日差しに、少しずつ夏の兆しが感じられるようになってきましたね。

 

海辺に住んでいるネコさんたちも、日陰でお昼寝しています。

 

 

 

 

自分軸で生きるっていうことにコミットすればするほど

矛盾するようだけれど

他力にどれほど生かされているかを実感させられるような気持ちになります。

 

自分だけでなんとかできることは限られていて

限られているというよりもむしろ

自分だけでなんとかできるものなんて存在しないのかもしれません。

 

自分軸は、そんなエネルギーの循環の要になるもので

「我」を張るようなものではないのですね。

 

仏教の中心的な教えである「我を捨てる」ということと繋がるような気がします。

張ってしまう「我」は手放していくことが大事だけれど

それは、軸を手放すこととはまるで違うのですね。

 

 

 

(春の水晶が浜)

 

 

とはいえ、自分の軸や境界が曖昧に感じられるときは

まずはそれを見出すことが大事。

自他の違いを通して、自身の快不快を知り、

快方向に舵を切っていくことは、幸せの領域を生きる大前提だと感じます。

 

その上で、他力によって生かされているという恩恵(奇跡)の中で、

我を手放していくということは

自分もまた、この領域の中で他力になることなのだと実感しています。

 

それは、今この瞬間瞬間、自身がよきと感じることを選択していくこと。

 

不思議ですが、それが他力にもなり、同時に自力でもあるのですね。

 

他力の循環が、自力を通して繋がり広がる領域には、無限性を感じます。

そんな無限大の中心点が「自分軸」そのものなのかもしれません。