春爛漫。

 

美しさが、あらゆる形でその一瞬一瞬に刻まれていることが、ことさら伝わってくるようなとき….

どのときも美しく、愛おしさを感じる今日この頃です。

 

皆さまはいかがお過ごしですか?

 

 

 

 

桜咲くときのお詣りは、心華やぎます。

この日は3月末日でしたが、娘と感謝詣りに。

 

この土地で、これまで22年間育んでくださった御礼と

娘は4月から、新しい地で新たな体験を重ねていくことをお伝えいたしました。

 

優しい風が私たちの祈りの間を吹き抜け、

ほっと肩の力が抜ける気持ちに...

 

 

 

 

お彼岸前には、お宮詣りや七五三詣りをさせて頂いた護国神社やお墓参りにも。

 

 

 

 

31日の夜は、愛犬と夜桜を見に。

散歩は娘の日課でしたから、これからは私にバトンタッチです。

 

 

 

 

3月は、春の兆しのように

目にはっきりと見えるような変化がそこここに立ち現れてきて

それをただただ見たり感じたりする中で

あっという間に過ぎていきました。

 

 

 

 

子育てというよりも子育ちというのか、

周りに、世界に、そして目に見えない様々に育てられ、

私も一緒に成長の機会を与えられてきました。

なので、子育てと名のつくものが大きく終わりを迎えても、

特に何かが変わるものではないと思っていましたが、

実際には、とても大きく何かが変わっていくのだということを

今、体感しているような気がしています。

 

悲しみはなく、むしろ彼女のこれからに

ワクワクや光がいっぱいに感じられ、それは喜びです。

だけれど同時に、身体の皮膚というのか

薄皮が一枚、全身から剝ぎ取られていくような不思議な体感を味わっています。

 

今まで、この薄皮一枚をずっとかぶっていたんだな。

その皮が自然に剥がれ落ちていくような...

今、書きながら、「責任感」という感覚がやって来ました。

無意識ではあったけれど

命を見守っていかなくてはという

どこか常に結界を張るような気の張りというのでしょうか...

その張りは薄皮一枚だけれど、実感するとずしりと重たいもので驚きました。

そして、また一つ手を放したのだなと思いました。

娘もさらに身軽になるでしょう。

 

この薄皮一枚の下から、どんな等身大の私が顕れるのか...

と思っていたら早速、さらに手放していくものが見え隠れし始めています。

 

 

 

 

 

どこまでもどこまでも、気づきの波は留まることがなく。

どう感じようとそれはただただ立ち現れてを繰り返しながら、

人生は脈々と続いていきます。

 

起こってくることをただそのままに感じ

思考の喧噪の奥にあるものをただ静かに観るとき

ふと、真に触れる瞬間があります。

そういうとき、それは時間軸を超え、

一瞬でありながらも永遠のものである(になる)ことに、肚から納得します。

 

気づきは、そんな一片一片がたぐられていくような、

ずっとあったのに見えていなかったものが

一度見えると、それからはずっと見え続けていくような、そんな安堵をもたらしてもくれるのですね。

 

 

 

 

 

3月もまた、次元を無限に超えていくような

神秘的で、奇跡のような癒しに満ち、同時にどこまでも地に足が着いていくようなひとときをシェアしてくださって、本当にありがとうございました。

 

4月もどうぞよろしくお願いいたします(^-^)