2013年10月発売のahead 誌に、女性のレース参戦についてのコメントを寄稿しました。お時間ございましたら是非ご覧くださいませ。(※このブログはマイケルへのコメ ント用として執筆。その後 更新しておりませんでしたが、最近 再開することにいたしました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。)
<マイケルの心とアメリカの時代/
マイケルジャクソンとフィンガー5>
マイケルが、死んでしまったらしい。 ・・・本当なのだろうか?
信じられないし、信じたくない。
●アメリカ/LAからの帰国子女の私にとって、
マイケルは 特別な存在の人だった。
彼を初めて知ったのは、私がまだ4歳の頃。
ものごころがつくかつかないかという時、
彼は『ジャクソン5』という兄弟バンドの リードボーカリストとして、
アメリカでは大スター。すでに 有名な存在だった。
私が日本に帰国した頃、(70年代)
彼らの音楽が日本では違った形で有名になっていて、
驚いたことを記憶している。
昔、日本で フィンガー5というグループが流行っていた。
『個人授業』や『恋のダイヤル6700』という曲を 歌っていた 歌手で、
ご存知の方も多いと思う。 とてもいい曲を歌う彼らを見て、
小学生だった私はすぐに大ファンになった。
歌い方が少しマイケルに似ているなあと思いながら、
友達からアルバムを借りた。
・・・聞いてビックリ!!
なんと彼らのアルバムの中におさめられていた曲は、
ほとんどが ジャクソン5の 日本語版、つまりコピーだったのだ。
歌い方も同じ、コンセプトも同じ。
『ABC』や 『ベンのテーマ』、 『I'll Be There』
『I want you back』などが、 日本語になっていて、
ものすごいショックを受けた。
(ぜんぜん違う訳で、 替え歌バージョンのように なっていた歌もあった。)
ジャクソン5のお兄ちゃんたちが、 フィンガー5の中では、
一夫、まさお、といった名になっていた。
あきらくんという、トンボのようなサングラスをかけた
小学生のボーカリストの男の子の歌唱力も素晴らしく、
マイケルに ひけをとっていなかった。
ずっと日本にいるうちに、 いつの間にか私は
ジャクソン5よりフィンガー5に夢中になり、
日本にはジャクソン5の情報が ほとんど入ってこなかったこともあって、
マイケルとは距離ができてしまった。
ジャクソンズという名前でshake your bodyという曲が
流行っていた時期もあったが、
その頃はマイケルよりお兄さん達のほうが
目立っていたような気がする。
●・・・それから数年後。
日本のテレビコマーシャルで、黒人の青年が歌う、
"Don't Stop 'Til You Get Enough"という曲が 流れるようになった。
最初、誰が歌っているのかも意識せず、
ただ単に 『いい曲だな』と思っていた。
その曲が、マイケルのソロの曲だと知って驚いた。
大人になって現れたマイケル。
白いジャケットを着ていて、ステキな男性になっていた。
ムーンウォークというダンスステップが 有名になったのも、
この頃だった。 その後の『スリラー』の大ヒットで、
マイケルは日本でも有名になった。
私はその後発売された、
”Men in the miller” が大好きになった。
(『世界を変えるなら、まず鏡の中のこの男から』 という内容の歌詞で有名)
”moon waker” という、ライブをミックスしたビデオ集が 発表され、
それが ものすごく良くて、 大ファンになった。
日本ではスリラーばかりが注目されていたが、
"moon waker"の ビデオの1曲目の、
ライブの"men in the miller"に ノックアウトされてしまった方も多いと思う。
"Bad"のPVで ちびマイケルが出てきたり、
うさぎのキャラクターと一緒にダンスしたり、
つま先立ち禁止の標識が出てきたり。
あのビデオは 大変 完成度が高かった。
他にも彼の作品には多数、素晴らしいものがある。
remember the timeのPVなども、今見ても古さを感じない。
ジャクソン5を知らなくても、 マイケルジャクソンの名は知っている。
・・・日本で 彼は、そんな存在になった。
対して、アメリカでの彼は、
『ジャクソン5の小さな男の子が、 大人になってソロデビュー』
という位置づけ。 そういう認識の人が多かったと感じる。
だから今回の彼の死は、
彼とともに人生を過ごしてきたアメリカ人にとって、
本当に大変なことなのだ。
...........
●ここ20年くらいのマイケルには、
整形や事件で、 なんとなく変な印象があったように思う。
世間で騒がれていたことも 本当だったかどうかはわからないが、
裁判になってしまい、相当なストレスが あっただろう。
あれだけの スーパースターだったわけだから、
おかしな人も 周りに 沢山よってきたと思う。
彼自身も、もしかすると精神を病んでしまったのか?
