いろいろあって、ブログ休止していますが
3.11を迎え、今の思いを書きとめておこうと思います。
僕の誕生日は3/10です。
もう誕生日が嬉しい年齢でもないし、
この時期は花粉でしんどいし、
さらに翌日が震災の日だしということで、
なんだかあまりテンションがあがりません。
3.11は、仕事でどうしても会わないといけない人以外で
人と会うことはありません。
どんな顔をしていいかわからないのです。
今日も塾講師の仕事関係でしか人と会って話をしていません。
子供たちは普段から震災の話をすることはなくなりました。
(余震のときとか、理科の地震の単元の勉強を教えるときぐらい)
でもこの日の前は子供たちが自ら、ぽろっと話をしてきます。
親戚がなくなったとか、親戚の家がなくなったとか、
学校がなくなったとか…
やっぱり震災が身近にあったのだと実感する瞬間です。
自分自身、震災は経験しましたが、直接失ったものはありません。
強いていえば、農産物の風評被害でしょうか。
でも震災前から農業をしていたわけではないので、
被害があるのかどうかも把握できません。
畑に行く途中や、
農業資材をいつも購入しているホームセンターの近くには
仮設住宅があります。
今ではそれを見て何か感じることはなく、
「風景」と化しています。
自分自身の非常さに驚かされます。
今年の3.11は、もともとは普通に過ごそうと思っていました。
でも、なんか雰囲気で、強風で農作業できなかったこともあり、
街中に出て、県庁で献花したり、2:46に商店街で黙祷したりしました。
子供も若者もギャルも皆、2:46には足を止めて黙祷していました。
東北の人たちはなかなか思いを口に出さないのですが、
今日の2:46の様子を見て、
皆、口には出さない思いが確かにあることを実感しました。
もし一日遅れて地震が発生していたら、
自分はあの時間、仙台港に行っていたので、津波にのまれたでしょう。
関西出身なので、地震は「阪神」で経験しているのですが
津波はまったく考えていなかったので、逃げなかったと思います。
助かるか助からないかなんて時の運だった東日本大震災。
助からなかった方たちに胸を張った生き方を今しているのか。
考えると恥ずかしく申し訳ない気持ちになります。
先週は中学校の卒業式でした。
教え子で前期の公立入試に合格した中3の男の子から、
「先生のおかげで清清しい気持ちで卒業できました」
というメールをもらいました。
少なくともこの子の役に自分はたったのだと思うと、
とても幸せな気持ちになりました。
大きなことを成し遂げられる人間ではないですが、
少しでも子供たちの人生の役にたてたなら、
自分のつくった野菜で人を幸せな気持ちになってくれたなら…
それでいいのかなと思っています。
僕には思いを新たにする日が年に二回あります。
ひとつは、今日、3.11
もうひとつは、母の命日、7.10
当時の気持ちを振り返り、反省し、前に進んで生きたいと思います。