今回は京都府の京田辺市
降り立ったのは
近鉄新田辺駅
駅前には一休さんがお出迎えです
新田辺駅からJR京田辺駅を超えて…2キロ弱…一休寺に向かいます
酬恩庵 一休寺
(しゅうおんあん いっきゅうじ)
元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めです。
然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名しました。
禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られました。
このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至りました。
然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名しました。
禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られました。
このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至りました。
総門
総門とは禅宗寺院における表門のこと
総門前には金春禅竹による屋敷跡があったと伝えられており今現在は「薪能金春の芝跡」という碑が建てられていますぅ
両脇には楓が植えられ足もとには隙間なく苔がしきつめられていますね
桜、つつじ、さつき、沙羅、萩、楓など四季を通じて楽しむことが出来るんやって
春にはうぐいすの鳴き声も聞こえ都会の喧噪を忘れゆっくりとした時間を過ごすことが出来るとか
手水
竹…シンプルなのが良いですね
本堂(法堂)
本堂は仏殿ともいい内部には本尊釈迦如来坐像、文殊普賢菩薩像が安置されています
当本堂は山城・大和地方の唐様建築中で最も古い建造物なんやって
1429年から1441年の永享年間に室町幕府六代目将軍足利義教公の帰依により建立されたんだとか
開山堂
この開山堂は大正時代に改築をされたもの
だが様式は完全に昔のものを残しているね
堂内部には妙勝寺を創建した大応国師(南浦紹明)の木像が安置
これは一休禅師が荒廃をした妙勝寺を再建し63歳の時につくられたものなんやって
一休和尚像
室町時代を生きた臨済宗大徳寺派の禅僧
京都生まれで幼名は千菊丸って名前なんやって
後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています
6歳で京都の安国寺に入門し、周建の名前を授かりました
幼い頃より漢詩の才能を開花させ、『長門春草』を13歳のときに、15歳では『春衣宿花』を著していますぅ
一休の名付け親は大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)なんだとか
一休の「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」の言葉から、華叟が道号として授けました
その後、さまざまな人生の紆余曲折を経て、1481年、88歳で病没
一休寺で静かに眠っています
少年一休像
少年時代の一休さんやぁ
手に箒をもち掃除をしているぅ
ホント!アニメの一休さんやね
みんな知恵を授かろうと頭をナデナデするからピカピカやぁ
宝物殿
一休禅師の頂相や遺偈などの墨跡他を展示しています
三教之図など多数展示しててかなり価値があるんですよ
このはしわたるべからずの橋・・
小さいけど・・・
有名な一休さんの頓知やね
桔梗屋が一休に出した問題の一つ
店の前の橋を一休さんが渡ろうとすると、「このはしわたるべからず」と書いてある
しかし一休さんは、「この端(はし)渡るべからず」と切り返し、橋の真ん中を堂々と渡った・・・と
他の人々も、堂々と橋の真ん中を渡りました
能楽観世流の墓と近江源氏「佐々木承禎(ささきじょうてい)の墓」
南近江の戦国大名で、六角氏15代当主で観音寺城主
上洛を目指す織田信長の侵攻をうけ1568年(永禄11年)観音寺城を退去し流浪の身となったとか
1598年(慶長3年)に宇治田原町で病死
承禎以外にも息子の義治などの一族の墓もありました
あわてな~い…ひと休み…ひと休み…
鐘楼
慶安3年(1650年)に前田利常により修復
梵鐘は元和9年(1623年)造でした
浴室
慶安3年(1650年)に前田利常により修復
桁行5間、梁間3間、切妻造、妻入、本瓦葺の建物です
本尊は入浴時に悟りを開いた跋佗婆羅
内部は蒸し風呂となっています
庫裏、東司、唐門
僧侶の居住の場であり時食を調える場
この庫裏は方丈新築時に同じように前田家の手で新築されたものであり、江戸初期の建築様式をそのまま残しています
また東司(お手洗い)と唐門は慶安3年(1650)方丈再建の時に新築されたものなんやって
方丈庭園 南庭
南庭は宗純王廟と虎丘を背景としてこれら建物の北部斜面を利用してサツキの刈込があり西部に大きい蘇鉄が植えられている典型的な江戸時代の禅苑庭園
刈込から軒下までは白砂が敷き詰められておりさっぱりとした中に落ち着いた雅味をあたえていました
休禅師使用の輿
81歳の時大徳寺47世住職となった時も、この輿で京都紫野の大徳寺に通われたものなんやって
襖絵
襖絵は狩野探幽斎守信の49歳の時の筆によるもの
ショウショウ八景、林和靖、陶淵明が描かれています
今現在あるのは複製画であり本物は寺の宝物殿に収蔵していました
虎退治
一休さんのとんちの評判を聞いて、殿さまがお城に一休さんを招き入れました
「さっそくじゃが、そこにあるびょうぶのトラをしばりあげてくれぬか。
夜中にびょうぶから抜け出して悪い事ばかりするので、ほとほと困っておったのじゃ」
もちろん、ひょうぶに描かれた絵のトラが出てくるなんて、うそに決まってよね
しかし有名な絵描きが描いたのでしょうか、びょうぶに描かれたトラはキバをむいて、今にも襲いかかってきそうでした
「本当に、すごいトラですね。
それでは、しばりあげてごらんにいれます。
なわを、用意してください」
「おおっ、やってくれるか」
「はい。もちろんですとも」
一休さんはそう言うと、ねじりはちまきをして腕まくりをしました
そして家来が持ってきたなわを受け取ると、一休さんは殿さまに頼みました
「それでは、トラをびょうぶから追い出してください。
すぐに、しばってごらんにいれます」
それを聞いた殿さまは、思わず言いました
「何を言うか! びょうぶに描かれたトラを、追い出せるわけがなかろうが」
すると一休さんは、にっこり笑って言いました
「それでは、びょうぶからはトラは出て来ないのですね。
それを聞いて、安心しました。
いくらわたしでも、出てこないトラをしばる事は出来ませんからね」
それを聞いて、殿さまは思わず手を叩きました
「あっぱれ! あっぱれなとんちじゃ! ほうびをつかわすから、また来るがよいぞ」
こうして一休さんはたくさんのほうびをもらって、満足そうにお寺に帰りました
Aセット 650円にしたぁ~
ソーセージとゆで玉子をチョイス
ドリンクはホットコーヒーで
ゆで玉子2個
なんか・・得した気分やぁ~
トーストはバターたっぷりカリカリで美味しい
何よりソーセージが一番美味しかった
塩分強めでカリカリでトーストに挟んでパクリ・・・幸せ・・・
近鉄新田辺駅 徒歩1分
新田辺駅から102m
京都府京田辺市田辺中央1-3-1
ソーセージとゆで玉子をチョイス
ドリンクはホットコーヒーで
ゆで玉子2個
なんか・・得した気分やぁ~
トーストはバターたっぷりカリカリで美味しい
何よりソーセージが一番美味しかった
塩分強めでカリカリでトーストに挟んでパクリ・・・幸せ・・・
近鉄新田辺駅 徒歩1分
新田辺駅から102m
京都府京田辺市田辺中央1-3-1