それとも、まわりの嫌がらせが ひどく、
その人達によって真実ではない評判をたてられたのか?
今となっては真実を知る術は、ない。
●彼が自分自身の軸を持つことができなかった その原因は、
なんとなくだが、 黒人社会と 白人社会の間の 葛藤だったように感じている。
(当時、家族の関係に大きな問題をかかえていたと聞いた。
元々あまり信頼関係がない所に、
彼が小さな頃、父親や兄が、ライブツアー中に
ファンの女の子達に対してやっていたと書かれていたことは、
もしそれが真実で、私が同じ立場にたったとしたら、
いかなる理由があったとしても 許すことはできないだろうと
感じた質のことだった。)
..........
●日本にいると見えにくいことかもしれないが、
アメリカには今でも、厳然たる人種差別が存在する。
(ちなみに衛星放送などで海外のドラマを見ると、
今でもひんぱんに、そういったことに関連する話が出てくる。)
それは 現地に住んでみないと、 なかなかわからないことかもしれない。
お客さんで やってくる外国人には、 決して見せない、
欧米社会の一つの側面。
昔に 比べれば ずいぶんなくなったとはいえ、
人種差別は今でも世界中のあちこちで感じることができる。
マイケルもまた、そんな人種差別の中で苦しむ、 WASP以外の人間だった。
..........
●マイケルは ソロになった時から、
マネージメント会社が変わったと聞いた。
整形して肌が白くなった頃から、
黒人社会、そして 自分の家族、兄弟たちと、
心、はなれていったとも聞いた。
親との関係に問題があり、 自分が父親に似てくるのを、
とてもいやがっていたという 記事を見たことがある。
兄弟からの ねたみ そねみに関することも、
本当のことなのかどうかは
本人に聞いたわけではないので 事実を 知らない。
でも、当時、他の兄弟に 裁判を起こされたという記事が、
あちこちの 雑誌に 書かれていた。
白人からは 商業的に 利用され、
かといって成功しすぎたことで 家族との関係も良くなく、
黒人社会に戻るにも、
自分の居場所、安心して一緒にいられる人たちを、
失っていたように見える。
●そうした さまざまな 背景の中、
彼が”白人”になろうと努力していたのは、私には違和感があった。
最近の彼の肌の色は、私が昔知っていた彼の、 それではなかった。
整形手術を繰り返したのは、まるで、
愛を求めて 自分以外の何かになろうとしていた作業のように見えた。
キズつきやすい彼の内面を 隠すための、 一つの手段だったのだろうか。
心の奥底に、人種差別に対するトラウマを
しまいこんでいたようにも感じられた。
(欧米に住んだことのある有色人種の方なら、
『それ』は誰もが感じた経験を持っていることでしょう。)
●白人・・・中でもWASPになろうとする者の心の中に、
自分に対する自信のなさのようなものを感じるのは、
気のせいではないと思う。
日本人が 外国人のマネをすることも、
心の奥底にある自信のなさがうかがい知れる。
例えば、日本の若い女性の中に、 髪を染め、
極端に まつげを長くしてみる者がいる。
外国人の目から見れば、それはまるで、
黒いカラスがカラフルな羽をつけようと、
悲しい努力をしているかのよう。
男性が、アメリカ人のマネをしているのも同様。
本物の欧米人の迫力に対し、かなり違和感がある。
LAの道路の真ん中で、 そのような いでたちの東洋人を見るたび、
外国人になれるわけではないのに、 何をやってるんだろう?と、
いつも感じていた。
欧米の人からの観点では、そんな人たちを、
美しい東洋人として扱わない。
東洋人には東洋人の美しさがあるのだ。
彼らはそこには敬意を払ってくれる。
そしてまた、プラック(黒人)にはプラックの美しさがある。
でも、マイケルの子供時代は、
そのことを人前で大きな声で言える時代背景はなかった。
.........
●1ドル360円の時代。
白人と黒人は、友達になるだけで評判が悪くなった。
東洋人である私も、LAのディズニーランドに行けば、
同世代の子供に『ジャップ!』と罵倒された時代だった。
そんな空気の中で、自分だけが強くあろうとするのは、
困難が大きすぎたことだろう。
マイケルは そんな中で、 大スターとしての地位を確立していった、
20世紀後半の、音楽界の シンボルだった。
...........
