公立学校で教員をしています。
数年前の6月職員会議。
校内の学力向上担当だった僕が話をしている様子を、動画で記録していました。
それを、最近久しぶりに見返してみました。
内容は、5分程度で『求められる学力』についての話をした後、最近の授業を見て思ったことを1分程度で話していました。
その最後の1分間は、今、見返してみても「やっぱり大事だ」と思える内容でした。
以下に、紹介します。
「
ここからが、今日1番言いたかったことです。
それは、「みなさん、授業で大事なこと忘れてませんか」という内容です。
最近僕は、授業の空き時間にウロウロしながらいろんな授業を見させてもらっています。
そんな中で気付いた、授業で大事だと思うことがあります。
3つ紹介します。
1つ目。
全員の授業参加です。
授業が始まってすぐ、誰かが遅れて教室にいないのに、それに気付かず授業をしていることはないですか。
誰かが教材を出していないのに、放ったらかしにしてることはないですか。
時折、「?」と感じる場面を数回見かけました。
若い先生は、時には授業がうまくいかなくても当たり前です。
生徒をしっかり授業に参加させたいから、時には真剣に怒ったり、真剣に詰めたり、生徒と勝負する場面があってもいいと思います。
それはホントはいいことではないかもしれないけど、生徒を放ったらかしにするよりよっぽどマシです。
うまくいってるのならいいですが、流してしまってるなら危険です。
2つ目。
けっこうゴミが落ちてることがあります。
学習環境って、やっぱり大事です。
どうしてもプリントの切れ端が床に落ちてることってあるから、それをパッと先生が拾ってあげるだけでも雰囲気は変わるものです。
3つ目。
『見えないねらい』。
これ、ちょっと意味がわかりづらいかもしれませんが、『見えないねらい』を意識するのはとっても大切です。
例えば、僕は今、授業でルート(平方根)を教えています。
そこでの『見えるねらい』と言われたら、
「ルートの足し算をできるようになろう」
「ルートの意味がわかるようになろう」
などです。
それとは別に、『見えないねらい』というのが、授業には絶対にあります。
それはどの教科でもそうです。
「ルートを勉強する中で使う論理的な考え方は絶対に必要なので、その力を身に付けさせたい」
「ルートという難しいことを友だちと教え合う中で、友だちを思いやる優しさを育てたい」
「先生の話を一生懸命に聞くという正しい心を育てたい」
などが、『見えないねらい』の例です。
ルート自体は、大人になって使わない人の方が正直多いし、知ってなくてもいいのかもしれません。
でも、『見えないねらい』である「人として学ぶ事」は絶対大事で、僕たちが意識しておかないといけないことだと思っています。
「公立学校の教員が、“いち人間”として教えてる以上、生徒に何かを伝えなあかん。」
そして、「集団で学んでる以上は、何かねらいを持って教える必要があるのではないか。」
と思っています。
ちょっと立ち止まって、もう一度授業を見直してみるのも大事かと思います。
みんなで、レベルアップして成長していきたいものです
」
最後まで読んでいただきありがとうございました。