橿森神社から次は誓安寺へ
まだまだ岐阜市のぶらりは続くゾォ~
誓安寺(弥八地蔵尊)
【せいあんじ やはちじぞう】
弥八地蔵の由来は諸説あるが、戦国時代、織田信長の家臣加賀野井駿河守重信の子弥八郎が、埋葬地として開いたのが始まりといわれてます。
この地は「弥八三昧(やはちざんまい)」と呼ばれ、慶長十四年(1906年)の大久保石見守の検知では、東西百二十五貫、南北九十四貫の範囲でありました。
安永四年(1775年)頃には、岐阜町、小熊村、今泉村、上加納村の共同墓地で、尾張藩の御仕置場でもありました。
戦前は、若宮町通りは狭く、置屋もある色町でした。
女性の参拝者が多かった。
1940年(昭和15年)頃は立像ではなく、寝釈迦が本尊だったと伝えられています。
1945年(昭和20年)の岐阜空襲の時、鐘は供出し、木造の鐘つき堂も消失。
まだ、焼け野原だったころ、浮浪者が大勢境内で寝起きしていました。
柳ケ瀬の人々からプランが持ち上がり、劇場の舞台づくりの経験がある柴田光次郎が、工事を引き受ける。
10メートルあまりのそびえ立つ地蔵が1か月で完成したが、中は木箱で空洞であった。
繁華街のシンボルとなり、主として花柳界の人たちが商売繁盛を祈った。
子安地蔵や、力地蔵水かけ地蔵など色とりどりの地蔵があり、朝から参拝の人が絶えず、毎月24日のお地蔵さんの命日はとりわけ参拝者が多かった。
竜宮門
竜宮門の両脇には、仁王門のごとくお地蔵さんが安置されてました
子安地蔵さんでしょうかね?
この2体のお地蔵さんは子供を抱いていたから
以前は山門ではなく、約10メートルのお地蔵さんが立っていたそうです
仁王門とか二天門はよく出会うけど、地蔵門って珍しいかも
とか思いつつ、竜宮門をくぐりました
竜宮門はコンクリート製(1994年4月建造)
子安地蔵は、一度拝むと良縁がまとまり、子宝に恵まれるとされてます
手水
ポンプが凄いね
本堂
ご本尊
弥八地蔵尊
詳しい話しはわかりませんが…
織田信長の家臣・加賀野井重信の子・弥八郎に関係するお地蔵さんのようです
由緒には弥八郎が埋葬地として開いたのが始まりのお寺とありますが、誰の埋葬地なのか・・・ちょっとわかりません
御利益とかもわかりません
赤い鳥居…鮮やかですねぇ
で…
このビル…
雰囲気が…
初めて見たような…感じ
赤い鳥居を潜ると…祠が2つ
何を祀っているのか…わからん
草むらの中に…
お地蔵様がかくれんぼしてましたぁ
お顔…
誰かに似てるをやけど…
誰かな…
水かけ地蔵
無病息災のご利益があるそうです
無量壽院誓安寺
弥八地蔵は誓安寺が管理しています
誓安寺はかつて伊奈波神社付近にありましたが1916年(大正5年)に現在地に移転したんだとか
商業施設みたいな建物やね
荼枳尼天
荼枳尼天とは簡単にいうと仏教版のお稲荷さん
荼枳尼天と書いてダキニテンと読みます
もともとはダッキーニと呼ばれ、古代インドで人肉を喰う夜叉でした
6ヶ月前に人の死を知り、死ぬまではその人を加護し、死の直後に心臓をとって食べるといわれてました
そんな恐ろしい夜叉ですが、改心して仏道へ
日本では荼枳尼天が乗る霊孤を、日本古来の神・稲荷神の使いである狐と結びつけ、稲荷神と同一視されるようになりました
そのことから開運出世・商売繁盛・福財をもたらす神様として信仰されてます
このお寺のお地蔵様たちは個性たっぷりです
岐阜県岐阜市弥八町22
岐阜お土産シリーズpart1
岐阜県銘菓 飛あゆ 6個入り 756円
岐阜県の代表銘菓といえば、鮎(あゆ)の形をしたお菓子
お店ごとにネーミングや形に工夫がこらされているのが魅力的なんやって
鮎菓子に共通しているのは、「カステラ生地で求肥をまいていること、もちっとした食感であること」です
購入した鮎菓子は、跳ねる鮎をイメージしてつくられた「飛あゆ」
目と口にくわえて、胸ひれの焼印もありキュートですね
飛あゆは第20回全国菓子大博覧会で、名誉総裁賞を受賞しています
カステラ生地で求肥をまくのが鮎菓子の製法
カステラ生地の中に、求肥(おもち)が詰まっています
食べてみると、カステラ生地はふわっとやわらかい食感やぁ
そこにもちもちした求肥の食感が加わって、なんかふにゃーっと癒されるぅ~
味はシンプルで優しい味
餡は入っていないので、甘すぎません
小さいし、軽いので、けっこうバクバク食べれちゃいましたぁ