●少し話がそれるが、 日本でも、
欧米の会社のものごとのやり方が良いと信じて、
自国の 文化的背景を無視し、
成果主義を 導入することが 流行った時期があったと思う。
そこにも 何か、人の心の動きが、 根底に流れているような気がする。
その心の動きとは、白人文化が良くて、
有色人種は良くない、というものの考え方。
●人間には、差別意識というものがある。
それは例えば男は女よりえらいとか、
都会が田舎よりすごいとか、 白人は黒人よりすばらしいといったもの。
私は世界中でいろいろな人種差別を目の当たりにしてきたが、
レース界、テニス界、ビジネス界、そして音楽界、
その他の業界・・・皆、口にこそ出さないが、
今でも 差別が皆無だとは 言えないように感じる。
オバマさんが当選したことや
ルイスハミルトンがF1でチャンピオンになったのは
本当に驚異的なことだが、 完全に文化が変わったわけではない。
●そしてそれは、私にとっては 良いことでも悪いことでもない。
ただ『そのような差別が存在している』と
認識しておくことが重要だと思っている。
そのことを わきまえていれば、
いろいろな面で物事を進めるのがスムーズになると考えている。
90年代、私が仕事で 欧米のレース界、
2輪のF1にマネージャーとして参入することになった時、
自己主張はしっかりしたとしても、
現地での態度に注意しなくてはならない、
大きな顔をする振る舞いは控えておこう、
自分たちが日本人だということを
忘れないようにしようと 考えていた。
なぜなら、あの場所は彼らが長い時間をかけてつくってきた、
日本でいう大相撲の世界のようなものだ、と 思ったから。
不思議なことに、そんな風に 考えながら行ってみたら、
すんなり受け入れてもらえた。
(今にして思えば、もしも無理して欧米人になろうとして、
彼らと同じ態度でも とっていたら、
仲間に入れてもらえなかったかもしれない。)
男女の差別、学校の差別、地域の差別だって、
それは同じ。 『差』を、否定しなければ良いのだと思う。
●対して マイケルの人生は、
その『差』を否定し続けたものに見えてしまう。
黒人として生まれた自分を、白人にしようとしたあげく、
体調をくずして、自分をダメにしてしまった。
たびかさなる整形によって、
感染症にかかったというニュースは、記憶に新しい。
今は、そんな彼が かわいそうでならない。
(鏡の中の自分に見える、
黒人の父親も 否定したかったのだろうか?
そんな彼の気持ちを考えると、とてもつらくなる。)
............
●マイケルがこの世を去ってしまったことで、
アメリカの時代も去ってしまったのだろうか。
モータウンの時代、ベトナム戦争の時代、
アメリカとハリウッドが、世界のナンバーワンとして、
世界中の人々から憧れられていた時代・・・。
私の心の中の、子供時代のアメリカも、
なくなってしまったような感じがしている。
彼が亡くなったことで、ものすごい空虚感を感じている。
こんなにショックを受けるとは、自分では想像していなかった。
...........
●世界同時不況の昨今、 世の中の 価値観も、
人々の心も、大きな変化の時期を迎えている。
これからどこに向かっていったら良いのか、
時代の方向性を 失っているように見える
アメリカと同じように、
マイケルも人生の方向を 失っていたのだろうか?
何年か前には、プロヂューサーとも ぶつかっていたと聞いた。
コンサートをやると言ってしまったのに、
体調が悪く 準備も大変で、
プレッシャーと ストレスに
押しつぶされてしまったのだろうか?
............
●私にとってマイケルは、もう歌わなくても踊らなくても、
ただ会って皆の前で話してくれるだけで、
力づけてくれる、うれしい存在だった。
彼は子供の頃から世間の注目にさらされ、
非常に大きなストレスを受けてきたと考えられる。
激しい人種差別の時代に、白人と黒人の両方の間にはさまれ、
注目をあびることは 大変なことだったろう。
本人の立場になってみれば、 神様のもとに召されて、
安らかな気持ちになっているのかもしれない。
今はただ、信じられない気持ちでいっぱい。
でも、もし マイケルが 天に召されて、
世界中の言葉がわかるようになっているならば、
彼に 伝えたいことがある。
・・・マイケル、沢山の思い出を、 本当に どうもありがとう。
アメリカでの青春を、ありがとう。
心の中にいてくれて、ありがとう。
I love you forever, and Rest In Peace...
