久しぶりに天王寺に行ってきたぁ〰️チュー

一心寺 [いっしんじ]
夕陽丘の一角に位置する一心寺は、文治(ぶんじ)元年(1185)、法然(ほうねん)上人が四天王寺西門の西側あたりに、草庵を結んだのが始まりとされる浄土宗の寺院。

後白河法皇もこの地で、西方に沈みゆく太陽に向かって念仏を唱え、極楽生涯を願う「日想観」の修行を行ったといわれています。現在の境内地は、秀吉の夫人高台院からの拝領によるものです。

大坂冬・夏の陣では徳川家康の本陣が置かれた場所としても有名。

また、一心寺は「お骨佛の寺」としても知られ、納骨堂には人骨でつくられた仏像が安置されています。

これは、江戸時代末期から宗派を問わず庶民が納骨に訪れ、明治20年(1887)に約5万体の納骨でもって「お骨佛」がつくられて以来、10年ごとに1体の仏像をつくることになりました。


山門
モダンな山門は、平成9年4年に建立されたものなんやってびっくり
左側の阿形(あぎょう)像は心の邪念を戒め、右の吽形(うんぎょう)像は世の紊(みだ)れを戒めているんですよぉ照れ

山門の存在感には圧倒されたけれど、意外に威圧感はなく、古い建物とも不思議とマッチしている感じやけど……
本当にこれはお寺かぁ〰️キョロキョロ
近代美術館みたいやぁびっくり


なんか丸い燈籠と手水舎です照れ
燈籠が凄く気に入った照れ


大本堂
昭和20年3月14日未明の大阪大空襲で堂塔伽藍のほとんどを失い……ガーン
現在の本堂は5年の歳月をかけて昭和41年に再建されたんですよ照れ

本尊・阿弥陀如来立像は、戦後大本山百万遍知恩寺からお迎えしたもので、両脇陣に三界万霊の施餓鬼壇がおかれていますおねがい

ここには施餓鬼法要 「飢餓に苦しんで災いをなす鬼衆や無縁の亡者の霊に飲食を施す法会」で、先祖を供養する法要って事ですかねキョロキョロ


茶処 縁結び地蔵尊
茶処と地蔵尊が合体〰️
あれ?……字は結縁地蔵尊……キョロキョロ



納骨堂
納骨堂の中にある骨仏は1887年(明治20年)から始まったんやってびっくり

遺族から預かった遺骨を砕き、納めたお骨で十年ごとに「お骨仏」(仏像)が造られ、ここに納められるんですよプンプン
1体のお骨仏は20~25万人のお骨でできているとか……
凄いなぁ……びっくり


納骨堂の前で、線香とろうそくを供える人々がめちゃ居ましたおねがい
ここには1887(明治20)年に5万人分のお骨仏を造って以来、戦前まで6体の仏像が祀られていたそうだが、戦争によって焼失ガーン

戦後、再建され、今にいたっていますおねがい
もうもうと立ち上る線香の煙が訪れる人の多さを物語っていますよね照れ


お骨佛堂


念佛堂
納骨や施餓鬼を受け付ける念佛堂ですおねがい

平成4年に落慶したそうで、六角形に金の相輪がこれまた華やかやねぇ〰️びっくり

街路からも塀越しに一番目立ってたぁチュー

中では、銀行か郵便局にもにた似た窓口に、納めるお骨を胸に抱いた人々がいくつも列をなしてるんですよおねがい


鐘楼
境内の片隅に立ってましたおねがい



大阪府大阪市天王寺区逢坂2-8-69


大阪市のJR天王寺駅の側にある和菓子店〰️照れ
あもや南春日 四天王寺店きたぁ〰️チュー
四天王寺に通じる道に面するところにあって
生菓子から焼き菓子まで、様々な和菓子を提供してる店なんですぅ爆笑


四天王寺名物
あもやの
かりんとまんじゅう(80円)を買ったぁ〰️
80円って安くないですかぁ〰️チュー


気軽なおやつに、ちょっとした手土産にいい感じやぁ〰️チュー

毎朝揚げ立てを提供している、一口サイズで食べやすいかりんと饅頭なんやっておねがい

波照間産黒糖を使った黒糖饅頭の外側生地はサクサクでカリッと揚がっていて、中は北海道産小豆のこしあんがしっとりしてるんですぅ照れ

米油で揚げているのであっさりと食べやすく、胃もたれしにくいのが特徴なんやってびっくり

しんなりしてもおいしいですが、180℃の油で1分ほど揚げ直すかトースターで2分ほど温めるとカリカリ感が戻るんですって照れ


二度揚げされているそうで、
確かに、表面がけっこうザクッというか、カリッというか……
しっかり揚がっている感じやぁ〰️チュー
うんうん、美味しいぃ〰️ラブ


大阪府大阪市天王寺区堀越町8-15



天王寺と言えば……
通天閣やぁ〰️爆笑

入るのに700円ですぅ〰️
昔はめちゃ安かった記憶が……キョロキョロ

通天閣 の高さは103mで、大阪府大阪市浪速区にある新世界界隈の中心部に建つ展望塔なんやでぇ〰️チュー
高い展望台やないけど……これがいいねん照れ

国の登録有形文化財爆笑
大阪のシンボルの一つとして親しまれ、観光名所としても有名なんやね照れ

初代通天閣が姿を消してから13年後……
通天閣が消えて寂しくなった新世界を復興しようとの地元の声をきっかけに、昭和29年に新世界町連合会役員らにより創立事務所を設置キョロキョロ

そして翌年の昭和30年、地元の人々からの出資によって、通天閣観光株式会社がスタートしたんやって爆笑
  
通天閣には、展望台やビリケン神殿がありますぅチュー

ビリケン(BILLIKEN)は、1908年(明治41年)
アメリカの女流美術家                                            フローレンス・プリッツという女性アーティストが、夢で見たユニークな神様をモデルに制作したものと伝えられていますおねがい

トンガリ頭につりあがった目という、どこかしらユーモラスな姿は、たちまち「幸福のマスコット」「福の神」としてアメリカを始め世界中に大流行したんやってチュー

日本でも花柳界などで縁起物として愛されていましたよラブ