大和郡山 最後はお城巡りです
お城の前に…柳澤神社
柳澤神社 【やなぎさわじんじゃ】
初代郡山藩主・柳沢吉里の父であり、5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人の柳沢吉保を祀る神社で、1880年(明治13年)10月29日に創建されました。
創建当時は現在、奈良県立郡山高校のある二の丸跡に社殿が建てられましたが、1882年(明治15年)6月に現在の場所に移されました。
美しい形の神明鳥居やね
ちょうどこの向かい側には奈良県立郡山高等学校があるんやけど
県内有数の進学校で知られる郡山高校の真ん前に建つ鳥居
学問の神様にふさわしい場所やね
毎年3月末~4月初め頃の桜の時期に行われる「大和郡山お城まつり」では、境内に屋台が立ち並びにぎわうです
昔…
母方の実家が出店をしてまして…
子供の頃…めちゃ手伝ってましたぁ
当て物にたこ焼き、アイスクリームにオモチャなど…
楽しかった
手水舎
コロナで完全に立ち入り禁止
こんなのも珍しくないですかぁ
社号標
御祭神の柳沢吉保公の名が刻まれますね
「旧川越甲府城主柳澤美濃守吉保公」と書かれていて
ここ柳沢神社は、実在した人物を神様と仰ぐお社なんやぁ
拝殿
御祭神
柳澤美濃守吉保公
御祭神 柳澤吉保公 五代将軍綱吉公の幕臣となり、元禄元年一万石を与えられ側用人となります
英俊敏捷にして学を好み、将軍綱吉公の意をよくとらえ元禄七年には武蔵国川越城主で老中格となるんやぁ
宝永元年、甲府城主となり表高一五万石を与えられました
民の疾苦を問い、強く仁政を施し名士も多く細井廣澤、荻生徂徠は最もよく知られました
御子柳澤吉里公が甲府より郡山に国替えとなり、柳澤藩が一五万一千石余の大名として六代一四〇年、明治維新まで続いたんです
宝永六年綱吉公の死後、東京駒込(六義園)に移り隠退、正徳四年一一月二日没す
享年五七歳とか
こちらの鳥居も美しいよね
御祭神は不明とか…
奈良県大和郡山市城内町2-18
ここから大和郡山城だあ
天守台(大和郡山城の天守)
大和郡山城には1580年(天正8年)頃の筒井順慶の時代に望楼型3重の天守があったみたい
この天守は筒井順慶の死後、養子の筒井定次が豊臣秀吉の命により伊賀上野へ転封となった際に伊賀上野城に移築
その後、豊臣秀保によって5重6階(または5重5階)の巨大な天守が築かれたたと伝わっていますが、詳細は不明なんだとか
なお、仮に存在した場合も、関ケ原の戦い後に徳川二条城へ移築された説や、大和大地震で倒壊したという説、さらには逆さ地蔵の祟りで倒壊したという説もあるそうです
ただ天守台の大きさなどから、この5重の天守については建築学的には否定されており、もう少し小さな天守が建っていたと推定されてるとか
江戸時代には水野勝成や松平忠明、柳沢吉里など多くの城主が入れ替わりますが、天守は再建されなかったようなんや
天守台は現在も残っており、天守台の石垣には多くの転用石が使用されているんや
なかでも「さかさ地蔵」は有名なんやで
また地蔵以外にも由来の変わった石は多く、平城京羅城門跡から運ばれた礎石と伝わるものなどもあるんだとか
大和郡山城の見所のひとつは、この10mを越す本丸の高石垣
内堀を一周するように細い道がありますので、ぐるっとまわって四方から見ることができます
近世城郭らしい、幅広の水堀やね
藤堂高虎がどこまで関わったかはわかりませんが、高虎は当時秀長の家臣であり、大和郡山城の普請に携わったことはまちがいなさそうなので、この高石垣も高虎の手によるものなのかもね
柳澤文庫
大和郡山城の本丸跡には現在、柳澤神社とともに、柳澤文庫があります
柳澤文庫では、柳澤家所蔵の書画などの作品のほか、郡山藩の公用記録をはじめとする藩政史料が公開されてるんよ
1960年(昭和35年)に第8代旧藩主にあたる柳澤保承(やすつぐ)を中心に財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会が発足し、翌年秋に地方史誌専門図書館として柳沢文庫が開設されました
その後、2013年(平成25年)に奈良県より認定を受け、公益財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会となったんです
また、柳沢文庫では年4回の展覧会(常設展・特別展)を開催し、文庫所蔵史料や市域の文化財などを紹介しているんやって
極楽橋
極楽橋は本丸の周りを囲む内堀に掛かっていた橋で、本丸登城の正式ルート上にあったとか
明治6年の廃城令により撤去されたとみられ、約150年ぶりの復活なんや
極楽橋は本丸と柳沢文庫のある毘沙門曲輪(びしゃもんくるわ)を結ぶ橋です
建造時期は不明だが、現存最古の正保年間(1640年代後半)作成の郡山城図に橋が描かれていることから、江戸時代前期から明治初めまでは橋があったとか
郡山城史跡・柳沢文庫保存会(柳沢とも子理事長)は、平成28年4月に旧郡山藩ゆかりの篤志家から極楽橋再建を目的とする3億円の寄付を受け、専門家でつくる郡山城極楽橋再建・白沢門櫓台(やぐらだい)整備委員会を設置
再建に向け、本丸側にある白沢門櫓台石垣の修復工事や発掘調査などを実施し、令和2年3月から再建工事を進めてきましたぁ
で…
今年3月に完成に完成
出来立てホカホカやぁ
