誕生寺から歩いて5分くらいかな
久しぶりに徳融寺へ
徳融寺 [とくゆうじ]
かつてならまちエリアの別の場所に建っていた「元興寺の子院」にその創建の由来をたどることになります。
かつてならまちエリアの別の場所に建っていた「元興寺の子院」にその創建の由来をたどることになります。
現在の場所での歴史は、江戸時代になる直前の天正18年(1590年)にこの地に移転してきてからのものであり、現在ある本堂などはその後江戸時代の寛文7年(1667年)に整備されたものであり、基本的には近世の香りが漂うお寺となっています。
また、近くにある「誕生寺」「高林寺」などと同様、「当麻曼荼羅」を生み出した人物としてとりわけ現在の「葛城市」ではゆるキャラにもなっている「中将姫」ゆかりのお寺になっており、このお寺は中将姫の父親である藤原豊成の邸宅跡に建っているとされているほか、中将姫が生まれ育った地という伝説にちなんだスポットが境内にあり、豊成と中将姫の2人をお祀りした石塔(墓所)なども設けられています
「餅飯殿商店街」・「下御門商店街」周辺からそのままならまちエリアの町並みを南に進んでいくと、坂道を下って「奈良市音声館」を通り過ぎた付近で右手に比較的立派な徳融寺の山門が見えて参ります
山門をくぐり抜けると、比較的立派な参道が設けられており、見方によっては「元興寺(極楽坊)」よりもしっかりとしたお寺の「伽藍」が残されたような貴重な空間になっていましたぁ
本堂
近世建築である建物があり、こちらに本尊である阿弥陀如来立像が安置されていますよ
本尊阿弥陀如来立像
本堂に安置されている阿弥陀如来立像は、鎌倉時代の作とされており、元々は源頼朝の妻である北条政子が「念持仏」として自ら所有していた仏像を、北条氏との関わりも深かった西大寺ゆかりの「忍性」菩薩が受け取り、最終的にはこのお寺に安置されることになったとされてるんやってぇ
本堂の入り口付近に立つと、その静かな風情の割には、江戸時代に発展したお寺らしいどこか「親しみやすい」雰囲気を感じることもできますなぁ
近世建築である建物があり、こちらに本尊である阿弥陀如来立像が安置されていますよ
本尊阿弥陀如来立像
本堂に安置されている阿弥陀如来立像は、鎌倉時代の作とされており、元々は源頼朝の妻である北条政子が「念持仏」として自ら所有していた仏像を、北条氏との関わりも深かった西大寺ゆかりの「忍性」菩薩が受け取り、最終的にはこのお寺に安置されることになったとされてるんやってぇ
本堂の入り口付近に立つと、その静かな風情の割には、江戸時代に発展したお寺らしいどこか「親しみやすい」雰囲気を感じることもできますなぁ
観音堂
中に入らせて頂けましたぁ
中に入らせて頂けましたぁ
こちらも特別拝観がされてました
子安観音立像
観音堂にある平安時代の作と伝わる「子安観音立像」は、生まれてすぐの赤ん坊を「抱きかかえる」のではなく手指で慎重に持ち上げるようなお姿を表現した大変珍しい仏像なんやでぇ
観音堂にある平安時代の作と伝わる「子安観音立像」は、生まれてすぐの赤ん坊を「抱きかかえる」のではなく手指で慎重に持ち上げるようなお姿を表現した大変珍しい仏像なんやでぇ
日本仏教というよりは西洋における宗教的モチーフのような雰囲気すら感じさせる独特の佇まいをしておられましたぁ〰️
薬師如来坐像
こちらも観音堂に安置されており、やはり平安時代の作と伝わる「薬師如来坐像」は、厨子の中に納まる小さなサイズとなっていますが……
どっしりとお座りになった姿は思いのほか重厚感を感じさせるものとなっています
綺麗な鐘
どっしりとした鐘楼やね
吉村長慶像
他のゆかりの地にも複数見られる「長慶像」の中でもとりわけスマートな像となっており、像をよく見ると「帝国憲法」などと記されたものを握りしめる様子も描かれているなど、近代日本を生き抜く中で自分なりの「表現」を行ってきた様子がよくわかるものにもなってますね
庫裡
こちらも素敵な建物やね
長慶氏らしい石造物「世界二聖・大日如来像」
キリストと釈迦の間に「長慶氏」自らを描いたというやや自己顕示的な作品ですが、このような作風が「豪傑」らしい長慶氏の真骨頂
なお、記されている内容に問題があるとして戦前の官憲に目を付けられたため、秘仏扱いとなっていたというこれまたユニークな歴史を持っています
奈良県奈良市鳴川町25
奈良町庚申堂(ならまちこうしんどう)
奈良で最も有名な観光ゾーンの一つ
「ならまち」エリアの中心部にある、比較的小さなお堂なんよ
このお堂は、周辺一帯で現在も信仰されている「庚申さん」の信仰拠点として用いられているもので、ならまちにおける庚申信仰の特徴である「身代わり申(さる)」がびっしりと吊り下げられているほか、お堂のあちこちに「お猿さん」をかたどった像が設けられています
庚申信仰とは、簡単に言えば、いわゆる干支の組み合わせで、「かのえ・さる」となる日に災厄が来るので、様々な儀式や寝ずの番などを行って災厄から逃れるという内容が主となっており、その災厄を連れてくる神の使いである「三戸(さんし)の虫」と呼ばれる存在が、「猿」が嫌いであったことから、ならまちでは「身代わり申」として大量のお猿さんのぬいぐるみを町中に吊り下げるという風習が生まれたとされています
この庚申堂の発祥の由来としては、奈良時代ごろ、周辺が「元興寺」の境内であった時代に仏教における「青面金剛」がこの地に現れるという事件が起こり、その日が「庚申の日(かのえ・さるの日)」であったことから信仰が始まったとされていますが、住民の信仰が深まったのは「ならまち」成立後、すなわち少なくとも中世以降と考えられますので、詳しい信仰の歴史は不詳となっています
お母さんお猿
女性って珍しいかも
提灯の近くには、膨大な数の「身代わり申」が吊るされており、信仰の深さをうかがうことができます
これが…フォトスポット
帰り道
餅飯殿町でめちゃいい香り・・・
香りにつられて・・・
大和流たこ焼き文字・・・
奈良県発祥の外カリッッ中トロッッを極めた大仏様をも唸らすくらいとびきりうまいたこ焼ということなんやって
粉もん屋 八 さんにお立ち寄りやぁ~
5個 350円
味付けは
ソース
醤油
ポン酢
元祖みそ
元祖みそってなに???
からで
トッピングはマヨネーズ、ねぎ、かつお、青海苔、紅しょうがを好きにカスタマイズ
みぞかつは
醤油に全トッピング
外のカリッと感はそこまで強くはなかったですがたしかに中のとろとろ感はかなりのもので旨いたこ焼き
中にもたこ以外にも牛すじも入っていますね、この牛すじもとろとろ加減がなんともたまりませんなぁ
外のカリッ
中…とろは
銀だこの方が・・・・
でも
美味しかった
近鉄奈良駅から447m
奈良県奈良市餅飯殿町42番地 OK広場内