ゲシュタルト療法というセラピーを初めて体感したときに

「これだ!」という喜びが湧いてきたことをはっきりと覚えています。

理屈を超えて、心だったり身体だったりするものが求めている感覚に

ピタリとはまり続けるのを感じたのです。

 

カウンセリングやセラピーには数限りない療法がありますが

自分に合うものが見つかると

それが人生をも根底から変容させていくような

不思議な流れに導かれることがあることを思います(^-^)

 

 

(メダカのたまごがいっぱい。命の源泉を感じます。)

 

 

どんなこともどんな体感も注釈なく

ただそのまま感じ切っていくことは

言葉にならない「受容」そのものだということを感じます。

受容でありながら、まるで客観的ではなく、

どこかたえず主体なんですよね。

 

また感じ切っていくということは

ただただ露わにしていくことではなく

「真」にコミットし続けること。

本当の思い、本当の気持ち、本当の感情...

それらが、心と身体と魂とどこか三位一体の中で、顕れてくる過程なのです。

と同時に、それはただの過程ではなく

どの瞬間も、やはり「真」なのだなと感じさせられます。

 

大きな変容という過程を経ながらも、

実は何も変わっていないような

どこか本来の自分に還っているような

あるとき、ずっと知っていた感覚にストンと着地していることに

気づいたりするとき、

何かが腑に落ちているんですね。

そこには安心が拡がります。

その安心の領域で自然に感じられてくるものが

本来の自分自身なのですね。

 

その自分を、実はすでに知っているんですよね。

だからどこか思い出すような

還って来たような感覚を味わうのかもしれません。

 

このような壮大な旅路を味わうこともまた

魂の喜びの顕れなのですね。

そして、こうして私自身がしっくり合うと感じるものを通して

繋がらせて頂けることも、深い深い喜びです。

 

ありがとうございます。