今年2月にあったお話

 

 

りゅうのクライアント様から

こんなに豪華な果物をいただきました

 

大好きな古都華にせとか

 

その贈り物には深いストーリーがありました

 

 

 

プライベートでも仲良くさせていただいている

クライアント様のO様

毎週手土産をくださるのですが

そう言えばここ2ヶ月ほどないなぁと思っていた所

帯状疱疹でとても厳しい状態だったようで

りゅうの訪問治療をお休みしていたとのこと

 

その2ヶ月間の出来事を聞かせてくれました

 

 

 

※O様には記事にさせていただく了承いただいております

 

 

O様は突然帯状疱疹ができて

お医者様から薬を処方され

疑いもなく服用されていました

 

ですが日を増す毎にO様の状態が良くなる所か

ご家族の方々が

「お母さんなんだかおかしい、、」と

家族会議が開かれたそう

 

 

「お休みの日に申し訳ないのだけど

診にきていただけませんか」

とりゅうに連絡が入り

りゅうはこの2ヶ月の間、何があったのか伺い

服用されている薬を拝見して

考えられる可能性をお伝えしました

そしてご本人とご家族は薬の服用を中断されました

 

そしてすぐに訪問治療を再開し

おかしな症状はなくなり

元の生活に戻ったようです

 

 

りゅうのクライアント様はこういった

医療で何ともならない、、

医療にかかり重症になった、、というような

どこへ行ったら良いのかわからなくて

悩まれていた方々が多くいらっしゃいます

 

 

お医者様は決して

苦しめるために処方してるつもりはないのだろうけど

クライアント様自身のことを視ていない

私も過去、医療に沢山かかった経験をして

現代医療に対して痛感しています

 

 

帯状疱疹→この薬

ここしか視ていない

 

 

医者≠絶対正義

 

 

お医者様の判断が

自分にとっての絶対正解ではないということ

 

何故なら医療の在り方の多くは

根本治療ではなく対症療法だから

 

対症療法はその一瞬は抑えられたとしても

根本に原因があるので殆どの確率で再発します

肩こりや腰の痛みといった

どんな小さな症状だとしても、、

痛みや症状は心と身体のSOSサインです

 

 

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10年前、私の母は癌で亡くなりました

発覚してから1年半年間の闘病生活

今振り返ると

沢山の落とし穴があったことに氣付けます

 

 

突然母の目の前に現れた暗闇

母は恐怖で誰かにすがりたくなったのでしょう

自分の考え意思などすっ飛んでしまい

看護師経験のある私の10歳上の姉に

自分の命を託したのです

母は姉の勧めで抗がん剤治療を選択しました

 

父と私も、姉の意見に頼るしかなく

考えたり調べたりする猶予もなかったので

渋々母と姉の選択に賛同しましたが

実の所、私は反対でした

何の知識も根拠もない私が主張できる筈もない、、

ただ、母は過去に何度も

「もしいつか癌になっても治療はしない」と

口にしていたことだけ覚えていた

 

 

母の癌は発見されたとき既にステージ4

5段階中のステージ4

全身転移していた

胃付近に巨大な腫瘍ができていて

圧迫し苦しい状態だったので

原発巣が見つかっていないまま

早急にその胃の回りの腫瘍に対する

抗がん剤治療が施された

 

素人の私でも抗がん剤というものが怖いもの

だということは知っていたけど

勿論深い知識はないので

良くなって欲しい、奇跡が起きて欲しい

母は特別であって欲しいと

願うことしかできなかった

 

今当時の私を振り返ると

他責でしかないし奇跡なんて起きない

悔い改めるべき点ばかりで

若さを理由に「仕方ない」と片付けるには

本当に浅い人間だったと悔やみ切れません、、

 

 

姉は諦めたくないからと抗がん剤を選択した

勿論私も諦めて良いと思って反対したいのではない

 

着目する点はそこじゃない

 

本人はどうしたいか

どのように人生を全うしたいか

どのようにこの病気と向き合いたいか

どのように残された時間を過ごしたいか

 

その時には分からなかったけど

抗がん剤か諦めるかの二択しかなかったことが

母、そして私たち家族の生きた結果だったのかなと思う

 

