「死にたい」って、 最初に聞いた時は衝撃だった。
まだ7歳の子どもが、そんなことを言うなんて・・・
今まで積み上げてきた(と思っていた)ものが、一気に崩れ落ちるような気がした。
今からそんなことを言うなんて、この子は将来どうなってしまうんだろう・・・と。
しかしその後から、息子は、興奮して錯乱状態の時に度々その言葉を口にするようになった。
先日は、道端でも同じような状況になり、一時間強パニックは収まらなかった。
何を言っても息子の耳には届かない。
きっと思考が停止してしまうんだろう。
そして、上手くいかなければ、イコール「死ぬ」となってしまうんだろうなと思った。
それまで、なんとなく疲れは溜まっているような感じで、頭の働きは悪く、更に、宿題などあり、また、自分のやりたいことを思うようにできないということが重なっていた。
また、息子が一番発狂するポイント、母に自分の言い分が上手く伝わらないということも上乗せされた。
そのような悪条件が揃ってしまった結果、「死にたい」となってしまった。
「俺は◯◯◯したい!
◯◯◯できないなら、死ぬぞ!!」
と、道端で大声で叫ぶ。
周囲の人たちは明らかに心配そうに通り過ぎる。
こうなるとしばらく母は手に負えず、もう、近くの交番にでも駆け込もうかと何度も頭をよぎってしまった。
助けて欲しいというよりも、誰かに介入して欲しかった。
母を自分の思い通りにしようと発狂している息子の気をそらせたかった。
落ち着けるためには、たぶん、母が心から謝り、同意することが必要なのだ。
でも、謝る理由もないし、母が一度そうすることで、何もかも許してくれる、と、誤学習してしまうことにならないかと、それも心配になってしまう。
結果、一時間ほど公共の場でパニックを晒し、少し収まったところで自転車を走らせ、泣きながらではあったが、居場所を変えると、息子はケロっと治った。
これがまた、不思議なところである。
さっきのことは、覚えてはいるが、全くその後引きずらない。
息子はその後寝るまでご機嫌であった。
不幸中の幸いというか、それはとても良いことなのだが、やはり、彼の先程までの態度は、脳の誤作動が成せる技なのかなと感じてしまう。
そのことを放デイの職員さんに相談すると、
「まるで2、3歳のイヤイヤ期ですね笑」
と。
確かにそう。
息子の頭の中では、幼児期のイヤイヤ期がずーっと続いているのかもしれない。
「百ゼロ思考で、嫌な気持ちを、『死ぬ』としか表現できない子は、他にもたくさんいます」
と、職員さんは仰っていた。
なるほど・・・
そういうことか。
「死にたい」
は、
「生きていたくない」
ということではなく、
「もうこの世の終わりだ!それくらい(頭が混乱して)辛いんだ!!」
ということなのか。
しかし、どうにかしてあげたいが、それを聞いても未だにどうしてあげたらいいかが分からない。
毎日ではないそんな時のために、薬を増やすのもためらわれるし・・・。
こういう時、大家族だったらなぁといつも思う。
大家族だったら、きっと、母がダメなら選手交代で、色んな人が介入することで、すぐに解決するんだろうなぁ、と。
母と息子。
2人だけは、気楽な反面、こういう時とても辛い。
24時間絶対に繋がって親身に話を聞いてくれるホットラインがあればいいのに・・・。