昆陽寺から2キロ弱
この日はめちゃ歩いた
大空寺へ
こちらも最近行ったなぁ
大空寺 【だいくうじ】
天平年間(724~49年)行基菩薩によって創建された寺と伝えられています。
天正7年(1579年)織田信長の荒木村重討伐の際の兵火に遭い、藤原時代の本尊の聖観音菩薩を焼失しており、時の住職がそれを嘆き、脇侍の延命地蔵菩薩を本尊として安置したと伝わっています。
後に聖観音菩薩は再興されて観音堂に安置され、その脇侍として不動明王と毘沙門天が祀られていました。
観音堂
阪神淡路大震災では全壊はまぬがれんやけど…
建物は傾いたんやって
観音堂は不動堂へ変更し、不動明王と毘沙門天お祀りしています
祖光殿
納骨堂って感じかな
鐘楼
鎌倉時代の代表的建築といわれていたんやけど…
阪神淡路大震災により倒壊
現在は再建
樹齢数百年といわれ、15mほどもある松の枝は、仏法を守護するといわれる龍の姿を思わせ、寺院のシンボルとなっています
仲良く並んでます
鎮守社
なにを祀ってるんか…
わからん
摂津国八十八箇所 第六十三番札所
兵庫県伊丹市野間6-5-5
大空寺からJR猪名寺駅まで…4キロ
もう足がパンパン
駅まで行く途中に茅葺きの施設みたいな…
気になり…近づくと…普通のお家
めちゃ素敵なんですけどぉ〜
猪名寺駅近くに御願塚古墳ってあったから寄り道を
御願塚古墳の全長は52メートルで,前方部は前幅19メートル,長さ13メートル,高さ2メートル
後円部は直径39メートル,高さ7メートルで,その周囲の濠(ほり)の幅は8~11メートル
墳頂部(ふんちょうぶ)は平らに削られて南神社がまつられています
被葬者(ひそうしゃ)を埋葬した主体部はほとんど不明ですが、明治8年(1875年)に地元の人々により一部が発掘
その時地中より石組が現れましたが,それ以上の発掘は許可されず、詳細はわかっていません
また,御願塚古墳を中心として200~300メートルの範囲内にかつて満塚(みちづか)・掛塚(かかりづか)・温塚(ぬくめづか)・破塚(やぶれづか)と称する塚地が存在していましたが,現在は消滅しています
「御願塚」の地名は御願塚とこれら4基の塚とをあわせて「五が塚」と呼んだことからという説もあります