摂津西国巡礼も残り…2回
終わりが…すぐそこに
妙法寺から板宿駅方面に2キロほど歩いて…戻り
そこから勝福寺へ向かいます
勝福寺 【しょうふくじ】
桂尾山勝福寺は真言宗高野派高野山如意輪寺末で、本尊は聖観音菩薩。988(永延2)年の創建から千年以上の歴史を持つ古刹です。
太政大臣藤原伊尹(これただ)の三男、英雄丸が高野山で修行中、摂津の国神撫山(今の高取山)附近に出没する鬼人を平定せよとの勅命を受け、山麓に草庵を設けました。
そこで日夜修法を行い祈願退散したことがこのお寺のはじまりとされています。
山門
開山当時は7堂伽藍、36坊を有する大寺院であったみたいやけど
山津波や戦火に遭い、堂塔、宝物などを失い、現存するのはわずかに山門と庫裏のみとなっているんです
手水〜
って…
メダル…
山門の所にあるから…手水だと思った
本堂の所に手水処って書いてある〜
皆…メダルの所が手水だと思うから書いてるんやね
でも…ね…
手水って…
こんな質素でしたっけ………
本堂
明治32年(1899)再建するも昭和13年(1938)の阪神大水害で倒壊
平成20年(2008)再建
勝福寺の後ろにある飛松岡に「松岡城」があったと言われています
砦ほどの簡素なものだったとされる松岡城が歴史の舞台に出てくるのは観応の擾乱の時
観応の擾乱は、足利尊氏が弟・直義(ただよし)と敵対関係になり、3年にわたって続いた室町幕府の権力闘争
この時、足利尊氏は直義の軍と御影の浜で戦って敗北
参謀の高師直(こうのもろなお)らとともに、松岡城に逃れ、たてこもったんやって
手兵がわずか500名になってしまった尊氏は、今はこれまでと切腹を決意する。…がまさにそのとき、尊氏の家臣饗庭命鶴(あえばみょうづる)が直義軍と和議が成立したとの知らせを持ってきた
幸いにも和議が成立して、尊氏は危ないところを助かり、山陽道を京へと帰っていった
現在の勝福寺山門の南西、寺の代々の住職の墓のある所がハラキリ堂と呼ばれているらしく、まさしくその当たりで尊氏さんが切腹しようとしたところであろうと言われているそうですよ
この地でもし尊氏さんが腹を切っていたら…須磨で歴史が大きく変わったのかもしれませんね
御本尊
聖観世音菩薩
弘法大師が作られた一刀三礼の聖観世音菩薩
一刀三礼とは一回彫る毎に三度礼拝するって事なんだって
鐘楼
梵鐘は延宝2年(1674)の鋳造
毘沙門堂
なぁ〜ん見えん
お地蔵様
そして…
小さいダルマ達
ここが…代々の住職の墓
そして…
この尊氏さんが切腹しようとしたところなんやね
四国八十八ヵ所のお砂踏みの入口
霊場は大正14年(1925)に完成なんやって…
入口に入った所にあった法師様
ん?
お顔にひびが
法師様じゃないのかも…
割れたら…不動様が出てきたら…びっくりするよなぁ
庫裏
この庫裏と山門は古い建物なんよね
どっしりと…
歴史を感じる
境内から見た長田の街
阪神淡路大震災の時は…
地獄みたいな光景だったんやね…
摂津国八十八箇所 第八十七番札所
兵庫県神戸市須磨区大手町9-1-1
創業68年になる老舗和菓子屋、明月庵本舗さん
板宿商店街の中心にあって
何やら香ばしい香りに誘われて…
立ち寄ってみることに
この香りの正体はみたらし団子やぁ〜
団子を買おうと思い
ふと・・
壁を見ると・・・・
葛あいすって書いてあるじゃないかぁ~
この日はちと暑い日で喉がカラカラ・・・
もってこいの食べ物を発見だぁ~
フルーツミックス、いちご、もも、オレンジ、あずき、神戸サングリア、マンゴー、ブルーベリー、メロン、パインと種類は多いんやぁ
値段は…237円
あかん・・・
めちゃ悩む・・・
悩んで悩んで・・・
買ったのがいちご・・・
定番を選ぶみぞかつ・・・
後々から・・
神戸サングリア・・・
めちゃ気になる・・・
で・・・
いちごは
これでもか!というくらいいちががそのまんまたっぷり入っていて、葛をベースにしてるので、アイスなのに溶けないという、不思議なアイス
食感は、葛だけに、もっちりして、優しい甘さで美味しい
食べ歩きには持ってこいでした
板宿駅から224m
兵庫県神戸市須磨区飛松町2-4-4