棚倉孫神社から3キロ
のんびり歩いて…観音寺へ
大御堂 観音寺
[おおみどう かんのんじ]
創建年代は不詳。
一説には七世紀後半頃、天武天皇の勅願を受けた義淵という僧によって創建された親山寺(筒城寺)が起源という。
聖武天皇の代に良弁僧正によって親山寺を取り込んで伽藍が造営され普賢教法寺となったと伝わる。
良弁の弟子で東大寺(奈良県) 二月堂の「お水取り」の創始者である実忠和尚を第一世とする。
かつては人々からは「筒城の大寺」と呼ばれる大寺院であり、現在も普賢寺という地名にその名が残っている。
平安時代から鎌倉時代にかけては度々火災で焼失を繰り返したが、藤原氏の氏寺 興福寺(奈良県)と関係が深かったこともありその都度再建された。
しかし永享九年(1437)の焼失後はかつての寺勢を回復するには至らず、本尊の十一面観世音菩薩をお祀りするお堂だけが建て直された。
このことから大御堂観音寺と呼ばれるようになり現在に至っている。南山城六山の一つ。
一説には七世紀後半頃、天武天皇の勅願を受けた義淵という僧によって創建された親山寺(筒城寺)が起源という。
聖武天皇の代に良弁僧正によって親山寺を取り込んで伽藍が造営され普賢教法寺となったと伝わる。
良弁の弟子で東大寺(奈良県) 二月堂の「お水取り」の創始者である実忠和尚を第一世とする。
かつては人々からは「筒城の大寺」と呼ばれる大寺院であり、現在も普賢寺という地名にその名が残っている。
平安時代から鎌倉時代にかけては度々火災で焼失を繰り返したが、藤原氏の氏寺 興福寺(奈良県)と関係が深かったこともありその都度再建された。
しかし永享九年(1437)の焼失後はかつての寺勢を回復するには至らず、本尊の十一面観世音菩薩をお祀りするお堂だけが建て直された。
このことから大御堂観音寺と呼ばれるようになり現在に至っている。南山城六山の一つ。
観音寺の参道
山門も無ければ…寺号標もない
里山の背後の丘陵上には、同志社大学京田辺キャンパスがあります
この辺りは菜の花が一面に咲き誇るんですって
ちと…
訪問が早かった
手水
普通に蛇口
本堂
1953年に再建された簡素なものなんです
この中に、国宝の仏さまがいらっしゃるとは思えないような、侘びた風情ですなぁ……
また
それもいいかも……
真言宗智山派に属し、大御堂とも普賢寺とも呼ばれてるんです
寺伝によると、天武天皇の勅願で義淵僧正が親山寺(筒城寺)を建立し、奈良時代に聖武天皇の勅願により、天平16年(744年)良弁僧正が再び造営し、伽藍を増築、親山寺を取り込み、息長山普賢教法寺と号し、良弁の高弟実忠和尚を第一世としたんですよ
また、その時に大御堂本尊として丈六観世音を安置したと言われています
本堂のお厨子の中には、744年に造られた「十一面観音立像(国宝)」がいらっしゃいますぅ
すぐ目の前にまで近づいて拝見させていただきましたが、全体のバランスも素晴らしく、本当に美しい仏さまでした
ピンとした指先まで気高く、いつまでも見惚れてしまいそうです
十一面観音立像
天平仏(奈良時代中期)を代表する仏像で、昭和28年国宝指定。天平16(744)年良弁僧正(ろうべんしょうじょう)開基時の仏像なんですぅ
一木式木心乾漆造(いちぼくしきもくしんかんしつづくり)、漆箔(しっぱく)(下地の上に漆を塗り金箔で表面を加工)仕上げ
立像は度重なる修理によって形を変えていた部分もあったが、昭和期の高度な補修技術により現状の姿に整えられたのですよ
本体では、頭上面中の七面、右耳朶(じだ)、両手の指(右第五指を除く)、本体以外では天衣や持物などが後補されたものなんです
