関目神社からテクテクと1㎞ほど歩き目指すは野江水神社
野江水神社 【のえすいじんじゃ】
伝えられるところによれば、天文2年(1533年)三好政長が榎並城を築く際、たびたび水害を被ったので、水火除難の守護神として城内に小さい祠を造営し、祀ったのが起源といわれています。

社号標には水神社とシンプルに…
鳥居には…読めん…

手水舎
でたぁ〰️普通の蛇口〰️
蛇口新しいよね…
以前は龍だったのかな…

御神水
井戸から直あげてるのかな…
水神社だから、めちゃ御利益あるんだろうなぁ

拝殿
今の社殿は明治十六年(1883)の造営にして、明治十八年の大洪水のために倒壊し…
明治二十一年に完成したぁ〰️
御祭神
水波女大神
罔象女命と同じなんかな…
イザナミがカグツチを産む際に女性器を火傷してしまい、それがもとで死んでしまいます
死ぬまでの間、苦しみからのたうちまわり、脱糞し失禁し、嘔吐します
その尿から産まれたのがミズハノメ神です
なんか汚い神様という印象がありますが、イザナミが苦しんだ際に産まれた神々は大抵、肥料に関する神様で、古代の農業国である日本では非常に大事なモノなんやでぇ
御利益
厄災除け、子宝・安産、交通安全、健康長寿
厄災除け、子宝・安産、交通安全、健康長寿
水に関わる仕事の参拝者が多いとの事
神社の境内を通り抜けていく人や親子連れや若い人たちなど、手を合わせていく人が多かったです
野江と地名ですが…
この地に人が住みはじめたのは、神亀元年(724)頃で、菜種を栽培し、菜種油を第四十六代孝謙天皇に献上して、「油江村」の名を賜りましたが、いつしか訛って「野江村」になりました
又、この地は榎並猿楽(えなみさるがく)発祥の地なんなってぇ
榎並の猿楽は鎌倉時代末期に丹波猿楽の新座としてこのあたりに座を構え、南北朝時代には榎並座と呼ばれ、丹波猿楽の楽頭として活躍〰️
猿楽は後に観阿弥や世阿弥たちによって舞台芸術である能楽を大成させたんやって

ほうじ茶栗きんとん 360円を頂きましたぁ
栗あんにほうじ茶を品よく混ぜ込んでいて…
ほろりとした栗の香りの後から広がる上質なお茶の香りしましたぁ
中に栗が入ってるかと思ったのですが…
なかった
このお店は、かき氷が有名とかで…
次回はかき氷やなぁ
蒲生四丁目駅から430m
大阪府大阪市城東区今福西5-2-5









