スピリチュアルな観点から言えば
自分に何か今起きている問題は
「人」が問題なのではありません
いっけん問題は
対峙している「その人」のように見えますが
自分の魂の成長のために
自分自身で外側に問題となる人を
設定してそれを見ているだけなのです
だから
「人」ではなく「出来事」と
捉える方が乗り越えるのは簡単かも知れません
あくまでも「その出来事」は
自分自身の霊的な魂の成長のためのものなので
例えば
今、向き合わずに回避出来たとしても
再び似たような出来事が起きて
対処しなければならない時が
訪れると思います
分かりやすく言えば
Aさんからされた事が気に入らなかったとすると
どうやってAさんと対峙したら良いか
またそれが思うように上手く進まないと
Aさんが悪いという思考になりがちで
他人のせいにするというループから
抜けられずに解決の糸口を失い
苦しみからなかなか脱出できない状態に
陥るかも知れません
また問題を直視せずに
避けることが出来たとしても
次は相手がBさんになって
再び同じような問題が
目の前に現れるかも知れません
大事なのは
自分にとって何故その出来事が起きて
乗り越えていくには
どうするべきか
答えは自分の中にあります
自分自身で
その問題を乗り越えるという
設定を前もってしてきているのだから
自分の思い癖や
考え方のどこを変えたら
答えを導き出せるのかに集中した方が
早く脱出できると思います
人は生まれ
生きている限り
スピードは個人、個人
違えども
皆、魂を成長させ
より高次元を目指すようになっているそうです
そのために
自分自身で乗り越えるべき問題を
あらかじめ自分で設定しているので
その時期が来ると
その状況に必然的になっていって
それに向き合い
乗り越えて課題をひとつクリアして
成長して再び次のステージへと進みます
これが肉体を持ち人が生きる意味です
肉体を持つと
そこに「相手」という人物を設定しやすいのです
だから分かりやすく
問題に取り組めて対処もしやすくなります
より高次元へ行くと
肉体を持たずとも魂だけで生きていけるのは
こういった理由からだと思っています
今世で
その状況を対処出来ずに肉体が朽ちると
来世で再びその問題に対処することになるのだと思います
こうして
私たち肉体を持つ魂の存在は
生まれ変わりを繰り返して
ひとつずつ課題をクリアしては
より高次元を目指しているのだと
思っています
どんな苦しみも
その人に乗り越えられないことはないと
良く言いますが
自分自身が自分の力量に合わせて
乗り越えるべき問題を
その時々に設定しているのだから
当たり前と言っては当たり前です
例えば
親しい方を亡くすことから
多くを学ぶ人がいるとすると
そこに感情という
➕αのものが生じたりするので
余計にややこしくなりがちです
これはとても困難で厳しい学びですが
皆さん誰しもが経験する1番身近な
出来事かも知れません
その他に起きる問題で多いのは
誰かを恨んだりする
自分がどうするべきか
どういった感情を手放し
どういった思い癖を手放し
特定の人を恨む気持ちをどのように手放すか
何故その人を許せないのか
その人が自分に試練を与えたからでしょうか?
その試練からの学びは何ですか?
私の場合は
気の合わない人たちと一緒にいることで
不協和音が生じて
要らぬ嫉妬を受け暴言を吐かれたりしました
でもそれは合わない人から離れなさいという
サインだと思っているので
感謝してそこを離れることで
問題の解決となりました
これには長くかかりましたが
結局その人たちの中に仲良くしたい人がいたので
なかなか関係を手放せなかったから
問題解決に至るまで時間がかかってしまいました
今は離れることが出来て平穏に暮らしているので
暴言を吐いた人にも感謝出来るようになりました
つまり私はその時期に
別な道へ行くことを設定してきていたので
そこで学んだことから卒業すべきだったのに
いつまでも執着してそこにいたことで
必要の無い苦しみをずっと受けていたことに
気づき離れて学びを終えました
そこに反省はいりません
反省することは重たいエネルギーで
過去に捉われることになり
イマココを生きている状態にならないのです
問題解決の糸口を自分の内側に探す
余裕があればプロセスを楽しむ
解決して
その課題に登場してくれた人たちに感謝して
全てを手放し
乗り越え
学びを終える
必要なのはこれだけです
あくまでも
この問題に直面するよう
登場人物も出来事も設定したのは
「自分自身である」と念頭におけば
少しでもラクになれるのかも知れませんね
何かの
お役に立てれば幸いです🥰