6月の最初の日。

今日は、かねてから予定していた母の里への墓参りに向かいました。

 

 

 

 

向かうは、惣川。

西予市野村町の山の中の中の中...です^^;

とりあえず、「土居家」へ向かって、車を走らせました。

 

 

 

 

ここは、お宿やカフェにもなっていて、

今日も営業されていました。

でも、今日は近くの親戚さんのおうちに呼んで頂き、

沢山のおもてなしを受けて...

あぁ、惣川だ...って、懐かしく

そして、とても嬉しい気持ちになりました(^-^)

こちらでもお墓参りをさせて頂きました。

 

ここまでは割とすんなりと来れたのですが!

ここからは何度も道が分からなくなり、途中でUターンしたり

道端の石をのけながらそろりそろりと進まないといけない道になっていったりと

緊張感が走るときも!

 

不思議だけれど、さっき通った道だと確信するような一本道を

ゆっくり走っているはずなのに、

いつの間にか、まるで違うところへ出ていたりすることが続いて。

 

それでも、ようやく見覚えある母の生家に続く道を見つけました!

広い広い山の中で、この地点だけは、はっきり分かるんですよね。

細胞は記憶しているんですね...

 

 

 

 

こーんな感じです^^;

この道はさすがに車で上がれず、

路肩に車を停めて、徒歩で上がりました。

 

坂を上がりきると、懐かしい光景が広がっていました。

もう誰も住んでいないけれど、

私が子どもの頃は、盆正月にはものすごい数の人が集まって

朝まで宴が続いていて、誰が誰なのか分からない状態でした。

(母親は8人兄弟の末子です。)

大人同士でも、翌日「それであの人、どこの人やったん?」

なんて話していたりすることもしょっちゅうで^^;

 

猟犬が3匹、牛が8頭、鶏が多数飼われていて、

私たちが行くと、おじさん(母の兄)が猟から鉄砲とキジ鳥を下げて

帰ってくるところだったり、

牛を売りに行くところだったりすることも。

なんてかわいそう...なんて思っていたけれど、

そうやって、最大限のもてなしを、いつもいつもしてくれていたんだなって

今ごろになって分かります。

 

 

(新惣川橋付近)

 

 

お墓参りも無事できて、ほっと安堵しました。

今、81才の母が老いの中で、様々に逡巡している様子が伺えます。

母は、「生きる」ということの色々な側面を、いつもそのまま見せてくれているような気がします。

 

墓前で、そんな母を見守っていてほしいことをお願いしました。

故人にお願いしてはいけないのかもしれないけれど、

今、祖父母に一番伝えたいことだったり、

おそらく、祖父母にとっても、一番聞きたいことだったような気がしたからです。

どことなく、優しい空気感に包まれるような気持ちになりました。

等身大の親(祖父母の母に対する)の愛のような、

そして私自身も、小さい頃から祖父母に貰ってきたような、

どこか知っている懐かしい温かさを感じました。

 

 

(土居家の敷地内にある御神木)

 

 

無事帰宅して、母に惣川の様子を

写真を見せながら話していると、涙を流しながら懐かしんで、喜んでいました。

 

里の力は、言葉にならないものがありますね...

何かその人の活力の源というのでしょうか。

原点ですもんね...

 

近いうちに、母もまた連れて行けるようになるといいなと思っています。