初カキコ…ども…
文章もCGもAIも、想像を表現して伝えるための道具である。
より”もっともらしい”を表せるようになったからこそ、
我々は己の想像や表現に対してより真摯に向き合わなければならない。
《精密な出力》
そこはラフのようにはごまかしも効かず、思考の粗さが目立つばかりである。
ほとんどの人間はなんらかの理由で文章を書くが、そのほとんどは小説家ではない。
そこらの人間はそれらしいものが自分で作れるようになれば満足なのだ。
だから、「表現者」は要求されるレベルが上がったのである。
かつて写真が嫌われ役を担った。
画家たちにとって大変な脅威となったと同時に、
彼らから慢心を奪い、彼らにしかできない表現を要求したのだ。
人類の知恵が自ら、自慢の創造力を危機へと突き落とす。
いわば停滞した沼に酸素を混ぜ込む台風である。
「そういう時代だ」とごまかされる理不尽である。
表現を突き詰めていくと、芸術と形容されるようになる。
資本主義にすっかり取り込まれた我々にとって、
費用対効果の見込みの薄い、芸術とは何であろうか。
ここで有名な岡本太郎の言葉を引用したい。言わずもがな、「芸術は爆発」である。
いつの時代も、歴史を造ってきたのは”生きた人”である。
飽きを知らず、挑戦を恐れず、
理不尽に抗い続けるエネルギーを持った人々なのである。
人類史に再び台風がやってきた。
我々は生き延びていくために、自らをも破壊しなくてはならない。
表現に、他でもない自分らしさの証明が付き纏うようになったのだ。
爆発し続ける非合理的な感情、情熱を持つことが、
プログラムには成し得ない、”生きる人間”らしさなのだろうか。