鎮国守国神社から最後は赤須賀神明社へプンプン

赤須賀神明社
【あかすかしんめいしゃ】
1561年(永禄4年)、三河国市場村(現在の愛知県額田郡幸田町市場)から移住して来た市場茂右衛門秀高とその家臣(関村・大島・安田・大橋・大河内・加藤・星野・水谷・鬼頭)らによって漁師町の赤須賀村が開発されました。

三河一向一揆が勃発した1563年(永禄6年)の9月11日に、三河国祈願所の神明社御霊代を移遷奉祭したのが赤須賀神明社の始まりです。


鳥居
江戸時代になると東海道が整備プンプン
桑名宿から宮宿(熱田)を往来する七里の渡しに一番近い神明社だったことから、海上安全の神社として崇敬されたんやってニヤリ

参勤交代で江戸へ行く大名行列は、桑名に着くと赤須賀神明社へ参詣して海上の安全を祈願したんだとかびっくり

大名が乗る御座船を操縦したのは赤須賀村の水夫達であり、赤須賀神明社には御座船の模型が奉納されています照れ


手水舎
龍の頭に柄杓…びっくり
龍…
怒ってないかな…ガーン


拝殿
1907年(明治40年)12月13日に境内の6社と東野の3社を合わせて浦安神社とし、1908年(明治41年)10月4日に全て本社に合祀プンプン
一目連神社と一体の建物になっていて、左が赤須賀神明社、右が一目連神社ですウインク

赤須賀神明社
主神
天照大神

鹿嶋社(建御雷男命) - 1765年(明和2年)に鹿島神宮より勧請。

稲荷社(宇迦之御魂命 - 1799年(寛政11年)に伏見稲荷より勧請。

火鎮社(火之迦具土神) - 1824年(文政7年)に桑名藩主の命より奉祭。

厳島社(市杵島姫命)

出雲社(大国主神・事代主神)

津島神社(建速須佐之男命)

一目連神社(天目一箇命) 
1791年(寛政3年)5月に多度大社より水災除守護神として勧請プンプン

天目一箇命
日本神話に登場する神さま照れ
「目が一つ」というユニークな名前を持つアメノマヒトツ神は、アマテラス大神の孫であたり製鉄・鍛冶の神さまとされますえー

一目連社では台風除けの神さまとしても信仰されています照れ

ご利益
金属工業    農業    漁業 眼病守護


狛犬
少しぽちゃと…可愛いですね爆笑


雷井戸
桑名の民話で、「井戸に落ちて、生け捕りにされた雷様」という話が、伝わっており、その井戸が赤須賀神明社の境内にびっくり

ある日の昼頃、お婆が飯を食べていると、俄に空がかき曇り、ピカピカゴロゴロと雷様がやって来ました。

雷様は、久しぶりのお出ましでしたから、大暴れで、調子に乗っていました。

しかし、乗る雲をしっかりと作ってこなかったので、暴れた拍子に雲の薄いところが破れてしまい、雷様は、真っ逆さまに落ちてしまいました。

落ちた先は、このお婆の家の井戸の中でした。お婆は、あまりに怖くて、布団をかぶっていたのですが、しばらくする内に、庭の方から、「助けてくれ」という叫び声がするではありませんか。

お婆は、不思議に思って庭に出てみるのですが、誰もいる気配はありません。

あちこちを探し回ってもどこにも誰もいません。

突然また、「助けてくれ」という声がします。

翌耳をそばだてると、庭の井戸の中から、この声がするようです。

お婆ガイドをのぞきんで見ると、中には、真っ赤な身体に、虎の皮のふんどしを着けた雷様がアタマに大きなこぶを作って、今にも泣き出しそうな声で助けを求めているのでした。

