伝長寺から次の13番札所の最勝寺へ
最勝寺 【さいしょうじ】
元和五年(1619)九月念誉魯休上人が創建。文政年間(1818~1829)海融上人が境内伽藍を再建整備しました。
山門は閉ざされてる…
周りをみると…
山門の隣は…駐車場になってて…
そのまま…境内に入れましたぁ
本堂
近代建築の建物やね
大阪空襲で本堂・庫裏・山門などすべての堂宇を焼失
平成23年老朽建物を撤去の上、新本堂を建立したんやって
普通のお家みたいやね…
御本尊
阿弥陀仏像
春日御作と伝わります
身の丈2尺5分ほどの立像
本堂には他に勝利を願う最勝観音菩薩立像が安置され、尊信を集めているんやって
全身黒色・盛高の髪・埴輪のような目・長い輪の耳を有する、印象深い尊像でした
釈迦牟尼仏立像
釈迦は種族の名、牟尼は聖者、釈迦族の聖者の意
釈尊ともいうんです
仏教の開祖とかで
約二千五百年前、インドのカピラヴァストゥの王、浄飯を父とし、摩耶夫人を母として誕生
二十九歳の時、道を求めて出家し、多くの師を歴訪したが満足せず、尼連禅河のほとりの山林で六年間にわたり苦行したんです
三十五歳の時、のちにブッダガヤー(Buddhagayā)と呼ばれる地の菩提樹の下に座って瞑想し、ついにさとりを開いたとか
成道後、梵天の勧請によって伝道を決意し、鹿野苑(現在のヴァーラーナシ〈ベナレス〉郊外)に赴いて五比丘に初めて説法(初転法輪しょてんぽうりん)
以後四十五年間各地を巡って多くの人々を教化し、八十歳の時、クシナガラの沙羅樹のもとに身を横たえて入滅したとか…
雨宿りしてる…何かが…
タヌキ~
信楽焼かな…
これもタヌキ?
可愛い愛嬌してるね
大阪新四十八願所 阿弥陀巡礼 第13番札所
大阪市天王寺区餌差町11-9
東大阪の玉串にあるラーメン屋の恵比寿家さんに行ってきましたぁ~
大阪府内に複数のラーメン店ブランドを持ち、主にフランチャイズにて色々なブランド店を持っている「豚吉」グループの直営店になります
この恵比寿家としては鴻池店とこの玉串店の二店舗なんよ
メニューは
肉中華そば、こってりしょうゆラーメン、みそ・塩ラーメンなど麺類に、チャーハン、ギョーザなどがあります
みそラーメン 800円
そこそこ厚いチャーシュー4枚に、ネギとその上に白ゴマ
スープは豚骨ベースの鶏がら味噌味
深みのある味わいで、唐辛子がピリッと効いてました
味的には平凡で、面白みが無いスープかな・・
麺は中太のストレート麺
コシはあるという程はなく、食べやすい柔らかな麺
チャーシューは薄切りで、少しパサパサの食感
なぜか…
癖になる美味しさです
サービスおにぎり2個を頂きやぁ
これは嬉しいサービス
こちらのウリはトッピングビュッフェ
キムチ、ニラ、ニンニク、辛味味噌、ネギがビュッフェコーナーにあります
もちもん取り放題です
河内花園駅から802m
大阪府東大阪市玉串元町1-4-30
ここから…大阪ビル巡りに…
綿業会館本館
昭和初期のこと、大阪は"東洋のマンチェスター"とうたわれたとか
日本が紡績業でイギリスを抑え、綿製品輸出世界一になったんやって
その賞賛の記念碑的な象徴として、故 岡常夫東洋紡専務の遺言(日本綿業の進歩と発展を図るため)として寄付された100万円と業界からの50万円の寄付により、会員制倶楽部の会館が着工
大阪の代表的建築家・渡辺 節氏が設計、1931年(昭和6年)竣工された。同時期行われた大阪城再建費用は48万円
この綿業会館がいかに贅を尽くした建築物かが、うかがえますね
戦前・戦後にわたって、リットン調査団、ルーズベルト大統領夫人、ヘレンケラー、その他歴代の首相など、歴史上に残る人達が来館
世界各国の様式を取り入れた会館は、優雅かつ荘重な各室の意匠とともに国の重要文化財として、この地で今なお美しい風格を放っています