**********************************************
<佐藤瑞樹/Mizki-Kao-Sato>
●執筆業。講演・講師。
元・女性 2輪レーサー、4輪レーサー。元・女優。
イラストレーター、
医療コーディネータ、カウンセラーとしても活動。
帰国子女。実家が会計事務所を経営していたことから、
幼少の頃より政治・お金にまつわるさまざまな出来事を経験。
アメリカにて、軍事訓練に似た 人間教育プログラム、
経営者向け勉強会に 多数参加。研鑽を積む。
神奈川大学卒。横浜市 在住。
*************
●学研『レディスバイク』他、バイク雑誌連載、
『サンケイスポーツ』他 新聞連載、
マガジンハウス『ダ カーポ』他、コラム連載執筆、
角川書店『ウィリー』連載執筆、
講談社・週刊 コミック『モーニング』コラム連載執筆、
その他、多数の 雑誌・新聞などで連載執筆。
..........
●12歳の時 父 死去。出生時 母 死去。
幼少時から人間についての探究心を持ち、
'87年より アメリカ・サンフランシスコ、
LAにて、数々のself helpプログラム、
軍事訓練 (崖から飛び降りるプログラム) などの、
アメリカ人経営者向け勉強会を 多数経験。
●'82年、富士スピードウェイ・2輪ロードレースデビュー。
'84年、350ccクラスにて男性ライダー185人中、
唯一の女性ライダーとして予選ヒートレース 1位、決勝レース2位。
'84年、350ccクラス・年間ランキング5位。クラス昇格。
上記レースが きっかけとなり、
レース参戦記・コラムを 多方面の雑誌・新聞他に 連載執筆開始。
'84年、日本人女性として初めて、
250ccクラスの純レーシングマシン・TZ250にて、全国のレースに参戦。
'84年より10年間、ホンダVFRにて、夏の鈴鹿4時間耐久レース出場。
日本テレビ『ズームイン朝!』、
TBS『スポーツ&ニュース』特集 他、
数年に渡り TV スポーツ特集番組など 多数出演。
'85年、マツダスピード、マツダ株式会社、マツダオート東京と契約。
4輪レースデビュー。国内A級ライセンス取得。
4輪・富士フレッシュマンレースP1600クラス、最高位・予選6位。
(86年まで 2輪レースと両方同時、2年間参戦。)
'86年、国際A級 女性レーサー・
井形マリが監督する、チームマリと、
メカニカルサポート・
エンヂュランス・レーシングチームにて、鈴鹿4時間耐久レース参戦。
井形マリの妹、井形とも と 組み、
耐久レース史上・初の女性ペアとして参戦。
'87年 夏、病に倒れ手術、入院。
'87年 秋、フジTV 学園ドラマ『河田町工業高校』、
英語教師・伊集院先生役にて、女優デビュー。
半年間、女性レーサーの英語教師役として、レギュラー出演。
『なるほど・ザ・ワールド』 他 出演。
'88年、番組終盤に 再び 病に倒れ、2度目の手術、その後 長期入院。
その体験をもとに、病に悩む方々へのサポートを目指し、
日本医療コーディネーター協会・認定カリキュラム参加。
'88年、バイオレンス小説・ファントムシリーズ、
作家、故・竹島将氏に 師事。
校正アシスタント 及び、竹島氏が主宰していた
2輪WGPチーム、チーム竹島・運営アシスタントを経験。
’89年~'91年、本田技研工業株式会社と契約。
女性オートバイレーシングチームを結成。鈴鹿4時間耐久レース参戦。
'92年、世界グランプリロードレース (2輪のF1)、 マネージメント業・開始。
ヨーロッパ各国の現地ファクトリーチームと契約。
WGP 500ccクラス 運営マネージャーとして、世界16カ国 6年間転戦。
'94年、鈴鹿4時間耐久レース・NK4クラス参戦、唯一の女性として完走。
2000年 8月、カートレース・日本一決定戦 参戦。19位。
2000年、フォーミュラカーでの参戦を 考え、
体力づくりと身体のリハビリのため、テニスを始める。
2004年秋、海外のテニス大会に参戦。
オーストラリア地方選手権、ゴスフォード選手権・予選1勝4敗。
............
●現在/執筆業を中心として、講演・講師、
医療コーディネーター、カウンセラーとして活動。
加えて 2001年より研究に取り組んでいる、
理系分野の分析を形にするため勉強中。
全国の教育委員会や企業にて交通安全、成人式 他の議題で 講演、
コラム執筆、翻訳、ゴーストライター、
カウンセリング、ビジネス コンサルタント、
アメリカ、ヨーロッパ、東南アジアとの文化交流にて活動。
趣味は 読書、テニス、サッカー、フットサル、ネコと遊ぶこと、
音楽 (Bass guiter・drum・vocal)、演劇、サイエンス研究、勉強会。
マイケルジャクソンとフィンガー5>
マイケルが、死んでしまったらしい。 ・・・本当なのだろうか?
