ブログを書く頻度を上げると書いておきながら、
気がつくと、はや4月も過ぎようとしていますね^^;
4月は、2週間の東京本社研修を終えて一旦帰宅した娘の県外への引越しを、
その翌日からの4日間で完了するというミッションがあり。
4月中旬は、そのお手伝いに行ってきました。
3月頃から荷造りは少しずつ手伝っていたものの、
荷ほどきや、細々とした生活準備もまた大変な作業で、
久しぶりに引越しの洗礼を浴びました。
精も根も尽き果てるというのは、ぴったりの表現ですね^^;
しかし、娘の新たなホームとなるその地は、
とても優しく穏やかな波動に満ちていて、
出逢う方々も親切で温かく、私自身も癒されました。
それに、その土地の氏神様にもお詣りし、ご挨拶することができて、
ほっと安堵するような心もちにもなりました。
(神社庁で教えて頂きました。)
そして、ようやく心も身体も戻ってきたような感覚です。
(もう薔薇が、こんなに綺麗に咲いているのですね!頂いた薔薇に癒されています。)
先日の夜、お茶を淹れながら、
「〇〇(娘)も、飲む?」
と言いかけて、はっと我に返る瞬間がありました。
私たちの中で、
夜、お茶を飲みながら、しばらく他愛もない話をしたりしなかったりという時が、
いつしか習慣になっていたことに気が付きました。
習慣は、あまりにも当たり前で自然で、
こうして状況が変わっても何気ない瞬間にふと出てきて、
「あ、もうここにはいないんだ。」
と気づかされます。
その瞬間のな~んともいえない感じ...
とても新鮮な感覚でした。
これが寂しいという感覚なのかな...
だとしたら、なんて愛しい感覚なのだろう...
全ては幻のようで、そこに確かに在ったもの、重ねてきたもの。
そんな幻影に、こんな実感が湧いてくるんだなって。
きっと、この感覚もまたどんどん薄れていくだろうからと
何度も反芻しながら過ごしていましたが、
やはりどんどん気持ちは変化してきています。
大きな節目を超えたというか、
大きく一歩踏み跨いだような今を味わっています。
(晴れの日の海辺も美しいけれど、雨模様の日の海辺もほっと心落ち着きます。)
4月後半は、日々春の海の空気感に触れながら、
ゆっくりと滋養を頂き、少しずつほぐれてきました。
そして、セッションでのひとときが
私に無心を与えてくださり、真に触れ続ける流れへと
いざなってくれます。
この時をシェアしてくださっている皆さまに
本当に感謝しています。
(彩雲の後に、ぐんぐん雲が伸び広がって...)
皆さまにとって、大切な気づきの一助になれますように。
私もどこまでもありのままに生きることに
ベクトルを向け続けますね。