふ見れば 古 ( いにしへ ) の 事ぞ思ほゆる
水江 ( みづのえ ) の 浦の島子が 堅魚 ( かつを )釣り
と書かれており、舞台は墨吉 ( すみのえ、住吉 ) となっています
住吉は堺市西区の日部神社から10kmほど北上したところに在ります
日下部の一族は河内・摂津・和泉など広い地域に住んでおりますから、浦島子の本来の舞台が住吉でもおかしくはありません
山の民のリーダーが小笠原反流を流れて南洋の民と出会い、結ばれて故郷に戻ってきて、始った日本の歴史を表しているのが山幸彦の神話
行方不明だった浦島一族のリーダーが、人々が忘れかけた頃にひょっこりと戻って来たという伝承
これら2つがそれが合わさって出来上がったのが浦嶋子のお話しなのではないか、と
神門
桃山時代の様式を受け継ぐ17世紀前期の四脚門で、平成20年に堺市指定有形文化財に指定されています
手水舎
豪華!って感じじゃなくて…
可愛いって印象
拝殿
参拝時に拝礼する建物で、明治44年の合祀時に上村の菅原神社から移築されたものなんだとか
本殿
旧八坂神社の本殿で南北朝時代の建物
少し変わった屋根を持っていて、妻を正面にした入母屋造のようですが、実は背側が入母屋造、正面が切妻造になっています
昔は、建物のすべてが極彩色だったとか
御祭神
神武天皇(じんむてんのう)
国家安泰
道臣命(みちおみのみこと)
交通安全 病気平癒
彦坐命(ひこいますのみこと)
家内安全 無病息災
須佐之男命(すさのおのみこと)
厄除開運 五穀豊穣 勝運向上
伊邪那美命(いざなみのみこと)
子孫繁栄 延命長寿 縁結び
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
学業成就 書道上達
石燈籠
石燈籠竿に「和泉国大烏郡草部上条牛頭天王燈籠世」
「正平二十四年(一三六九) 卯月八日」
という銘があります
銘の中に、牛頭天王燈籠也とあるように、
勢いの強い神、須佐之男命を祀ったこの神社で、楠正儀氏が祈願し寄進したものとか