信じられないし、信じたくない。
●アメリカ/LAからの帰国子女の私にとって、
マイケルは 特別な存在の人だった。
彼を初めて知ったのは、私がまだ4歳の頃。
ものごころがつくかつかないかという時、
彼は『ジャクソン5』という兄弟バンドの リードボーカリストとして、
アメリカでは大スター。すでに 有名な存在だった。
私が日本に帰国した頃、(70年代)
彼らの音楽が日本では違った形で有名になっていて、
驚いたことを記憶している。
昔、日本で フィンガー5というグループが流行っていた。
『個人授業』や『恋のダイヤル6700』という曲を 歌っていた 歌手で、
ご存知の方も多いと思う。 とてもいい曲を歌う彼らを見て、
小学生だった私はすぐに大ファンになった。
歌い方が少しマイケルに似ているなあと思いながら、
友達からアルバムを借りた。
・・・聞いてビックリ!!
なんと彼らのアルバムの中におさめられていた曲は、
ほとんどが ジャクソン5の 日本語版、つまりコピーだったのだ。
歌い方も同じ、コンセプトも同じ。
『ABC』や 『ベンのテーマ』、 『I'll Be There』
『I want you back』などが、 日本語になっていて、
ものすごいショックを受けた。
(ぜんぜん違う訳で、 替え歌バージョンのように なっていた歌もあった。)
ジャクソン5のお兄ちゃんたちが、 フィンガー5の中では、
一夫、まさお、といった名になっていた。
あきらくんという、トンボのようなサングラスをかけた
小学生のボーカリストの男の子の歌唱力も素晴らしく、
マイケルに ひけをとっていなかった。
ずっと日本にいるうちに、 いつの間にか私は
ジャクソン5よりフィンガー5に夢中になり、
日本にはジャクソン5の情報が ほとんど入ってこなかったこともあって、
マイケルとは距離ができてしまった。
ジャクソンズという名前でshake your bodyという曲が
流行っていた時期もあったが、
その頃はマイケルよりお兄さん達のほうが
目立っていたような気がする。
●・・・それから数年後。
日本のテレビコマーシャルで、黒人の青年が歌う、
"Don't Stop 'Til You Get Enough"という曲が 流れるようになった。
最初、誰が歌っているのかも意識せず、
ただ単に 『いい曲だな』と思っていた。
その曲が、マイケルのソロの曲だと知って驚いた。
大人になって現れたマイケル。
白いジャケットを着ていて、ステキな男性になっていた。
ムーンウォークというダンスステップが 有名になったのも、
この頃だった。 その後の『スリラー』の大ヒットで、
マイケルは日本でも有名になった。
私はその後発売された、
”Men in the miller” が大好きになった。
(『世界を変えるなら、まず鏡の中のこの男から』 という内容の歌詞で有名)
”moon waker” という、ライブをミックスしたビデオ集が 発表され、
それが ものすごく良くて、 大ファンになった。
日本ではスリラーばかりが注目されていたが、
"moon waker"の ビデオの1曲目の、
ライブの"men in the miller"に ノックアウトされてしまった方も多いと思う。
"Bad"のPVで ちびマイケルが出てきたり、
うさぎのキャラクターと一緒にダンスしたり、
つま先立ち禁止の標識が出てきたり。
あのビデオは 大変 完成度が高かった。
他にも彼の作品には多数、素晴らしいものがある。
remember the timeのPVなども、今見ても古さを感じない。
ジャクソン5を知らなくても、 マイケルジャクソンの名は知っている。
・・・日本で 彼は、そんな存在になった。
対して、アメリカでの彼は、
『ジャクソン5の小さな男の子が、 大人になってソロデビュー』
という位置づけ。 そういう認識の人が多かったと感じる。
だから今回の彼の死は、
彼とともに人生を過ごしてきたアメリカ人にとって、
本当に大変なことなのだ。
...........
●ここ20年くらいのマイケルには、
整形や事件で、 なんとなく変な印象があったように思う。
世間で騒がれていたことも 本当だったかどうかはわからないが、
裁判になってしまい、相当なストレスが あっただろう。
あれだけの スーパースターだったわけだから、
おかしな人も 周りに 沢山よってきたと思う。
彼自身も、もしかすると精神を病んでしまったのか?
