3月20日の春分の日、






父が亡くなった。









とりたててめちゃくちゃ

仲が良かったわけじゃないけど、





でも心の底から

大好きだった。





どんなにケンカをしても

どんなにひどい姿を見ても





決して嫌いには

なれなかった。










父は中学から早稲田に入る程

頭が良く、





時代の波に乗って

上場企業の部長にまでなった。






でも50代で会社に裏切られ退職。





家のお金をほとんど使ってまで

個人経営するもうまくいかず、

次第にお酒の量が増えていった。






私が高校生の時には

手が震えるようになっていた。






とりたてて

趣味があった訳でもなく、





旧友とのつながりも途絶えて、

兄弟との仲も悪くなってしまい、





晩年は何度もお酒に溺れて

アル中病院にお世話になった。






警察にも何度も

お世話になった。






父のアル中が原因で

1家離散の危機が何度もあった。







私が長男を出産して2週間後に

飲酒運転をなかなか辞めない父に

家族みんなが困り果てて、






姉が警察に通報してくれ、

逮捕してもらったことがある。






警察に連れられて帰ってきた父に

母が泣きながら罵声を浴びせ、

「すみません」と静かに謝る父。






私は新生児を抱えて

その光景を黙って眺めていた。






お酒を辞められないことを、

情けないと思ってる父を、

どうしたら救ってあげられるのか

まったく分からず、





私は赤ちゃんを抱きながら

1人泣いた。






アル中は20年ほど続いた。







思い返しても

決して良い父親ではなかった。






上場企業の部長だった頃は

飲み歩いて帰って来ない日々。







退職してからはお酒のことで

家族みんなを敵に回した大喧嘩を

何百回もやった。







でも頭がいい人だったから

博識で、何でも良く知っていた。






若い頃はバンドを組んでいて、

お酒が入るとよく歌を歌っていた。






私のために

歌を作ってくれたこともある。







どんなに小さな手伝いでも

必ずお小遣いをくれて、





末っ子の私には甘かった父。






病院の送迎をしただけで、

未だにお小遣いをくれた。






私が離婚して出戻ってきたときも

黙って迎え入れてくれた。






だからもし父の介護や

最期の時がきたら、

必ず姉や兄に変わって私が

見ると決めていた。







そして去年のちょうど今頃

父の調子が悪くなりだした。






貧血と息切れで

歩くことや階段を登ることが

辛くなりだした。







20日ほどの検査入院で







母にだけ父の余命を

宣告された。






もって半年。

長くて1年。






いつ心臓が止まっても

おかしくないとのこと。








それを聞いて

目の前が真っ暗になった。






もしかしたら

明日いなくなってしまうかもしれない。






朝起きたら

冷たくなった父を見るかもしれない。








心がずんと重くなる。







でも父はいつも通り

夜にはお酒を飲み、

たまに失敗してしまう。






そんな日々だったので、

なんだかんだ病気は治って

長生きするのかもしれない。






そう思ってた。







でも今年に入って食欲も落ち、

トイレ以外歩かなくなり、






どんなにケンカしても

辞めなかったお酒の量が

どんどん減っていった。







3月に入るとお酒を飲むことすら

できなくなり、

ソファでテレビをつけながら

ただただ1日中寝ていた。







それでもプライドだけは

誰よりも高い人だったから、

杖をついてでもトイレには

自らの足で行っていた。






だんだんトイレに行くのも

命がけの状態になり、







入院の予定を早めて

私が仕事を休んで病院に送っていった。







入院の手続きの間

車椅子でしんどそうに待つ父に、

「しんどい?」と聞くと、

虚ろな目でうなずいた。






それが父との最期の会話だった。








入院から次の日、

子供たちとテレビを見て

何気ない時間を過ごしていたら、






「息を引き取りそう」

と病院から母に連絡が入った。






この1年弱っていく姿を見てきたから

覚悟はしていた。





覚悟はできてた。






でもまさか昨日の今日なんて

思ってもみなかった。







いざその時がきたら

泣き崩れてしまった。







忙いで病院に向かった。






父の最期には間に合わなかった。







オデコに触れたら

まだ温かかった。






手もまだ温かく柔らかかった。






でももう息はしていなかった。
















父は毎日欠かさず日記を

書く人だった。







日記を読むと、

父は最期まで生きることに

前向きだった。







まだまだ生きるつもりだった。







死ぬのが怖かっただけかもしれない。









毎日やってくる「今日」という日は

父がどうしても生きたかった日。







ただ何もせず

ソファに座ってテレビを見てるだけの

人生でも、






手放したくなかった日。








たとえ来世があっても

「私の父」としての「今日」は

もう二度とやってこない。












生きるって大変で辛いことも

多いけど、







「生きてる」ってそれだけで

価値がある。







「生き続ける」ことは

もっともっと価値がある。









「手離したくない」







それが「生きる」ってこと

なんじゃないかな。









私も父と同じで弱虫だから

面と向かっては言えなかったけど、







ほんとうに今まで

ありがとう。








おつかれさま。










大好きだよ。