お久しぶり。
こめちゃんはこないだオナマシ×ガガガSPのライブに行ってきたよ。
初めてガガガSPのライブをみたの。
それでガガガSPのボーカルのコザック前田さんが言ってたことがすごいわたしの中で電撃が走ったのでどうしてもここに書きたくて。Twitterの140字じゃ伝えきれなかったから。
コザックさんがライブのMCで『自分たちの曲を聴いてこの曲聴いてた時こんなことあったな懐かしいなって思ってくれればいい』って。
めちゃくちゃ単純なことなんだけど、あー、確かにって思った。
わたしは正直ガガガの曲聴いて『懐かしい』って何度も思ってた。
でも『懐かしい』って言葉ほんとはあんまり好きではなくて、、、まあつい言ってしまうんだけどね。どうしても。
それはわたしも絵を描く、アーティストで『消費』されてしまう存在になりがちであるからなんだけど。
わたしも活動を本格的にし始めてそんなに長くないけれどそれでも『あぁ、あの子はもうわたしのこと見なくなってしまったんだな』と思うことがよくある。
それは、ただただ『消費』されているな、わたしの絵なんてティッシュくらいの感覚なんだなっておもってとてもさみしいといつも思っている。
でもそれってコザックさんが『誰かの想い出の一部に自分の曲があればそれは幸せ』みたいに言ってたことから考えると『消費』じゃなくて『想い出』なんだなって。
きっとあの子は幸せになっても不幸になっても『あぁ、あの辛かった時こめちゃんの絵に救われたな』って思ってくれるかもしれない。
それって、めちゃくちゃすごいよね。
誰かの小さくても大きくても『想い出』になれてるってことだもん。
きっとわたしは普通にただただ生きてる人よりは絵があるおかげで
誰かの『想い出』になれる機会が多いのでは?
と思って、わたしがいままで感じていた『消費されている』という感覚は違っていたのかもしれないなと。
『消費されている』じゃなくて『想い出になっていく』なんだよ。
スゲーーーーーその考え。わたしにはずっとできなかった。とても単純なことなのに思考回路がそっちに今までいかなかったんよね。
本当に救われた。
本当はずっとずっと好きでいて欲しいけど、
前好きだった、あの時この絵を観て生きれたって言われたらめちゃくちゃ最高では?
わーーーーすげーーーこめちゃん!!
過去って、想い出って死ぬまであるから、誰しもがもってるものだから。
その一部にわたしの絵があればこんなに幸せなことはないです。
これからも、こめちゃんと君とで想い出たくさんつくっていこうね。
おわり