それとも、まわりの嫌がらせが ひどく、
その人達によって真実ではない評判をたてられたのか?
今となっては真実を知る術は、ない。
●彼が自分自身の軸を持つことができなかった その原因は、
なんとなくだが、 黒人社会と 白人社会の間の 葛藤だったように感じている。
(当時、家族の関係に大きな問題をかかえていたと聞いた。
元々あまり信頼関係がない所に、
彼が小さな頃、父親や兄が、ライブツアー中に
ファンの女の子達に対してやっていたと書かれていたことは、
もしそれが真実で、私が同じ立場にたったとしたら、
いかなる理由があったとしても 許すことはできないだろうと
感じた質のことだった。)
..........
●日本にいると見えにくいことかもしれないが、
アメリカには今でも、厳然たる人種差別が存在する。
(ちなみに衛星放送などで海外のドラマを見ると、
今でもひんぱんに、そういったことに関連する話が出てくる。)
それは 現地に住んでみないと、 なかなかわからないことかもしれない。
お客さんで やってくる外国人には、 決して見せない、
欧米社会の一つの側面。
昔に 比べれば ずいぶんなくなったとはいえ、
人種差別は今でも世界中のあちこちで感じることができる。
マイケルもまた、そんな人種差別の中で苦しむ、 WASP以外の人間だった。
..........
●マイケルは ソロになった時から、
マネージメント会社が変わったと聞いた。
整形して肌が白くなった頃から、
黒人社会、そして 自分の家族、兄弟たちと、
心、はなれていったとも聞いた。
親との関係に問題があり、 自分が父親に似てくるのを、
とてもいやがっていたという 記事を見たことがある。
兄弟からの ねたみ そねみに関することも、
本当のことなのかどうかは
本人に聞いたわけではないので 事実を 知らない。
でも、当時、他の兄弟に 裁判を起こされたという記事が、
あちこちの 雑誌に 書かれていた。
白人からは 商業的に 利用され、
かといって成功しすぎたことで 家族との関係も良くなく、
黒人社会に戻るにも、
自分の居場所、安心して一緒にいられる人たちを、
失っていたように見える。
●そうした さまざまな 背景の中、
彼が”白人”になろうと努力していたのは、私には違和感があった。
最近の彼の肌の色は、私が昔知っていた彼の、 それではなかった。
整形手術を繰り返したのは、まるで、
愛を求めて 自分以外の何かになろうとしていた作業のように見えた。
キズつきやすい彼の内面を 隠すための、 一つの手段だったのだろうか。
心の奥底に、人種差別に対するトラウマを
しまいこんでいたようにも感じられた。
(欧米に住んだことのある有色人種の方なら、
『それ』は誰もが感じた経験を持っていることでしょう。)
●白人・・・中でもWASPになろうとする者の心の中に、
自分に対する自信のなさのようなものを感じるのは、
気のせいではないと思う。
日本人が 外国人のマネをすることも、
心の奥底にある自信のなさがうかがい知れる。
例えば、日本の若い女性の中に、 髪を染め、
極端に まつげを長くしてみる者がいる。
外国人の目から見れば、それはまるで、
黒いカラスがカラフルな羽をつけようと、
悲しい努力をしているかのよう。
男性が、アメリカ人のマネをしているのも同様。
本物の欧米人の迫力に対し、かなり違和感がある。
LAの道路の真ん中で、 そのような いでたちの東洋人を見るたび、
外国人になれるわけではないのに、 何をやってるんだろう?と、
いつも感じていた。
欧米の人からの観点では、そんな人たちを、
美しい東洋人として扱わない。
東洋人には東洋人の美しさがあるのだ。
彼らはそこには敬意を払ってくれる。
そしてまた、プラック(黒人)にはプラックの美しさがある。
でも、マイケルの子供時代は、
そのことを人前で大きな声で言える時代背景はなかった。
.........
●1ドル360円の時代。
白人と黒人は、友達になるだけで評判が悪くなった。
東洋人である私も、LAのディズニーランドに行けば、
同世代の子供に『ジャップ!』と罵倒された時代だった。
そんな空気の中で、自分だけが強くあろうとするのは、
困難が大きすぎたことだろう。
マイケルは そんな中で、 大スターとしての地位を確立していった、
20世紀後半の、音楽界の シンボルだった。
...........