当初の蓮肉と敷茄子をそのまま使用し、そこに蓮弁と反花(かえりばな)、八稜形の框(かまち)を付け足した六重の蓮華座に、静かに安置されてましたぁ
境内はそこそこ広いんですが…
建物は少ないし…石塔がポツンとあるくらい
地祇神社へ向かう鳥居
地祇神社
大国主の命・大山祇の命・活気長足比売命をお祀りしてます
現在は地祇神社といいますが、明治初期までは地主神社と呼ばれていたようよぉ
覆屋の中にある本殿は三間社流造で、覆屋の石段には「天文十辛丑(1541)年卯月吉日大西備前守」と刻まれています
当時このあたりの地侍たちは惣氏神の朱智神社や惣氏寺の普賢寺を中心に結束し、大西氏はその指導的な立場であったよう
大きい社と小さい社…親子か…夫婦か…
慰霊塔
「慰霊塔」という表現が、戦後的な響きを感じさせますね
日露戦争の記念碑
この慰霊塔の脇に、少し小ぶりの石碑が立ってます
1904年から5年にかけて行われた日露戦争は日清戦争にくらべて戦死者の数を激増させた戦争
ポーツマス条約で日本の勝利となりました
東洋の小国が西洋の大国に勝ったということで日本中が沸きました
そこで、各地に日露戦役記(紀)念碑が建てられたんやって
その地区からの出兵者の名を記しており、他の戦争碑とは異なるものなのなんだとか
家康公伊賀越えの道
本能寺の変の後、家康が関西から三河へと逃げ帰る際にこの辺りを通ったとのことです
鐘楼
周りに何もない所だから…めちゃ鐘の音が響きわたるんだろうなぁ
歴代の鬼瓦なんです
これだけ見ると…少し怖い…
東大寺二月堂でのお水取り、この地の竹をお送りになっていたそう、昭和53年に復活されたとのこと
東大寺お水取りに奉納される竹の松明です
庫裡
立派なお家です
庫裡ではネイルサロンやヨガ教室が
今ではお寺さんも大変だからいろいろとしなきゃならないんですね
興味のある方は是非に
京都府京田辺市普賢寺下大門13
大御堂観音寺からすぐの所にあるちきんはうすさん
お店は古民家風の建物でお店の中も結構広いようです
鶏の慰霊碑…
これをみてから食べるとは…
案内されたカウンター席に座ると
ご主人から「本日の日替わり」は
・地鶏コーチンネギポンズ
・地鶏タルタルカツ
・地鶏時雨煮
の三点盛セットとの説明がありました
配膳まで鶏肉を焼かれるのをじぃ~っと見てました
何か…不思議にずっと見てられる
本日の日替わり 1,000円(税込み)
たまごが1つ付くようで
ゆで卵か生卵が選べます
本日の日替わり
・地鶏コーチンネギポンズ
地鶏らしくしっかりとした食感やぁ
鶏の旨味が素晴らしいゾォ~
ごはんがススム、ピリ辛な味わい
これはお酒にも合うでしょうね
・地鶏タルタルカツ
予め揚げて作ってあるよう
熱々ではないのですが
いや~、旨いですやぁ~ん
地鶏はもちろん、さらりとしたタルタルもいいですね
・地鶏時雨煮
こちらは内臓も入っているよう
濃すぎず、素材の旨さを活かした味付けでした
・ポテトサラダ
これは市販品かな
でもいい感じ~
・キャベツ+ドレッシング+キュウリ
うん、これも美味しいね
・スープ
お椀に入ってるんですが
鶏ガラスープに玉葱がたっぷり
これがまためちゃ旨いをですぅ
・生卵
自分で割ります
プリっとしていいですな~
お醤油を入れて
よ~くかき混ぜて
ごはんにかけます
・ごはん
お米自体も美味しいのでしょうが
焚き加減も絶妙
たまごかけごはんにピッタリで一気にかき込みたくなります
同志社前駅から1,687m
京都府京田辺市普賢寺中島2番地