追手門(梅林門)
郡山城ならびに追手門(梅林門)の由来
筒井順慶が織田信長の後援によって、松永弾正久秀を破り、宿願の大和統一の偉業をなし遂げて、天正八年(一五八〇)十一月十二日郡山にはいり、築城に着手
しかし、本格的な郡山築城は、天正十三年(一五八五)九月に、大和、和泉、紀伊三ヶ国の太守として豊臣秀長が知行高百万石をもって入城してからのこと
そのとき追手門もこの場所に築かれたものと思われるんです
秀長なきあと養子秀保、増田長盛とうけ継がれたが、慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦が起き、長盛は豊臣傘下として西軍に味方し大阪を守った
戦は西軍の敗北となり、郡山城は徳川方に接収されて、城は取り壊しとなり、建物のすべては伏見城に移された
廃城となった郡山の地は、代官大久保石見守長安、山口駿河守直友、筒井主殿頭定慶らが相次いで城番となり、預っていたんです
慶長十九年(一六一四)大阪冬の陣が起こり、藤堂高虎は十月二十五日、郡山に着陣し、戦闘配置についたものの、東西の和議が整い事なきを得た
翌元和元年(一六一五)四月大阪夏の陣の際時の城番筒井主殿頭は大阪方の誘いを断り、徳川方に味方したので大阪方の攻撃に遇い、福住に逃れたとか
五月八日大阪落城を知った定慶は、士道に恥じて切腹して果てたといわれているんです
戦後の論功において戦功第二となった水野日向守勝成が、六万石をもって郡山に封ぜられたけれど、城郭は全く荒れ果てていたので、石垣や堀の修築は幕府直轄事業とし、本丸御殿、家中屋敷などの家作は勝成の手で普請を進めた
しかし、在城わずか五年で備後福山城に移され、かわって戦功第一の論功を受けた大阪城主松平下総守忠明が、元和四年(一六一八)十月、十二万石をもって郡山城主となった
そのとき城には十分な建物とてなく、家康の命によって諸門を伏見城から再び郡山に移したので、近世郡山城の偉容は整ったんやね
追手門もその一つで、当時はこの門を一庵丸門と呼んでいたみたい
その後、本多内記政勝、政長、政利、松平日向守信之、本多下野守忠平、能登守忠常、信濃守忠直、唐之助忠村、喜十郎忠烈と続き、忠烈嗣なく本多家は断絶と
享保九年(一七二四)三月十一日、禁裡守護の大任を帯びて十五万石余をもって甲府城から郡山に移封なった柳澤甲斐守吉里は、一庵丸門を梅林門と名を替え、城は美濃守信鴻、甲斐守保光、保泰、保興、保申とうけ継がれ明治維新を迎えて廃城となり、すべての建物は取り払われてしまった
近時郡山城復興の声が高まり、第一次として市民の手による追手門が秀長築城にふさわしい姿で復原されたんです
追手向櫓(おおてむかいやぐら)
追手門(梅林門)を守るための櫓で、本多氏時代(一六三九~一七二三年)は大手先艮角櫓(おおてさきうしとらすみやぐら)と呼ばれていました
追手向櫓と呼ばれるようになったのは、柳沢氏入城後(一七二四年)のこと
櫓は明治6年に取りはらわれましたが、記録によると、下重(一階)は4間2尺に5間、上重(二階)は2間四方の二重櫓であったと伝えられています
追手向櫓は本多氏時代には大手先艮角櫓と呼ばれた2重櫓で、追手門を守るために建てられました
1873年(明治6年)に破却されましたが、1987年(昭和62年)に復元
手前にあるのは多聞櫓なんよ
旧奈良県立図書館
明治41年に奈良県最初の県立図書館として奈良公園内(現在の県庁の南側)に建てられたもので、昭和43年に郡山城内に移築
設計は奈良県技師の橋本卯兵衛が行ったとか
旧高市郡教育博物館(橿原市所在、明治36年竣工)も彼が設計したもので、類似した外観をもっているんやって
本館は木造2階建、入母屋造<いりもやづくり>、千鳥破風<ちどりはぶ>付きの主棟と、その両側に平屋建、切妻造<きりづまづくり>の翼部を配した左右対称の構成をとっています
木骨構造に和風の外観と洋風の内装を施した建物で、外観には日本の伝統建築の意匠が多く採用されています
県内の数少ない近代和風建築の中でもとりわけ重要な建物なんやぁ
1階ホールのみ見学できますよぉ
最近
お城の朱印を集めるも楽しくなってきましたぁ
近鉄郡山駅の東口降りてすぐの「粉もんや八」さんと店舗共用になっている、フルーツサンドがメインのお店 イチバンヤ (ICHIBANYA)さん
モノトーンでまとめられた落ち着いた外観から目を落とすと、色鮮やかに映えるフルーツサンドがショーケースにキラキラしながら並んでるぅ
思わず注文するのを忘れて、しばし見入ってしまいました
季節で変わるそうですが、フルーツサンドは年間通しておよそ10種類程のラインナップ
基本は一種類のフルーツと生クリームという組み合わせなんですが、チーズクリームやチョコクリームやカスタードクリームのものもあります
無難にいろいろフルーツが入っている
ミルフィーユ 431円
パンはキメ細かい生地で、もちもちしっとり飲み物要らずの食感
要冷蔵の保管状態ですが、パサパサ感は一切ありません
クリームは非常にコッテリしていて、甘さもそれなりに効いています
よほどコッテリが苦手な人でもない限り、重くは感じないと思いますが
フルーツそのものも全く問題なく、コッテリしたクリームに決して負けない、存在感のある甘味や酸味を感じさせてくれました
近鉄郡山駅から91m
奈良県大和郡山市南郡山町237-9