●少し話がそれるが、 日本でも、
欧米の会社のものごとのやり方が良いと信じて、
自国の 文化的背景を無視し、
成果主義を 導入することが 流行った時期があったと思う。
そこにも 何か、人の心の動きが、 根底に流れているような気がする。
その心の動きとは、白人文化が良くて、
有色人種は良くない、というものの考え方。
●人間には、差別意識というものがある。
それは例えば男は女よりえらいとか、
都会が田舎よりすごいとか、 白人は黒人よりすばらしいといったもの。
私は世界中でいろいろな人種差別を目の当たりにしてきたが、
レース界、テニス界、ビジネス界、そして音楽界、
その他の業界・・・皆、口にこそ出さないが、
今でも 差別が皆無だとは 言えないように感じる。
オバマさんが当選したことや
ルイスハミルトンがF1でチャンピオンになったのは
本当に驚異的なことだが、 完全に文化が変わったわけではない。
●そしてそれは、私にとっては 良いことでも悪いことでもない。
ただ『そのような差別が存在している』と
認識しておくことが重要だと思っている。
そのことを わきまえていれば、
いろいろな面で物事を進めるのがスムーズになると考えている。
90年代、私が仕事で 欧米のレース界、
2輪のF1にマネージャーとして参入することになった時、
自己主張はしっかりしたとしても、
現地での態度に注意しなくてはならない、
大きな顔をする振る舞いは控えておこう、
自分たちが日本人だということを
忘れないようにしようと 考えていた。
なぜなら、あの場所は彼らが長い時間をかけてつくってきた、
日本でいう大相撲の世界のようなものだ、と 思ったから。
不思議なことに、そんな風に 考えながら行ってみたら、
すんなり受け入れてもらえた。
(今にして思えば、もしも無理して欧米人になろうとして、
彼らと同じ態度でも とっていたら、
仲間に入れてもらえなかったかもしれない。)
男女の差別、学校の差別、地域の差別だって、
それは同じ。 『差』を、否定しなければ良いのだと思う。
●対して マイケルの人生は、
その『差』を否定し続けたものに見えてしまう。
黒人として生まれた自分を、白人にしようとしたあげく、
体調をくずして、自分をダメにしてしまった。
たびかさなる整形によって、
感染症にかかったというニュースは、記憶に新しい。
今は、そんな彼が かわいそうでならない。
(鏡の中の自分に見える、
黒人の父親も 否定したかったのだろうか?
そんな彼の気持ちを考えると、とてもつらくなる。)
............
●マイケルがこの世を去ってしまったことで、
アメリカの時代も去ってしまったのだろうか。
モータウンの時代、ベトナム戦争の時代、
アメリカとハリウッドが、世界のナンバーワンとして、
世界中の人々から憧れられていた時代・・・。
私の心の中の、子供時代のアメリカも、
なくなってしまったような感じがしている。
彼が亡くなったことで、ものすごい空虚感を感じている。
こんなにショックを受けるとは、自分では想像していなかった。
...........
●世界同時不況の昨今、 世の中の 価値観も、
人々の心も、大きな変化の時期を迎えている。
これからどこに向かっていったら良いのか、
時代の方向性を 失っているように見える
アメリカと同じように、
マイケルも人生の方向を 失っていたのだろうか?
何年か前には、プロヂューサーとも ぶつかっていたと聞いた。
コンサートをやると言ってしまったのに、
体調が悪く 準備も大変で、
プレッシャーと ストレスに
押しつぶされてしまったのだろうか?
............
●私にとってマイケルは、もう歌わなくても踊らなくても、
ただ会って皆の前で話してくれるだけで、
力づけてくれる、うれしい存在だった。
彼は子供の頃から世間の注目にさらされ、
非常に大きなストレスを受けてきたと考えられる。
激しい人種差別の時代に、白人と黒人の両方の間にはさまれ、
注目をあびることは 大変なことだったろう。
本人の立場になってみれば、 神様のもとに召されて、
安らかな気持ちになっているのかもしれない。
今はただ、信じられない気持ちでいっぱい。
でも、もし マイケルが 天に召されて、
世界中の言葉がわかるようになっているならば、
彼に 伝えたいことがある。
・・・マイケル、沢山の思い出を、 本当に どうもありがとう。
アメリカでの青春を、ありがとう。
心の中にいてくれて、ありがとう。
I love you forever, and Rest In Peace...
