弘願寺から次は東南院へ
東南院 【とうなんいん】
金峯山寺が役行者によって建立された折、共に建てられた古い歴史をもつ寺院です。
日本の霊地では古来、そこに大伽藍を形成するにあたって、その土地を守護する役割を果たすものとして、巽(たつみ)の方角に小堂を設け、一山の安泰と興隆を祈念したとされています。
「巽」とは東南の方角のことで、東南院は、金峯山寺より東南に位置する、金峯山寺を守ってきた寺院なのです。
寛治六年(1092)には白川上皇が金峯山に参詣された際は、東南院を宿坊としているなど、宿坊としての歴史もあります。
また、東南院は、木曾の御嶽山(おんたけさん)とも縁が深い寺院です。
東南院に入門、修行していた覚明(かくみょう)は、修験の奥義を究めた後、一時衰退していたという御嶽山を復興しています。
山門
霊地を開くときに中心になる伽藍を建てると同時に、そこから巽(東南)の方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願するということが行われていました
金峯山寺建立時に、その東南の方角に役行者によって建てられたお寺が東南院なんよ
また、宿坊も営われていて、一般的なお寺とは少し違った一面もありますね
宿坊に泊まってみたいなぁ
本堂
役行者神変大菩薩をはじめ、金剛蔵王大権現、大聖不動明王、並びに八臂弁財天、毘沙門天、腹帯地蔵尊が安置されています
多宝塔
江戸初期に建立されたもので、和歌山県海南市の野上八幡にあったものです
しかし、昭和十二年、和歌山の松長定一氏の寄進によって東南院に移築されました
普通、党内の柱は丸柱を使いますが、この多宝塔内陣の柱は八角柱で、珍しい例とされています
東南院はまた、大峯山山上ヶ岳の大峯山寺護持院の一つであり、山上に参籠所があって、大峯修行する修験者達を迎えいれているんやって
塔内には大日如来坐像(県指定文化財)が安置されています