今朝は、朝一で娘を空港へ。
三次面接まではオンライン面接なのだそうですが、
6月になり、最終の対面面接が始まっているようです。
 
 
 
 
大学1回生の冬にコロナの影響で授業は一斉にオンラインになり、
ようやく構内で授業を受けられるようになってきた頃には、
4回生で、就活や卒論の時期です。
憧れていた留学も叶わず、留学どころか旅行も遊びも極端に制限され、
2回生も3回生も自宅で過ごすことが多かった学生生活でした。
 
客観的には、なんだかかわいそうな気もするけれど、
それでも日々彼女を見ていると、こういう時代拝見だったからこそ養われたものや、こういう時代背景でも左右されることのなかった大事なものなど、
成長の随所に感じられてくるような数年間だったことを思います。
 
コロナは、決して何かを奪ったのではないのですね。
コロナにしても、何にしても、どんな脅威も真の意味で
人から何かを奪うことはできないのだと実感します。
 
 
 
(今年の薔薇も、とても綺麗でした(^-^))
 
 
当たり前ですが
娘の人生と私の人生はまるで違うし
着眼点も感じ方も全然違います。
子育てというよりも、その違いが興味深く、
何かにつけ「え??そうくる??」っと思わされる驚きが面白くて、
ただただ人間ウォッチング(これまた私が大好きな分野...笑)をさせてもらっているうちに成人していた感じです。
私も大概「変」ですが、娘はまたちょっと違う「変」で、
不思議娘すぎて、観察しがいがありましたね^^;
 
これまた当たり前ですが
どういう仕事をしていきたいのか
どんな人生を創造していきたいのかも
彼女の自由選択...
どんなことを選択していくのか、やはり観察しがいがあります(^-^)
 
 
 
 
すっかり、等身大の関係になりました。
この今を生きる同志として。
でももしかしたら、小さい頃からずっと
お互いに等身大の同志だったのかもしれません。
 
かけがえのない時の流れの中で
一瞬一瞬を刻むように生きていることを
時折こうして、深く感じることがあります。
生きる喜びですね...