一人で叫んだこと

 

 一人で、叫んだこと。


それは、「ありがとうございました」。


でした。


私は、ここ数年、

「お墓参り」に行っていませんでした。


「コロナ禍」もあり、

日々の生活、体力的に。


「いけなかった」を理由にしていました。


ですが、

「いいわけ」を考えても、「仕方ない」。


ここ、数年の、


心残りは、

「お墓掃除」、「お墓参り」にいけなかったことでした。


祖母が、約3年ほど前に亡くなり、

実家も、仏壇には、

手を合わせに行ったのですが、


本当に、数えるほど。

祖母は、私の夢の中に、

何度か姿を見せてくれ、

ここまで、

亡くなった人を「夢」にみるのは、

初めてのことでした。


そして、

祖母との晩年の関係は、

あまりよくなかったように思います。


祖母は、大人しい人ですが、

とても、気丈な女性でした。


特に、身内には、とても、厳しく、

他人には、優しい女性でした。


そして、それ以上に、

自分にも、とても厳しく、

「節制」という「言葉」が思い浮かぶくらい。


まるで、「僧侶」や「宗教的な戒律」を

重んじるような。


そのような女性でした。


いらないと思うことは、

口にせず、ただ、己を見つめなおし、

よく、働き、自分の身体が動かなくなる

ことは、祖母にとって、


生きがい


を見いだせない状況だったのではないか?


と。


今なら、その気持ちも分かります。


また、祖母は、

祖父の父母の月命日や「お墓掃除」、

「仏壇」の

「手入れ」は、欠かさず、やっていました。


植物を愛し、

野菜や花を育て、


料理がとても美味しかったです。


そんな祖母が、

大切に思っていた「墓掃除」、

「墓参り」を


この間、ようやく、

「実現」することができました。


「墓石」を磨き、

「葉っぱ」を拾いながら、


ただ、


「ありがとう。」をつぶやきながら、

「掃除」をしました。


すると、

涙が溢れ、


ご先祖さまでは、

長く生きられなかった人、


この場所に、

「土地」に根を張って、

生きてきた人たちの「思い」。


こうやって、「墓守」も、

受け継がれてきたのだと。

改めて思いました。


私が共に、住んできたのは、

「母方の祖母」で、もう、「家名」を

受け継ぐ人は、いません。


私も、嫁ぎ、「家名」が変わり、

住む「場所」も変わり、


このように。

「家名」は、なくなっていく。

ことを改めて思いました。


ですが、

「家名」がなくなっても、

「先祖」から、受け継がれた「血脈」で

あったり、「意志」は、今、わたしの「子供」を

通じて、受け継がれていく。


そう、思いました。


土の感触、

葉っぱの感触、

お墓を磨いて、

拭いて、

お線香を立てて、

手を合わせて。


ただ、「ありがとう」とつぶやき。


これから、

私が「成すこと」を

「ご先祖さま」に、

「お伝え」しました。


「言葉にして」。


どうか、見守っていて下さい。


「誓い」を立てて、

「ありがとうございました。」と大声で、

「一礼」をして、


帰っていきました。


「ありがとう」しか、

出てきませんでした。


今、ここにある「瞬間」が、

とても、「幸せ」でした。


触ることは、

「生きている」こと。


息を吸え、吐くのも、

「生きている」から。


痛みも、感謝も、

「生きている」から。

 

全ては、

「生きている」からこそ。


味わえる「感覚」。。。


だから、

今日も、

「ありがとうございます」。


あなたの1日が、

今日も、素晴らしい日でありますように✨

 

 

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