今回も奈良
まだまだ大和路は続くんだぁ
まずは…
近鉄新大宮駅に降りて3キロの道を歩いて大安寺へ向かいます
大安寺 [だいあんじ]
聖徳太子の熊凝精舎が舒明天皇により百済大寺として、天武天皇により高市大寺にそして大官大寺と改め、天武天皇の崩御後、その遺志は持統天皇、文武天皇へと引き継がれ平城遷都とともに平城京左京に遷地され大安寺と称され、六宗兼学の大寺院として南都にその偉容を誇りました。
南門
南門は興福寺旧一乗院の門を移築、復元したもので、旧南大門の基壇の上に立っています
正面から見ると、いたって簡単な形式の門です
が……
南門は興福寺旧一乗院の門を移築、復元したもので、旧南大門の基壇の上に立っています
正面から見ると、いたって簡単な形式の門です
が……
内側に控え柱を立てて貫でつなぎ、そこに本屋根と直角に少し低く屋根を置いているぅ〰️
つまり屋根がコの字型におかれていることになるんやねぇ
これで、本屋根の軒出が少なくても、門を全開したときに扉が濡れずにすむのです
このような門の構造を『高麗門』といいます
これで、本屋根の軒出が少なくても、門を全開したときに扉が濡れずにすむのです
このような門の構造を『高麗門』といいます
手水舎
手水鉢が凄くいいなぁ〰️
カッコいい……
ん?
何やら…小人達が…
本堂
桁裄三間、梁間四間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付で宝形造の本堂は比較的珍しいのでは……
桁裄三間、梁間四間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付で宝形造の本堂は比較的珍しいのでは……
御本尊
十一面観音菩薩立像 (重文)
像高191cm、木造、奈良時代後期なんやてぇ
通常は秘仏、特別開帳10月1日~11月30日
大安寺に残る天平仏九体(重文)の一体なんやぁ
大安寺に残る天平仏九体(重文)の一体なんやぁ
頭部は明らかに後補と判り、体部との差が目立ち、お顔はやや伏し目がちで、須弥壇の厨子内にお立ちなので下方から拝することになり不思議な感覚になるんですって
胸部瓔珞や条帛、天衣の彫りは浅いですが柔らかくまとめられてるとの事です
ここの十一面観音立像はがん封じに凄く御利益があるとの事ですよ
ここの十一面観音立像はがん封じに凄く御利益があるとの事ですよ
嘶堂 (いななきどう)
馬頭観音を祀るお堂です
馬が嘶くからか、少々駄洒落的発想ネーミングのお堂やぁ〰️
憤怒の形相、一面六臂の罵頭観音がまつられてるんですぅ
3月だけ公開される秘仏って事で行った時は公開してたぁ〰️
嘶堂本尊馬頭観音立像 (重文) (秘仏)
像高174cm,木造、奈良時代後期。毎年3月1日~31日公開
馬頭観音様は、頭上に馬頭をいただく忿怒の形相ですが、この像には馬頭がありません
儀軌以前の古像で、馬頭観音の原初の姿とも考えられているそうです
護摩堂
毎月第2日曜日護摩供養が行われていますぅ〰️
宝物殿へ……
こちらの宝物殿は讃仰殿(さんぎょうでん)って言うんやって
以前に来た時となんか…違う
楊柳観音立像(重文)
つり上がった大きい眼、かっと開いた口、そこには舌と歯が表された忿怒相の観音様です
楊柳観音立像(重文)
つり上がった大きい眼、かっと開いた口、そこには舌と歯が表された忿怒相の観音様です
胸と腹部の間に、下裳を締めているようにもう一つの石帯が刻まれているのは、珍しいですなぁ
不空羂索観音立像(重文)
興福寺・南円堂の不空羂索観音 や 東大寺・法華堂の不空羂索観音 のように宝冠を付けていません
飾りが何もなく簡素な像で、台座までを一材で彫り出しています
八臂像ですが、持物がないので、言われなければ私には不空羂索観音とはわかりません
聖観音立像(重文)
大安寺の聖観音は、榧の一材から頭部より台座まで彫り出された一木彫です
胸部にニ連の胸飾りは連珠と瓔珞がお見事〰️
四天王立像(重文)
3体の観音様が170センチ~190センチであるのに対し、四天王像は持国天が約150センチ、他の3体はいずれも約140センチと、やや小柄です
四天王立像(重文)
3体の観音様が170センチ~190センチであるのに対し、四天王像は持国天が約150センチ、他の3体はいずれも約140センチと、やや小柄です
この4体は本来一対ではありませんでしたが、広大な大安寺伽藍の中で複数祀られていた四天王の内、奇しくもこの4体が残存されました
邪気を踏まず岩座にすっくと立ちます
岩座は中国の魏々たる山塊を形取り、仏教の須弥山を象徴しています
今回はこちらで朝食を