違う道を選択できる方法を模索することはできた

現にそのようにして癌と向き合い

生きていらっしゃる方が沢山いる

 

母は生まれた時から両親がおらず寺で育ち

養子にも入らず、社会に出ても朝も晩もずっと働き詰め

国の保障も受けず姉を一人で育て、

再婚し私を産んで育ててくれた

とても苦労の多い人だったと思う

 

様々な観点から見ても

何故癌になったのかを紐解く原因は沢山あったように思う

それは母の食生活と幼少期からの環境、

生き方、思想、家系など

またこの話は長くなりそうなので別の機会にしますが

本当に人間というものを知るには根深く

そしてシンプル

 

あれだけ長年

「もし癌になっても抗がん剤治療はしたくない」

「苦しんで死を迎えたくない」と言い続けていた人が

結局は目の前の西洋医学を選択せざるを得なかった

 

癌=抗がん剤という

“社会の常識”に飲み込まれていったのだ

 

闘病中、母はこっそり私だけに

「もう苦しい、辞めたい」と何度も泣いて吐露していた

一生懸命支えてくれている姉には

申し訳なくて言えなかったのでしょう

 

私は当時25歳

医療や社会、身体の知識なんて微塵もありません

そんな私が

「もう無理しないで、、苦しまないで、、

お母さんがどんな選択をしても

私は賛同するよ、、」

と言いかけたけど言えなかったのは

 

そのセリフが「もう死んでもいいよ」になるのが怖かった

決して決してそんな思いなど一ミリもないけど

「頑張ろうね、一緒に頑張ろう、、」

これしか言えなくて、母と共に泣き

日々の生活を支えることしかできなかった自分が

今とてつもなく悔しい

 

母が抗がん剤治療を頑張った結果

残された家族は何を学んだのだろう

 

亡くなった母に問いたい

本当はどうしたかったのか

 

どんどん薬の力に負けて弱くなっていく母の姿を見て

おかしいと感じていたのは私だけじゃないはず

 

私が母の立場なら

胃の回りの腫瘍は放射線のみで小さくなったので

その後の抗がん剤はせず、

食生活、生活習慣の見直しをしながら

家族に協力を仰ぎ

ちゃんと自分で自分の残された時間と向き合い

家族と向き合い、子供にその姿勢を見せたいと思う

(癌の種類も色々あるのでその症状にもよりますが、、)

 

 

 

きっとあの時、母の命を預かり

自分に選択権を委ねられた姉は

とてつもなく苦しかったと思う

当時、癌発覚の1年前に起きた出来事で

姉妹の確執もあった

姉自身、幼少期から抱える問題も多く

人に頼るということができない人だった

今なら何故姉が頼れない人なのか

陰陽五行易学を通して性質や心理も理解できる

 

 

 

母が弱っていく姿、薬が効いてる証拠

そんな言葉は今となれば利権、医療の闇、、

都合の良い言葉で溢れていることを

この経験を通して氣付ける力を養った

 

 

もし今母が生きていて

今癌が見つかったとしたら

私の言葉を信じてもらえるように

信頼してもらえる人になりたいと

知識だけでなく人間力も鍛えてきた

 

あの時、りゅうのような西洋も東洋も中医も精神も

様々な視点から見れる知識と優しさも兼ね備えている

人が周りに居たら相談できたのにと思う

 

 

 

母が命を張って教えてくれた経験を活かして

これまで学んできたし

これからも周りの大切な人の役に立てるように

成長し続けたいと心からの戒めになっている

 

 

 

 

 

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O様は命拾いしたと、

その感謝の気持ちを少しでも現したいと

あの果物をくださったそうです

 

 

 

 

 

皆様の周りに、心や身体

色んなことを相談できる存在はいらっしゃいますか?

本音で話せる人間関係を築けていますか?

あなたにとって家族とは何ですか?

知識は備えていますか?

 

 

 

“そのとき”は突然きます

こんな時に?!、、

、、そんな時にきたら

あなたはどう対処しますか?

何を選択できますか?

 

 

愛を込めて、、

 

 

狭間 美由紀