元興寺から次も元興寺~
と…行っても…塔跡に
元興寺はもともとめちゃ広い境内だったんやね
元興寺から歩く事…10分!
元興寺 塔跡【がんごうじ とうあと】
「元興寺塔跡」は、奈良町の中心部、「御霊神社」の北側、道沿いから見える「元興寺塔跡」の碑に沿って奥へ入っていった先にある小さな「お堂」と「遺跡」のある空間です。
ならまちエリアには「元興寺」と名乗る場所が3つあり、この「塔跡」のある「元興寺」は、東大寺と同じ宗派の「華厳宗」元興寺として、世界遺産を持つ「真言律宗」元興寺とは違う寺院という扱いになっていますが、元々はどちらも大寺院であった元興寺の一つの伽藍の中であり、往時の元興寺の規模が伺えます。
なお、塔跡の近くにある観音堂内には木造不動明王坐像がありますが、基本的に自由に内部を拝観することは出来ません。そのほか、かつてこのお寺に存在した国宝の薬師如来立像は、奈良国立博物館に収蔵されています。
元興寺塔跡には2つの門があり、町家が立ち並ぶ道路沿いに近い門を越えて東にしばらく進むと、更に立派な山門が建っています
駐車場化してるのか…イヤ…
重厚な山門には、「元興寺」と記された扁額が掲げられています
元興寺と元興寺塔跡とは別の宗派とか
元興寺は、宝徳3年(1451年)の土一揆による焼き討ち以後、寺は智光曼荼羅を祀る「極楽院」(現・極楽坊)、五重塔を中心とする「観音堂」(現・塔跡)、それに「小塔院」の3つの寺院に分裂しました
東塔は高さ推定約50メートル(古記では約72メートル)の五重塔でしたが、1859(安政6)年に焼失しました
現在は基壇と礎石を残すのみ
塔跡から出土した元興寺塔跡土壇出土品(国重文)と、薬師如来立像(国宝)、木造十一面観音立像(国重文)は奈良国立博物館に寄託されています
手水らしき物が…
これに…手を突っ込む勇気…
ありますかぁ
観音堂(仮堂)
うっそうとした木々に囲まれた…
って…
冬やから…ない
お堂は火災などを受けて建立された「仮のお堂」とは言え、独特の雰囲気を漂わせていますが、基本的に堂内は開放されているわけではありません
御本尊
弥勒菩薩
中を覗くも…
なぁ~んも見えん
本堂前に
龍様~
めちゃカッコよくないですかぁ
稲荷社
古めかしい鳥居と小さなお社、そして堂々と立ちはだかる「お稲荷さん」の姿は、数多くの草花に囲まれた「お庭」の中では一層神秘的な雰囲気を感じさせる空間となっています
鐘楼
貼り紙
鐘を撞くないでね…って…
仏足石~
元興寺塔跡とはどんな「遺跡」なのか?それはその名の通り昔は一大寺院であった元興寺の往時を偲ばせる、わずか150年ほど前の幕末まで存在した「五重塔跡」の史跡
五重塔は、安政6年(1859年)に火災で焼失しましたが、焼失前の塔の高さは現在の奈良県内にあるどの建造物よりも高い、70メートルを超える高さであったとも伝えられており、この高さが事実であるとすると、京都東寺の五重塔をも上回ることに
現在興福寺にある「五重塔」も、室町時代に再建される際にはこの「元興寺五重塔」の建築を参考に再建が進められたとも言われています
なお、現在残される「痕跡」は、基壇と礎石のみとなっていますが、礎石の大きさから圧倒的な「五重塔」の規模を想像することができますね
地蔵堂
一切悪事皆消滅?と掲げられていました
啼燈籠
元興寺塔跡の見どころの一つとしては、正嘉元年(1257年)の刻銘があり、年代が記されたものとしては奈良市内で最も古い石燈籠の一つである「啼燈籠(なきどうろう)」と呼ばれる燈籠があります
この灯篭は昭和初期に倒壊した後、2010年に再び元の形に修復されたものですが、姿かたちは往時のままとなっています
ちなみに、「啼」という音の通り、この燈籠からはかつて鳴き声のような音がしたという伝説が残されています
奈良県奈良市芝新屋町12
柿の専門さんに行ってきたぁ~
その名の通り柿を使用した商品の専門店で
ちょっと気になる商品が有ったので伺いました
お店は三条通とやすらぎ通りの交差点北東角で、JR奈良駅と近鉄奈良駅の中間くらいに位置してます
外観、店内ともに白と木目を基調とされており、シンプルで清潔感漂いますね
蜜珠柿という干し柿を買いました
324円なり~
奈良吉野の種無し柿を、丁寧にひとつひとつ皮を剥き干しあげたあんぽ柿
独自の製法で完熟した柿を乾燥させており、美しいあめ色と、蜜を含んだような濃厚な味わいが特徴なんよ
食感はモチモチ
和菓子を食べているような感覚を覚えます
しかも、とても甘くて柿の甘さを凝縮したよう
まさか、これが干し柿だとは思いもよりません
和菓子と言って出されても気づけないかも
絶品やな
近鉄奈良駅から269m
奈良県奈良市上三条町27-1 村田ビル 1F