今回は大阪のJR大阪環状線の野田駅に照れ
そこから約1キロ歩いて野田恵美須神社へ爆笑

野田恵美須神社
(のだえびすじんじゃ)
当神社がいつごろ創建されたかということは、古い記録が残っていないので明らかではありませんが、これを推定する一つの手がかりがあるのです。

それは神社に保存されている御影石の建石で、それには表面に「ゑみすのみや」と刻まれ、側面に「永久三乙未年三月」と刻まれています。

永久三年というのは平安朝の末期、西紀1115年ですから今から890余年前になります。

建石そのものはその時代のものではなく、遥かに後世につくられたものですが、それにしても、ここに刻まれている永久三年という年が、全く無意味なものとは考えられません。

恐らく神社にとって何かたいせつな年、記念すべき年であったに違いないでしょう。

あるいはこれが神社創建の年として人々の間に伝えられていたのを後世の人がこの建石に刻んだのかもしれません。

あるいは神社の創建はもっと古くて、この年に神社に何か大きなできごとがあって、この年が永く記憶されたのかもしれません。(由緒では 永久元年とされています。)
 
一方、平安時代のこのあたりの土地の様子を考えてみますと、そのころは大阪湾が今よりもずっと奥深くはいり込んでいて、その中にいわゆる難波八十島なにわやそじまが点在していたといわれています。

その多くの島々が淀川の堆積作用によってだんだん連続するようになり全体が陸地に化していく。そういう状態でありました。

したがってこのあたりは平安時代の末頃から開発され始めたと考えても決して不自然ではありません。

かれこれ考え合わせますと、どうやら神社の起源は野田の土地の開発と密接に関係しているようです。 

ところでここに「エビス様」がお祀りされているのはどういうわけでしょうか。

元来「エビスの大神」は古くから漁業の神として、漁民たちが信仰していた神様でありました。

エビス様といえば右手に釣竿を持ち、左手に大きな鯛をかかえたお姿を思い浮かべられるでしょう。

もちろんこのような御神像ができるのはずっと後のことですが、漁民との深いつながりは古くからあったのです。

このことを考えますと、当初この地を開発したのは漁業を営む人々であったと推定できます。

今から890年以上の昔、初めて野田の地に住みついた漁民の一団が、自分たちの信仰するエビスの大神をお祀りした、これが当神社の起源であるということになります。


鳥居
えびす様と言って想像するのは片手に鯛を、もう片手には釣竿を持っている姿だよねえー

その通り〜チュー
えびす様は漁業の神様照れ
平安時代の福島区は大阪湾が深く入り込んでいて、多くの島々が点在しており、その島々が淀川の堆積作用により、だんだん陸続きとなり、今の地形になったと言われていますプンプン

この頃この地に初めて住み着いた漁民の一団が、自分たちの信仰する"えびすの大神”をお祀りしたのが恵美須神社の起源なんやね照れ
そんな野田恵美須神社で行われる夏祭りは、海から幸をもたらす神様だけあって、大迫力の鯛鉾や太鼓、地車が町を駆け回り野田の夏を彩る一大イベントとして、多くの人に愛されています爆笑

また、十日戎(宝の市大祭)は普段の静粛な雰囲気から一変、多くの方で賑わい、いかに永年地域に親しみ、人々の心のよりどころであるかが感じられますニヤリ


手水舎
柄杓はないけど…
コロナ禍の姿やねえー


拝殿
御祭神
事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
八幡大神(やはたのおおかみ)

当初この地を開発したのは漁業を営む人々であり、漁民の一団が自分たちの信仰する「エビス大神」をお祀りしたことが起源プンプン

そのエビス大神こと事代主大神を本殿の中央にお祀りし、相殿の右手に天照皇大神、左手に八幡大神を祀っていますニヤリ

社殿は本殿・幣殿・拝殿の3棟から成り立っており、幣殿と拝殿は明治33年に建築爆笑

ご祭神はえべす様以外にも最高神である天照皇大神や八幡宮の神である八幡大神を祀っており、商売繁盛・開運・勝運のご利益があります照れ


狛犬
明治40年生まれのブロンズ狛犬プンプン
小顔で精悍な狛犬やね爆笑


熊野社        
御祭神        
伊弉冉大神

熊野大社は紀州の熊野三山の神で、所願成就の神として崇められていますプンプン


金刀比羅社    
御祭神    
大物主大神

讃岐の金刀比羅宮の神で、海上守護・漁業守護や福徳開運の神として崇められています照れ

稲荷社        
御祭神
宇賀之御魂大神
少彦名大神
船玉大神

京都伏見稲荷大社の稲荷神で商売繁盛・五穀豊穣の神として崇められています照れ


捕らわれたお狐様ガーン
なぜ…
お狐さまばかり網の中にショボーン
狛犬さんは自由なのにねえーん


神輿庫
素敵な建物やね照れ
この日は祭りの準備で境内には神輿が出てまさした爆笑


蔵?びっくり
何が入ってるか…気になりよなぁえー


日露戦争の戦没者を慰霊するために建立された碑プンプン

1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて大日本帝国(日本)と南下政策を行うロシア帝国との間で行われた戦争プンプン

朝鮮半島と満洲の権益をめぐる争いが原因となって引き起こされ、満洲南部と遼東半島がおもな戦場となったほか、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられたんですプンプン

最終的に両国はアメリカ合衆国の斡旋の下で、ポーツマス条約を締結したんよねえー


授与所
絵馬は5種類から選べるんやって照れ
5種類とは…えー

その他に錦袋入りお守りやお札やおみくじなどいろいろ購入できます照れ


大阪府大阪市福島区玉川4-1-1


大阪市中央卸売市場
大阪市内にある大阪市立の中央卸売市場で、野菜、果実、水産物、食肉類などの生鮮食品を取り扱い、生鮮食料品流通において中心的な役割を担っています照れ

卸売市場法に基づき、地方公共団体が農林水産大臣の認可を受けて開設する中央卸売市場は全国に64市場あり、大阪市には野菜、果実、水産物などを取り扱う本場と東部市場、そして肉類を取り扱う南港市場の3市場がありますプンプン

中でも本場の取扱高は東京都の豊洲市場に次いで日本国内第2位の大規模集積市場として知られています爆笑

1918年に起きた「米騒動」で、生鮮食料品を初めとした食の安定供給が困難になった時、取引の正当化や適正な価格形成を目的に1923年に中央卸売市場法が制定され、1925年3月に大阪にて中央卸売市場開設の許可がおりましたプンプン

1931年11月には現在の福島区野田にて中央卸売市場本場が開場えー

以降、生鮮食料品流通の基幹をなすシステムとして発展を続けており、平成元年度からスタートした本場の建替整備も2002年に完成しました照れ


大阪市中央卸売市場本場の大輝さんへウインク

朝4時から営業しているんやってびっくり


店内に入るとテーブルのみの綺麗な食堂で
メニューブックを開けると何て豊富なラインナップ照れ

定食/麺類/丼モノ/単品料理と数が多く
迷いった末に注文したのは…キョロキョロ
鮭ハラス塩焼き定食 (650円)爆笑

この日のオススメメニューなんよウインク

脂ののったハラスを香ばしく焼き上げて…ニヤリ
お箸いれるとジュワッ…爆笑
白ごはん、味噌汁に小鉢三つついてこの値段プンプン
安すぎですね照れ

大阪メトロ千日前線「玉川駅」6番口から徒歩8分
JR大阪環状線「野田駅」から徒歩10分
大阪府大阪市福島区野田1-1-86 大阪市中央卸売市場本場 市場東棟1F 南4通り Q-4