「全ては愛の中のことだった」を前提に、自分史を書いています。

 

(自己満足で、半生を振り返ってつらつらと書いていますので、

ご興味ある方だけお付き合いくださいね(^-^)

初めから読んでくださる方はこちらです。→自分史(序章)

 

 

場面緘黙で、幼稚園でも泣いて過ごしていたことが多い私でしたが、

ある時、心を鷲掴みされるようなものに出逢います。

それが、幼稚園に併設されていたオルガン教室でした。

毎週月曜日には、幼稚園が終わった後に

希望者はオルガン教室に通えるのです。

私は、習いたくて習いたくてたまりませんでしたが、

親は一筋縄には習わせてはくれませんでした。

 

おそらく、当時の経済状態では

私に習い事をさせるような余裕はどこにもなかったのだと思います。

私は、毎週月曜日の帰りの時間になると

一目散にオルガン教室のある2階の教室に駆け上がり

次々と友達が教室に入って行くのを、

窓の外から羨ましい気持ちで眺めていました。

帰りたくなくて、ただでさえ泣いてばかりいた幼稚園で

また泣きながら家に帰っていたのです。

 

2か月程経った頃、

見かねた当時の担任の先生が、わざわざ自宅に出向いてくださり、

母親に相談してくれました。

日頃おとなしい(場面緘黙の)私が、ここまで主張するのだから

これはよほど大事なことなのではないか。

こんなお願いをするのは不躾だとは思うけれど、

よかったら習わせてあげてほしいと、母親に話してくれたそうなのです。

(その話は、ずいぶん経って母親から聞くことになりました。

担任の先生は、卒園後も交流してくださり、

私が成人するまでに何度もお会いしてくださった、亡き恩師です。)

 

そういう経緯を経て

私は2か月遅れで、夢と憧れの詰まったオルガン教室に

はれて通えることになりました!

 

入ったものの、最初のワクワクはあっという間に

緊張感に変わりました。

他のみんなは、ずいぶん先に進んでいます。

両手で何か弾いてる...

かたや私は、ドが鍵盤のどこなのか何なのかも分からない。

楽譜だって、何を書いているのかさっぱり分からない。

 

当時、沢山のオルガンが置かれた教室で、

一斉に教えてもらうスタイルだったので

まるで何も分からない4才の私には

どうしていいのか分からず戸惑うばかりでした。

泣き虫の私は、すぐに涙が流れました。

それでも、この時の涙は他の時に流れる涙とは、少し違っていました。

怖さや諦めの涙ではなく

分かりたい、できるようになりたいという気持ちが先走って流れる涙でした。

先生は、机間巡視のように、何度か順番に回ってきてくれます。

泣いている私の背中をさすり、

「大丈夫、すぐに出来るようになるからね。」と

優しく声をかけてくれました。

 

不思議ですね...

先生の言う通りでした。

好きなことは、あっという間に吸収できるのです。

そして、場面緘黙の症状があるにもかかわらず、先生が回って来てくれるのを

心待ちにし、その時には一言も聞き漏らすまいという気持ちで集中し、

次に回ってきてくれるまでの間に、夢中でそれを練習しました。

 

家に帰ったら、本の後ろに書いてある鍵盤の絵に手を置き、

運指をするのが楽しくて楽しくて。

頭の中で、指の動きと一緒に音が流れるのが嬉しくて、

そうしていると、あっという間に時間が経ちました。

 

一年が経った頃、いつも頭の中で音を鳴らして指を動かしていた私の元に

オルガンがやって来ました。

おそらく、両親が無理して買ってくれたのでしょう。

私はますますオルガンに夢中になりました。

 

そんな私を見て、母親は一つの希望を私に託すようになります。

 

もうすぐ卒園というある時、母が真剣な顔で私に話しかけてきました。

私は、また怒られると身構えましたが、この時はいつもと違っていました。

 

「オルガンがそんなに好きなら、幼稚園を卒園したら

ピアノを習っていいよ。(当時小学生になると、オルガン教室の先生の自宅に

ピアノを習いに行くという選択肢があったのです。)

そのかわり、絶対にやめたらいかんよ。

どれだけお金がかかるか...。

一度かけたお金は取り戻せんのやからね。

ちゃんと役立てて、返してよ。

それが約束できるのなら、ピアノを習わせてあげる。」

 

私は、ピアノが習える!しかも先生のおうちでピアノがさわれる!と

まるで天にも昇るような気持ちになりました。

しかし、同時に...

見たことのないような母の真剣さに

一度歩み始めたら引き返せない「契約の道」が、目の前に見えるような気持ちになりました。

その道を行くのか、行かないのか...

今のこの返事で、大きく人生が変わるかもしれないという不思議な感覚を覚えたのです。

 

あの時の、外の陽気や喧噪は、今でもはっきり蘇るような記憶があります。

「習いたい!」と行った瞬間、

背中に何かがずしりと覆いかぶさったような感覚になりました。

その背中の感覚は、その時からずいぶん長い間、人生の歩みを共にしていくことになるのです。

 

 

自分史⑥に続きます。