児童精神科を再び受診。

息子の現状を伝える。


息子は調子が良い時と悪い時の波があり、それはたぶん体調も大きく左右していそうだということを言うと、先生は頷き、
「感覚の過敏も、体調が良くないと顕著になります。」
と教えてくれた。

息子の過敏は、年齢とともに落ち着くことはなく、むしろ酷くなっていると思う時もある。

朝は太陽の眩しさに目が開かず、木々の緑の匂いに鼻をつまみながら登校している姿を見ると(笑)、この子の世界はただでさえ刺激が多くてストレスフルなのだなぁ、と思う。

疲れやすくても仕方ない。

先日は、登校時にいつも舐めているお気に入りのラムネを一粒落としてしまい、泣き崩れて学校へ行けなくなってしまった。

そのラムネには、何個かに一つ、ハート型が描かれているものがあり、よりによってそれを落としてしまったのである。

そういうところがなんとも息子らしいが、先生曰く、
「それも一つのこだわりですね」
とのことだった。

それから学校の担任の先生にお願いしていた、ADHDのチェックリストも手渡した。

担任の先生は、
「二年生なんてこんなものですから。
みんなに対しても、きっと同じようにつけますよ」
と言ってくださったが、結果はやはり、傾向強めと出た。

他、発達検査の結果や、今までの経緯、色んなことを総合しても、息子は、
「発達の偏りがあり、とても敏感で、不安の強いお子さんですね。」
とのこと。

それから、
「ASD(自閉スペクトラム)とADHDの特性があります」とはっきりと言われた。

母は、前々からはっきりさせておきたかったことを聞いてみた。

「息子は、診断が付くレベルなんでしょうか?」

先生は一呼吸置いてから言った。

「必要であれば出しますよ。出すことは可能です。」

その言葉を聞いた途端、予想はしていたが、なんだか胸に鉛のようなものが沈み込んでいく感じがした。

もう引き返せないくらいの重い鉛。

そしていつ海面に浮上するとも分からない、この心許なさ。

しかし、この際だからとことん聞いてみようとという思いも湧き起こる。

「それは、、グレーっていうことですか?」

「グレーという表現ではなく、スペクトラムなので、定型のお子さんから症状の重いお子さんまで、一続きなのです。色んなお子さんがいて、そのどの位置にいるか、ということだけのことですよ。」
と、先生は丁寧に説明してくれた。

「HSCってのとはまた違うんでしょうか?」

「Highly Sensitive Childですね。
それは診断名ではないです。
でも、おそらくHSCと言われるお子さんの大半は、ASDなんだと思いますよ。
他人との境界線がはっきりしていないということです。」

先生は簡潔に言い、母はそこでようやく納得するところまで頭を持っていけた。

息子の現状。どういうわけで、困った事態になっているのか。

コミュニケーションも取れ、人と関わるのが好きな息子は、空気も人の顔色も読めるが、その一方で、注意欠陥のところもあり、常に頭の中がとっ散らかっている状態で、なかなか相手の立場に立つのが難しい。

その相反するところが混乱を招くけれど、要は、敏感すぎるが故に、訳の分からないものから自分を色々と守っている状態=自閉なのかな、と。


思えば、乳児の頃から、こだわりと癇癪は酷く、ちっとも落ち着かず、いつも小さな爆弾を抱えているような気持ちで子育てしていた。

人間ではなく、いつ爆発するか分からないモンスターと暮らしているような感覚。

皆きっとそんなものだと思ってたんだけど、違ったんだな・・・。

一人目だし、産むまで周りに赤ん坊がいる環境ではなかったので、良く分からないまま時が経ち、問題が大きくなってからようやく気づいた。

もしもっと早く息子の困り事に気づいていたら、、、それが、相談できるものと知っていれば、もっと早くから療育という手があったのにと、悔やまれる。

それは決して、息子を障害者にしたいわけではない。

いったいこの困難はどこから来ているのか。
どういうわけでそういう現状になっているのか。
どうすれば息子と笑って過ごせるようになるのか。

それを知りたかっただけである。


診断がつくことで、それがはっきりすれば、息子を助けられるだろうと思った。

でも、もう遅いのか。

「このままやっていっていいんでしょうか・・・?」

母が恐る恐る尋ねると、先生はこう言った。

「お母さんは、今、できることは全てやってあげていると思いますよ。」

それを聞いて、ささくれ立った気持ちが少し和らいだ。

こんな鈍感な母でも、肯定的に言われると、胸に刺さった氷が少しずつ溶けていくような、また新たな力が湧いてくるような気がした。

これからも、色んなことが起きるだろう。

その度に、親子で悩み、右往左往しながら、未知の世界を息子は見せてくれるんだろうと思う。

そしてそれはもしかしたら、母が見たこともないような素敵な世界かもしれない。

そんな淡い期待を込めて、母は明日もきっと頑張る。