先ずは報道されていた事実から。
・2017年3月のSNS上の昭恵夫人の発言
「神様は全てご覧になっています」
「神様はどこに導こうとしているのか。とにかく祈っています」
・文春オンライン記事より
昭恵氏は2014年当時、森友学園の理事長だった籠池泰典氏の教育方針に賛同し、講演のために同学園を訪れた。その際、問題となる国有地を視察し「いい土地ですね。話を進めてください」などと語って、籠池夫妻と一緒にスリーショットを撮影した。
<引用終了>
昭恵夫人は聖心、立教とミッション系の学校で学んでいます。しかしながら、昭恵婦人は学んではいるものの、キリスト教を全く理解できていないのではないかのでしょうか。自殺者は森友学園関連の文書改ざんがトラウマになり、自殺に追い込められたのではないか、そのように考えることができます。
最初に赤木氏が自殺に追い込まれた、その心理状況について考えてみます。
ラケット感情という言葉があります。「偽の感情」であり、怒りや悲しみの感情を押し殺すといずれ爆発したり、自分で自分を追い込んだりしてしまいます。その後、怒りは良心に反する行為をした自分自身に向けられ、さらに「反社会的行為をしてしまった」という罪悪感にさいなまされるようになります。故赤木俊夫氏もこのような心理状態で自分自身を崩壊させていったものと容易に推察されます。
冒頭に記した通り、昭恵婦人は「神」という言葉を使っています。旧約聖書の「創世記」には、善悪を知る木の実を食べても死には至らないとヘビがイヴを惑わしたと記されています。惑わした罪は大罪で、以降ヘビは「一生地を這いずり、ちりを舐める」ことになったのです。キリスト教を学んだが理解できていない昭恵夫人が森友学園側を惑わしたという行為はヘビと同じであり、同罪であると申し上げるしかありません。
「聖書」名表現の常識 石黒マリーローズ著より
英語には、ふたつの罪という言葉があります。ひとつはcrimeで犯罪、つまり法律を犯す罪のこと。もう一つはsinで、これは神に対する罪のことです。
<引用終了>
宗教的観点や道徳的観点で考え記すと長くなりますので結論を述べます。それは残された裁判に勝訴する可能性は極めて低いということです。佐川元理財局長は「公務員が違法に損害を与えた場合、賠償責任があるのは国で、公務員個人は責任を負わないことが判例として確立している」と主張しています。このような仕組みは官僚が長年に渡り築き上げたものであり、あの薬害エイズ事件の際も、現在係争中の福島第一原子力発電所事故の裁判でも官僚の罪は問われていません。
それでも闘わずにして勝つ、つまり法廷闘争以外で相手から謝罪と賠償を得るには、人間がつくった法律ではなく、神の律法の領域で国民に訴え続けるしかありません。イヴを惑わしたヘビのような言行を行なった昭恵婦人の大罪を許してはなりません。
昭恵婦人は「死後裁かれる」のです。悔い改めないと天国で待つ人々にも、もちろん神にも会うことはできないのです。
最後に、自死された赤城俊夫氏、ご遺族の方々に改めて哀悼の意を表させて頂きます。