激動の昭和、戦禍、大震災、すべてをくぐり抜けて、多くの深い遺志を貫きつづける逞しい存在にただただ、脱帽。会員制施設のため、見学は月1回のみ(第4土曜日,有料)なんです
大阪市中央区備後町2-5-8
生駒ビルヂング
Osaka Metro堺筋線または京阪電鉄北浜駅から南へ歩いて約2分、重厚な趣きでそびえる生駒時計店の本社ビルは昭和5年(1930)に建設されたもので、界隈を代表する近代名建築のひとつ
堺筋難波橋や柴島浄水場などを手がけた宗兵蔵氏の設計によるもので、屋上の時計塔や振り子のデザインが施された出窓や丸窓、入り口2ヶ所とショーウィンドウ5ヶ所の計7ヶ所に据えられた鷲の彫刻などが目を引きます
入口正面のイタリア産大理石を使った階段やステンドグラス、スクラッチタイル(手掻きの縦縞模様のタイル)の壁面などにも歴史が漂います
営業時間内であれば、見学も可能
国の登録有形文化財に指定されています
大阪市中央区平野町2-2-12
青山ビル
西園寺公望の渡欧に同行した野田源次郎が、その時の見聞をもとに大正10年に建てたスパニッシュスタイルの個人邸宅
設計施工は大林組、増築部は伊東恒治の設計
その後青山家の邸宅となり、戦後はGHQ将校用施設として利用されたことを契機にテナントビルに
外壁を覆う蔦は甲子園球場より株分けされ現在2代目なんやって
館内には、大正時代のステンドグラスやガラス窓、階段手すりのねじり細工、食堂のマントルピース、植物文様の モールディング などの美しい装飾が現存します
平成9年に国登録有形文化財に登録なんです
大阪市中央区伏見町2-2-6
芝川ビル
竣工当時、まだ和風の木造建築が多く、和風建築が重宝がられていた時代のなか、南米マヤ・インカの装飾を纏った鉄筋コンクリートづくりの芝川ビルは誕生
洋館を建てる前、屋根は木で壁は銅を貼っただけのものであった為、又四郎は防火上の危機感から耐震・耐火性に優れている鉄筋コンクリートへビルを建て替えたんだとか
竣工当時は自家用として使用する予定であったが余裕があった為に、教育に関心を持っていた又四郎の意向によって、花嫁学校「芝蘭社家政学園」として使用
この学園は1929年~閉校の1943年迄、関西の名門女学校を卒業したお嬢様、いわゆる"いとさん"3,000名程が卒業したんやって
女子短大のはしりとも言われてます
現在は屋上テラスで不定期にイベントが開催され、また味のうるさい大阪人を黙らせる各飲食ショップなどが入居してます
新たな可能性にチャレンジしているビルとして、熱い注目を浴びているんやって
大阪市中央区伏見町3-3-3
日本キリスト教団浪花協会
オフィス街にまじって多くのレトロ建築が立ち並ぶ大阪・北浜の一角に建つ浪花教会
ゴシック様式の尖塔窓と黄色や緑色の色ガラスで飾られ、意匠性の高い塔屋を持つ地上3階の建物です
昭和5年(1930)竣工
明治中期に八幡商業高等学校の英語教師として来日し、キリスト教の伝道とその主義に基づく社会教育、出版、医療、学校教育などの社会貢献活動を続けたウィリアム・メレル・ヴォーリズ(メンソレータムの普及/心斎橋大丸の設計などでも有名)の設計指導のもと竹中工務店が設計施工を行ったんやって
浪花教会は明治10年(1877)、11名の信徒らによって自主的に設立された日本初の自給教会「浪花公会」が起源
そのためか、礼拝堂内部は庶民に近い親しみやすさがあるんだとか
一方、2階の礼拝堂は色ガラスの窓から入り込む光によって明るく優しい色彩が演出され、外観以上に清楚で美しい空間になっているんですって
大阪市中央区高麗橋2-6-2
旧緒方洪庵住宅(適塾)
江戸時代末期の大阪の町屋建築の代表的なもので、天保九年(一八三八)緒方洪庵がここで医者を開業し、また塾を開いて人材を養成したんです
すでに史跡に指定されています
大阪府大阪市中央区北浜3-3-8