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<佐藤瑞樹/Mizki-Kao-Sato>
●執筆業。講演・講師。
元・女性 2輪レーサー、4輪レーサー。元・女優。
イラストレーター、
医療コーディネータ、カウンセラーとしても活動。
帰国子女。実家が会計事務所を経営していたことから、
幼少の頃より政治・お金にまつわるさまざまな出来事を経験。
アメリカにて、軍事訓練に似た 人間教育プログラム、
経営者向け勉強会に 多数参加。研鑽を積む。
神奈川大学卒。横浜市 在住。
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●学研『レディスバイク』他、バイク雑誌連載、
『サンケイスポーツ』他 新聞連載、
マガジンハウス『ダ カーポ』他、コラム連載執筆、
角川書店『ウィリー』連載執筆、
講談社・週刊 コミック『モーニング』コラム連載執筆、
その他、多数の 雑誌・新聞などで連載執筆。
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●12歳の時 父 死去。出生時 母 死去。
幼少時から人間についての探究心を持ち、
'87年より アメリカ・サンフランシスコ、
LAにて、数々のself helpプログラム、
軍事訓練 (崖から飛び降りるプログラム) などの、
アメリカ人経営者向け勉強会を 多数経験。
●'82年、富士スピードウェイ・2輪ロードレースデビュー。
'84年、350ccクラスにて男性ライダー185人中、
唯一の女性ライダーとして予選ヒートレース 1位、決勝レース2位。
'84年、350ccクラス・年間ランキング5位。クラス昇格。
上記レースが きっかけとなり、
レース参戦記・コラムを 多方面の雑誌・新聞他に 連載執筆開始。
'84年、日本人女性として初めて、
250ccクラスの純レーシングマシン・TZ250にて、全国のレースに参戦。
'84年より10年間、ホンダVFRにて、夏の鈴鹿4時間耐久レース出場。
日本テレビ『ズームイン朝!』、
TBS『スポーツ&ニュース』特集 他、
数年に渡り TV スポーツ特集番組など 多数出演。
'85年、マツダスピード、マツダ株式会社、マツダオート東京と契約。
4輪レースデビュー。国内A級ライセンス取得。
4輪・富士フレッシュマンレースP1600クラス、最高位・予選6位。
(86年まで 2輪レースと両方同時、2年間参戦。)
'86年、国際A級 女性レーサー・
井形マリが監督する、チームマリと、
メカニカルサポート・
エンヂュランス・レーシングチームにて、鈴鹿4時間耐久レース参戦。
井形マリの妹、井形とも と 組み、
耐久レース史上・初の女性ペアとして参戦。
'87年 夏、病に倒れ手術、入院。
'87年 秋、フジTV 学園ドラマ『河田町工業高校』、
英語教師・伊集院先生役にて、女優デビュー。
半年間、女性レーサーの英語教師役として、レギュラー出演。
『なるほど・ザ・ワールド』 他 出演。
'88年、番組終盤に 再び 病に倒れ、2度目の手術、その後 長期入院。
その体験をもとに、病に悩む方々へのサポートを目指し、
日本医療コーディネーター協会・認定カリキュラム参加。
'88年、バイオレンス小説・ファントムシリーズ、
作家、故・竹島将氏に 師事。
校正アシスタント 及び、竹島氏が主宰していた
2輪WGPチーム、チーム竹島・運営アシスタントを経験。
’89年~'91年、本田技研工業株式会社と契約。
女性オートバイレーシングチームを結成。鈴鹿4時間耐久レース参戦。
'92年、世界グランプリロードレース (2輪のF1)、 マネージメント業・開始。
ヨーロッパ各国の現地ファクトリーチームと契約。
WGP 500ccクラス 運営マネージャーとして、世界16カ国 6年間転戦。
'94年、鈴鹿4時間耐久レース・NK4クラス参戦、唯一の女性として完走。
2000年 8月、カートレース・日本一決定戦 参戦。19位。
2000年、フォーミュラカーでの参戦を 考え、
体力づくりと身体のリハビリのため、テニスを始める。
2004年秋、海外のテニス大会に参戦。
オーストラリア地方選手権、ゴスフォード選手権・予選1勝4敗。
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●現在/執筆業を中心として、講演・講師、
医療コーディネーター、カウンセラーとして活動。
加えて 2001年より研究に取り組んでいる、
理系分野の分析を形にするため勉強中。
全国の教育委員会や企業にて交通安全、成人式 他の議題で 講演、
コラム執筆、翻訳、ゴーストライター、
カウンセリング、ビジネス コンサルタント、
アメリカ、ヨーロッパ、東南アジアとの文化交流にて活動。
趣味は 読書、テニス、サッカー、フットサル、ネコと遊ぶこと、
音楽 (Bass guiter・drum・vocal)、演劇、サイエンス研究、勉強会。