今回は
吉野山に桜を見に行ってきたぁ~
朝イチで家を出て…
8時に吉野山に到着
なんせ…
桜の時季はめちゃ人が
まずは
国宝の金峯山寺へ
金峯山寺 【きんぷせんじ】
吉野山から山上ヶ岳にかけての一帯は、古くから金の御岳(かねのみたけ)、金峯山(きんぷせん)と称され、古代から世に広く知られた聖域とされました。白鳳時代に役行者が金峯山の山頂にあたる山上ヶ岳で、一千日間の参籠修行された結果、金剛蔵王大権現を感得せられ、修験道のご本尊とされました。
役行者は、そのお姿をヤマザクラの木に刻まれて、山上ヶ岳の頂上と山下にあたる吉野山にお祀りしたことが金峯山寺の開創と伝えられています。
以来、金峯山寺は、皇族貴族から一般民衆に至るまでの数多の人々から崇敬をうけ、修験道の根本道場として大いに栄えることとなりました。
明治初年の神仏分離廃仏毀釈の大法難によって、一時期、廃寺の憂き目を見たこともありましたが、篤い信仰に支えられ、仏寺に復興して、現在では金峯山修験本宗の総本山として全国の修験者・山伏が集う修験道の中心寺院となっています。
黒門
金峯山寺の総門で、昔は大名といえども槍を伏せ、馬をおりて歩いたといわれる吉野山の関所的な存在
かつて、吉野山から山上が岳までの一帯に存在した金峯山寺蔵王堂の百を超える塔頭寺院の総門がこの門だったんやって
現在の建物は、蔵王堂の昭和大修理に合わせて建て替えられたものなんだとか
銅の鳥居(重文)
銅鳥居(かねのとりい)は蔵王堂の北方、北向きに建つ鳥居型の門で、重要文化財に指定されています
大峯山上に詣でるまでの間にある四門の最初にあたり、発心門(ほっしんもん)と称され、菩提心(ぼだいしん)を起こすところとされています
ここは、入峰修行の行場の一つで、「吉野なる銅(かね)の鳥居に手をかけて 弥陀(みだ)の浄土に入るぞうれしき」という秘歌が伝えられています
また、聖武天皇の勅願により東大寺大仏の余った銅で建立したという伝承があるんやって
『太平記』には、正平3年(1348)に高師直(こうのもろなお)が来攻した際に焼け落ちたとされ、室町時代に現在のものが建ったと言われています
仁王門(国宝)
仁王門は重層入母屋造り、棟の高さ20.3mの日本屈指の山門で、国宝に指定されています
本堂が南を正面とするのに対し、仁王門は北が正面
京阪神をはじめ北側から吉野大峯に入峰する人々を迎える門なんよ
門の左右には高さ約5mの仁王像が安置されており、阿形像は延元3年(1339)、吽形像は翌4年(1340)に南都の大仏師康成(こうじょう)によって造立
両像ともに重要文化財に指定されています
仁王門は、南北朝時代に建立されたと考えられており、平成30年より大修理に着手
現在、令和10年度の完成を目指して、この門の解体大修理事業に着手していました
大きいお寺なのに…小さい手水…
アンバランスが魅力の1つかな
蔵王堂(国宝)
蔵王堂は、金峯山寺の本堂
本尊金剛蔵王大権現三体のほか、多くの尊像を安置しています
蔵王堂は、白鳳年間に役行者が創建されたと伝えられてるんやって…
平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、『太平記』には正平3年(1348)に足利方の高師直(こうのもろなお)の来攻によって焼失、その後、天正14年(1586)にも焼失しました
現在の建物は天正20年(1592)ころに完成したものなんです
三体の本尊は秘仏であり、普段は見ることができませんが、中尊は7mを超える巨像
と…
言いつつ…ちょくちょく…御開帳されてるような…気がする…
威徳天満宮
威徳天満宮は如意輪寺を開いた日蔵が祀った社
伝説によると・・・
日蔵が大峯山中の笹の窟で修行を積んでいた時のこと
ある日、急に仮死してしまい閻魔宮へ行ってしまった
冥途を彷徨っていると、醍醐帝が現われて・・・
「生前は善政を行ったつもりだが、菅原道真を太宰府に流してしまった罪で死後の苦しみにあっている。
再び生き返って道真の霊を祀って欲しい」
と告げられた
こうして、この世に蘇った日蔵は、修行を終えると吉野山に戻り、威徳天満宮として祀ったのだと…
観音堂
本尊は十一面観音立像をお祀りしています
南北朝・室町時代ころに創建されたと考えられてるんやって
本尊十一面観音立像は南北朝の作とされ、脇に安置される阿難・迦葉尊者立像(あなん・かしょうそんじゃりゅうぞう)は、現在は廃寺となっている世尊寺(せそんじ)に安置されていたと伝えられています
愛染堂
本尊は愛染明王をお祀りしています
現在の堂は明和7年(1770)に経蔵として建立されたもので、その後護摩堂として使われていました
昭和58年(1983)、それまで蔵王堂に安置されていた愛染明王を遷座し、愛染堂と
この像は明治の初めに廃寺となった安禅寺に安置されていたものとか
久富大明神
聞き慣れない久富大明神
調べてみたら…
東京都世田谷区の久富稲荷神社が…
何か関係があるんかな
東京の久富稲荷神社には、宇迦之魂が祀られていると言います
同じ「久富」を冠する神社ですから、穀霊神を祀るお社なんかな
二天門跡
二天門はかつて蔵王堂の南に南面して建っていた門で、大峯から出峰してきた行者を迎える門やったとか
元弘3年(1333)1月16日、鎌倉幕府が攻め寄せたとき、村上義光(むらかみよしてる)が大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)の身代わりとなって、二天門で切腹したという伝説があります
江戸時代の絵図の中には二天門を描くものがありますが、実際には南北朝時代の焼失後、ついに再建されることはありませんでした
現在二天門跡には、「二天門跡村上義光公忠死之所」と刻まれた石柱がたたずんでいます