久しぶりの大阪
今回は岸和田にきたぞぉ〰️
だんじりの町やね
まずは
南海本線・岸和田駅の北東250mの岸和田天神宮
岸和田天神宮
[ きしわだてんじんぐう ]
後村上天皇の正平十七年(1362年)の頃、泉州沼村(現在の沼、筋海、並松)の村長に沼間将監という人があって極めて孝心が厚く、父親が長らく病床に就き百方手をつくし平癒を願ったがその効験がなかった。
そのため、かねてから信仰していた山城の国八坂神社に参り病父の平癒を祈願すること三日、 ついに霊感を得て歓喜して帰郷すると父の病は全快し、普段の元気な姿に復していた。
沼氏は大いに喜びその御神徳を村の衆に告げ邸内の清域(現在地)に社殿を造営して八坂神社(祭神、速須佐之男命)の御分霊を勧請したのが始まりという。
以後、沼氏代々の鎮守として霊感日毎に増し、村内に水旱病疫等事ある毎に祈願を行い霊験あらたかで、その御神徳が遠近に聞え崇敬する者も多くなった。
その後、明徳年間(1390年)に至り、山名、大内二氏の争乱等により天正年間(1573年)に至るまで再三兵火の厄に遭い、社殿旧記宝物等一切は焼失した。村民はその荒廃を嘆き、文禄三年(1594年)に社殿の復興を図り御神徳が益々高揚した。
天和三年、(1683年)に至って天神宮と称した。表「天神宮」裏面「天和三癸亥年八月祭吉日」と彫られた神号額が現存している。
鳥居
真っ白な鳥居
青空とのコラボがいい感じぃ〰️
弘化4年(1847)生まれの浪花狛犬
まん丸眼で鼻が横広の堂々たるもんやね
手水舎
こちらもコロナ対策
いろんな対策された手水があるよね
拝殿
1982年(昭和57年)に造営
1362年(正平17年)にこの地を治めていた沼間将監氏が八坂神社の御分霊をこの地に勧請したことが始まりとか
1872年(明治4年)の神社調査で「菅原神社」とされましたが、1982年の社殿造営に併せて「岸和田天神宮」と名を改めて現在に至ってるんやって
御祭神
速須佐之男命
菅原道真公
ご利益
学業成就、身体健全、病気平癒
撫牛
夫婦の牛みたいにも見える
手前のが新しいので…嫁ぎにきたのかな
岸和田天神戎神社
大阪の今宮戎神社から勧請したんやって
事代主命と大國主命をお祀りしています
拝殿の屋根…
変わった形をしてますね…
為岩大神
この「岸和田天神宮」の天神様というのは本来、菅原道真公ではなく牛頭天王の事を指していました
それが度重なる混乱の中でいつしか「天神=菅原道真公」になり、1982年以前の「菅原神社」という風になったよう
為岩大神とは…
お稲荷さん?
この石はなに?
きっと御利益がある石だと思うんやけど…
なぁ〰️んも書いてなかった
ちなみに…
柵があって…
触る事も出来ないし…
おもかる石でもなさそう…
カラフルな絵馬がいっぱい
天満宮だから牛…じゃなく…猫?
当時、東洋一と言われたロシアのバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎元帥が揮毫した記念碑が
この碑は岸和田出身の法学者、松波 仁一郎氏が建てたもので、東郷平八郎元帥は松波 仁一郎氏が海軍大学教官時代の教え子だったそうです
鹿児島出身の東郷平八郎元帥も少なからず岸和田に「報恩」があったわけやな
岸和田漁港のすぐそばにある、大阪産しらすをはじめとした新鮮な海の幸を楽しめる食事処のぉきんちゃく家さん
最近はTVでも偶に取り上げられているようで、週末のお昼どきは、大人気で待ち時間が相当あるんだとか
朝5時から開いてるんやでぇ
でも…
目的の生しらす丼は11時からとかで…
11時過ぎに到着
3組くらいがお食事を
ラッキー
すんなり着席やぁ
メインの生シラス丼を下さぁ〰️い
が…
時季が早かった…
まだ生シラスが少ないとの事
でも…
釜揚シラスと生シラスのハーフ丼なら提供可能とかで
生シラスと釜揚シラスのハーフ丼 800円
「生シラス」も「釜揚げシラス」もたっぷり
漁師料理らしく飾り気の無いシンプルな盛り付けやけど…
真ん中の玉子の黄身を崩して…
醤油ダレ、黄身、シラスを少し混ぜて…
新鮮な生シラスの心地よいハリのあるヌルっとした食感と釜揚げシラスの柔らかい食感が混じり合ってバランスがめちゃいい感じやぁ
口の中でシラスが溶ける感じが最高
生臭さなどが心配だったのですが全くありません
釜揚げしらすも当たり前ですがスーパーで売られているものとは天地の差でべちゃべちゃ感もなけりゃ1尾1尾の大きさが立派や
目が…
皆さん…こちらを見てますね…
蛸地蔵駅から1,196m
大阪府岸和田市地蔵浜町7-1