最期に会いに来てくれた | 最愛の人

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最愛の人との永遠の別れ。誰もがいつかは経験するかもしれません。少しでも今ある幸せを大切に過ごせますように。

次の日、空くんのお葬式がありました。



あの日、「火葬せずに連れて帰ったら色々と説明がつかないから、事故で損傷が激しかったから火葬して帰った事にする」と義母が言っていたと、知り合いの方から聞きました。
私の田舎は、誰もが、名前は知らなくても顔は見た事ある、というような本当に小さな町です。
口には出さなくても、みんな空くんの死は不自然なものだと感じていたと思います。


話が前後しますが、5月1日。空くんから子どもの日のプレゼントが届いた日の夜、私は夢を見ました。私と子どもたちはバスに乗っていました。
バスの外には空くんがピンクと水色の小さなプレゼントを持って立っていました。
子どもたちが「お父さんだ!」と言いました。空くんは持っていたピンクのプレゼントを娘に、水色のプレゼントを息子に渡しました。子どもたちはとても喜んでいました。
私は「こんな物いらないわ!」と言いました。空くんは見覚えある悲しそうな申し訳なさそうな顔をして私を見ました。
するとバスのドアが閉まり、バスが動き出しました。空くんは私たちに手を振りました。空くんはずっとずっと見えなくなるまで手を振っていました。

今でも鮮明に覚えている夢です。
空くんは5月1日に、義母や兄弟と大喧嘩をし、そのまま家を出たとの事でした。
そしてそのまま、誰に探される事もなく、発見されたのは5月5日でした。
検死の結果、死亡推定時刻は5月1日未明でした。
空くんは最期に私と子どもたちに会いに来てくれました。でも私は、空くんがもうこの世にいないなんて思ってもみなかった。だから夢の中ですら、笑いかけてあげられなかった。
「プレゼントなんて本当いらない!迷惑!」…って姉と話していた事すら、もう全部聴こえていたよね。


お葬式が終わり、また日常が始まりました。
私たちには、空くんを想い手を合わせる場所がありませんでした。
お墓には何回か行きましたが、同じ場所に義父が眠っていると思うだけでたまらなく嫌な気持ちになり、行きたくないと思うようになりました。
それと…空くんは絶対ここ(お墓)にはいない…と感じていました。

そんな時、父が「位牌を作ってもらおう」と言ってくれました。
お寺に行き事情を話すと、快く受け入れてくれ、お経をあげてくれました。
そして、位牌に戒名を記してもらいました。


空くんの実家の居酒屋は、空くんが亡くなってからすぐ営業を再開し、空くんが帰って来ないとお店がつぶれると言っていたのが嘘のように、つぶれる事もなく続いていました。

あれほどの借金があり、義父も亡くなり、空くんもいなくなったのに、どうしてお店を続けられるのか…私には何一つ分かりませんでしたが、正直もうどうでも良かった…空くんがこの世にいないという現実だけで、私は毎日を過ごすのが精一杯でした。