3.11を迎え | みぞっちふぁーむとみぞ塾と日本語教師と学生と海外旅行と…

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2009年から2013年までやっていたこのブログを
2019年再開しました




いろいろあって、ブログ休止していますが

3.11を迎え、今の思いを書きとめておこうと思います。



僕の誕生日は3/10です。

もう誕生日が嬉しい年齢でもないし、

この時期は花粉でしんどいし、

さらに翌日が震災の日だしということで、

なんだかあまりテンションがあがりません。



3.11は、仕事でどうしても会わないといけない人以外で

人と会うことはありません。

どんな顔をしていいかわからないのです。


今日も塾講師の仕事関係でしか人と会って話をしていません。




子供たちは普段から震災の話をすることはなくなりました。

(余震のときとか、理科の地震の単元の勉強を教えるときぐらい)

でもこの日の前は子供たちが自ら、ぽろっと話をしてきます。

親戚がなくなったとか、親戚の家がなくなったとか、

学校がなくなったとか…

やっぱり震災が身近にあったのだと実感する瞬間です。



自分自身、震災は経験しましたが、直接失ったものはありません。

強いていえば、農産物の風評被害でしょうか。

でも震災前から農業をしていたわけではないので、

被害があるのかどうかも把握できません。



畑に行く途中や、

農業資材をいつも購入しているホームセンターの近くには

仮設住宅があります。


今ではそれを見て何か感じることはなく、

「風景」と化しています。




自分自身の非常さに驚かされます。




今年の3.11は、もともとは普通に過ごそうと思っていました。

でも、なんか雰囲気で、強風で農作業できなかったこともあり、

街中に出て、県庁で献花したり、2:46に商店街で黙祷したりしました。


子供も若者もギャルも皆、2:46には足を止めて黙祷していました。




東北の人たちはなかなか思いを口に出さないのですが、

今日の2:46の様子を見て、

皆、口には出さない思いが確かにあることを実感しました。






もし一日遅れて地震が発生していたら、

自分はあの時間、仙台港に行っていたので、津波にのまれたでしょう。

関西出身なので、地震は「阪神」で経験しているのですが

津波はまったく考えていなかったので、逃げなかったと思います。




助かるか助からないかなんて時の運だった東日本大震災。

助からなかった方たちに胸を張った生き方を今しているのか。

考えると恥ずかしく申し訳ない気持ちになります。




先週は中学校の卒業式でした。

教え子で前期の公立入試に合格した中3の男の子から、

「先生のおかげで清清しい気持ちで卒業できました」

というメールをもらいました。


少なくともこの子の役に自分はたったのだと思うと、

とても幸せな気持ちになりました。




大きなことを成し遂げられる人間ではないですが、

少しでも子供たちの人生の役にたてたなら、

自分のつくった野菜で人を幸せな気持ちになってくれたなら…


それでいいのかなと思っています。




僕には思いを新たにする日が年に二回あります。


ひとつは、今日、3.11

もうひとつは、母の命日、7.10


当時の気持ちを振り返り、反省し、前に進んで生きたいと思います。