「これからは、この土地には決して落ちやせんから、この井戸から出してくれ」と鬼がいうのですが、お婆は、「何を言うとるか。

人の家を何度も焼いているくせに」と、井戸に蓋をして閉じ込めてしまったといいます。

雷様は、「もう決してここへは落ちやせんから、蓋を開けて助けてくだされ」と。

お婆が、「損なら蓋を開けてやるから、何かおいていけ」と。

「今は何も大したものをもっていないが、今朝作ったばかりのヘソの佃煮ならおいていこう」ということで、雷様はお婆にヘソの佃煮を差し出しました。

お婆がそれを一つつまんで口に入れると、今まで味わったことのないおいしさでした。

そこで、お婆は、「こりゃ雷公、この佃煮はなかなかうまい。ワシにこの作り方を教えてくれ。

そうすりゃ、すぐに井戸から出してやる」ということで、交換条件に雷様から、佃煮の作り方を教えてもらったそうです。

それから、お婆は、この佃煮を作って、市場で売るようになり、これが体操美味しかったので、大繁盛したそうです。

しかし、お婆には、ヘソは手に入りませんので、代わりによく似た蛤の身を佃煮にしたといいます。

これが、有名な桑名の時雨煮の始まりだとかニヤリ


赤須賀稲荷神社
(正一位稲荷大神熊鷹大神) -1954年(昭和29年)7月28日に社殿を設立し、1956年(昭和31年)1月12日に京都の伏見稲荷より勧請なんやってニヤリ


なんか…
エリンギみたいな…キョロキョロ


神馬がびっくり
遠くからみたら…本物みたいニヤリ


恵比寿社
(大国主神・事代主神) - 1906年(明治39年)に赤須賀村営の魚市場の守護神として奉祭したんやって照れ


ほどけた顔した狛犬さん爆笑
めちゃ古そうな…キョロキョロ


各地の寺院や神社にはなぜか、砲弾が奉納されていることが多いよねえー
これは日清戦争後、「陸軍戦利品整理委員会」が戦争記念品として自治体に分配したのがきっかけなんだとかキョロキョロ

そこから寺院や神社、学校、役場などに分けられたとかびっくり

日清戦争後、国内では砲弾およそ8700個が献納され、日露戦争ではおよそ2万個以上の砲弾が神社仏閣に奉納されているんやってえー

しかしながら、砲弾の多くは太平洋戦争時の金属供出によって回収えー

再び、砲弾などの武器に使用されたとかえー


神馬像
神が騎乗する馬として神聖視された馬爆笑

赤須賀神明社の石取祭は、江戸時代初期から桑名市街の石取祭とは別に行われていたが、桑名城主の松平氏が有事の際に備え領民に兵糧運搬と投擲用の小石を運ばせたのが始まりとされ、祭唄の"おかっつぁん"は、赤須賀の娘を歌ったものと伝えられていますえー

石を奉納することは伊勢神宮の"お白石持ち行事"に通じるものであり、当初は舟で川曳きであったが、後に山車で陸曳き献納されるようになったとかニヤリ

祭礼用の山車は祭りに迎える神霊の依り代であり、迎えた神を賑やかし慰撫する造形物であるとされ山形十二張提灯の最上部にある御幣はその象徴なんやってニヤリ


赤須賀漁港の船溜まり
昭和…みたいな…感じやね照れ


三重県桑名市大字赤須賀1817-1


桑名お土産part3

ゆめはまちゃんの焼はまぐりせんべい
648円

桑名といえば はまぐり!爆笑
「その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)」・・・
「うまいことを言ってもだまされないよ」という、ことわざもあるほどやから…えー

そんな はまぐりを使ったおせんべいです照れ
かわいい「ゆめはまちゃん」のパッケージが目印!「ゆめはまちゃん」とは、桑名市公認のキャラクターなんよぉ爆笑

ゆるい容姿が何ともかわいらしい夢見るはまぐりの女の子とかえー
頭にかぶる「笠」のように はまぐりをかぶっています爆笑

そして、この 焼はまぐりせんべいにはもちろん はまぐり が練り込まれていますウインク


袋を開けた瞬間、はまぐりの香りラブ

ザクザクとした食感で、はまぐりと ごまの風味が楽しめます照れ

さっぱり 上品な味のお煎餅やぁ爆笑