観音寺を出てランチを食べに行く途中に見つけた栄林寺
お立ち寄りぃ〰️
栄林寺 【えいりんじ】
名張旧町の中心である本町の初瀬街道に面して、榮林寺の山門が建つ。
寺院が集められた通称「寺町」にほど近いが、表通りに位置するのは、榮林寺だけです。
天正9年(1581)の天正伊賀の乱の際に、伊賀国の郷土・森田浄雲と戦って討ち死にした筒井順慶の家臣・菅田左衛門佐の弟が中興開山となった由緒のある寺院。
山門
がっちりとした山門
本堂
創建の詳細は不明との事
1711年の名張の大火は、この寺の下男部屋から出火したといわれています
その後、1720年に再び大火がおこったのち現在地に移転
江戸時代は念仏堂とよばれていたんやって
御本尊
木造阿弥陀如来立像
像高110㎝の木造立像で、慈悲の相と高雅な気風が漂っています
右手を腎より曲げて上げ、左手は軽く曲げ垂下
親指と人差し指を接した印相は上品下生印で来住する阿弥陀の印相を示します
衲着を通肩に着装し衣紋の流麗優美な表現などから、十七世紀桃山時代の制作と考えられていましたが、昭和四十一年十一月京都にて解体大修理を行った際に体内より墨書銘が発見され、「慶長十四年(1609)八月彼岸 堺の住人 休味 作之」との記録があり制作時期が確認されたんやって
(昭和四十九年八月五日 名張市文化財指定)』
弘法大師ですかぁ〰️
観音堂
十一面観音像と三十三観音像が安置されていました
で…
左側には…
薬師堂
明治になって廃寺となった薬師寺の本堂を1891年に移築したもので、薬師如来像・十二神将像が安置されています
芭蕉句碑
市人よ此傘の雪売ふ
文化14年に、名張の俳人たちによって建てられたものとか
この句は、芭蕉が雪の降る蛭子神社の祭りの際、栄林寺の門前で詠んだとも、名古屋の俳人・抱月のもとで、雪見の句として詠まれたとも言われてます
伊勢湾台風の時…
本堂の階段、2段目まで水に浸かったんです
その時…
梅の木も折れて…
当時の住職が折れた梅の木を立てたとか
何年か過ぎ…
皮だけのような姿になっても枯れる事なく
果実がたくさん付いていたとか
この日も実をつけてました
すごい生命力 本堂と同じぐらいの樹齢とも
三重県名張市本町204
少し名張のスポットを紹介するぞぉ〰️
江戸川乱歩生誕地碑
江戸川乱歩にとって生まれ故郷の名張は、生後まもなく転居したせいもあって、“見知らぬふるさと”でありましたが、1952年(昭和27年)に、乱歩は選挙の応援演説を引き受けて名張にやってきました
そして、この帰郷がきっかけとなって、生誕地碑の建立が計画され、かつて乱歩の家があったところに石碑が建てられたんです
除幕式は、1955年(昭和30年)11月3日、乱歩夫妻の臨席のもと盛大に催されたんだとか
石碑には「江戸川乱歩生誕地」という文字のほかに、乱歩の書いた「幻影城」「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という言葉が刻まれています
江戸川乱歩は、その生涯でおよそ140の作品を残しました
しかし戦争の足音が聞こえてきた1939年(昭和14年)には、内務省から「推理小説は犯罪を誘発する」として、約10年の休筆を余儀なくされました
太平洋戦争前後の休筆期間以外にも、乱歩には充電期間が必要だったのか休筆4回、延べ17年以上になりました
しかし、復帰後の代表作が多いのも乱歩の特徴
1回目の復帰作『陰獣』、3回目の復帰作『怪人二十面相』は、ともに大ヒット作になりました
怪人二十面相はその後、少年少女向け探偵小説『少年探偵団』シリーズに登場し、犯行は予告し、人殺しはしないといういわば“紳士盗賊”で、のちの『ルパン三世』に通じるスタイルを持っていたんやぁ
また『名探偵コナン』の名字は、江戸川で、乱歩がのちの日本のミステリ界に与えた影響の大きさが伺えるよなぁ
新町通りは、初瀬街道とも呼ばれ、その昔、伊勢詣への旅人が歩いた道
いまでも古い酒蔵などが残され、往時の賑わいを偲ぶことができましたぉ
木屋正
江戸後期に初代大西庄八が造り酒屋「ほてい屋」を譲り受け、屋号を以前材木商であった「木屋正」 と改め継承
当時の風情を残した店舗兼主屋は登録有形文化財に指定されています
長らく「高砂」「鷹一正宗」を製造し伊賀地方を中心に商いをしてきました
現在は6代目蔵元である大西唯克さんが2005年に「而今」ブランドを立ち上げ全国地酒専門店に卸しています