暦の上では秋なのですね。

確かに、ほんの少しだけど風が変わってきたかな。

秋の空気が微かに入り込んできている気配を感じるときも...。

 

 

 

 

この夏は、沢山の瞑想や内観の時間を味わい、

またセッションでのシェアリングのひとときのパワーも相まって

私にとって、多くの新しい気づきや新しい境地を感じる

印象深い夏になりました。

 

私にとって、夏はこれまでなんとかやり過ごしていく季節でしたが、

夏でもどうあっても、本当に大切なことは粛々と為されていることに

気が付いていく時でもありました。

同時に、そういう境地に立ってみると、

実はこれまでの人生の中で、

夏は私にとって最高にエキサイティングでドラマティックで、

ちっともやり過ごすように過ごしていたのではなかったことにも気が付きました。

何なら、夏は一年の中でもハイライトのように、

私の人生の一コマ一コマを陰にも陽にも深く表現している

その時々でもあったのです。

 

そう気が付いて、思い浮かんでくる夏の様々を味わっていると

これまで私が過ごしてきた夏に

新しい息吹が宿ったように感じられてきて

不思議なパワーが肚の底から湧いてくるような気がしました。

変な話ですが、そう気が付いた瞬間には

まるで皮膚からシューシューと音を立てて何かが出ているように感じられ

驚くほどでした。

 

 

 

 

 

時間感覚が変わりました。

 

これまで飛ぶように速く感じられていた時間が、

とてもゆっくりと、どこかスローモーションのように感じられることに

気が付く瞬間がとても増えています。

それがどういうことなのかは分からないけれど、

そう気が付く度に、

(時間を気にしないで)ゆったりと今ここを味わっていいんだと

ホッと安堵するような心もちになったり、

どこまでもこの今を味わえるという豊潤さに喜びを感じます。

 

自分の内がゆるやかで穏やかであることは

私にとって平和そのものです。

片目を瞑ってぼんやりと全体を見やるような平和には

正直なところ、あまり触手が動きませんが、

観えてくるものを観て、観切った中から顕れる安寧には、

自然に身を委ねることができます。

 

そのうち、

片目も両目も瞑って、あらゆるものを包括しながらも

平和の中に揺蕩えるような人になるのでしょうか。

いずれ、そんな境地に至っていることを

さらりと書けるときがくるかは、自分自身へのお楽しみです。

 

 

 

 

 

どの時も美しく、心深く惹かれます。