玄関先のジャスミンが咲き始め

いい香りが漂うようになりました。

 

毎年咲いてくる花を見ると

その時期独特の空気感の到来を感じ

懐かしい気持ちと新鮮な気持ちの両方を

同時に味わえるような気持ちになりますね(^-^)

 

 

 

 

私の周りには

自身の内を感じることが習慣化されている方が多く

常に自身がどういう状態に在るのか...

安心安寧を感じられているか...

そういうところを感じることが呼吸と同じくらいごく自然で、

そこからぶれない方が多くいらっしゃいます。

 

そういう方々に共通することは、

違和感を感じられたときの対処が、とても速いんですね。

そして、とても速いんだけれど

それはリアルタイムでピタリと合っている。

このタイミングなのだなと感じられることが、しばしばです。

 

違和感などというものは、誰しも大なり小なり感じることはあるだろうし、

違和感を感じることは不快だったり、怖かったりすることも

誰しも共通することだと思います。

 

決して、内観を習慣化している方は

いつも恒常的な安心安寧の中に居続けているわけではないと思いますし、

それに、違和感が好きだったり、怖くなかったりするわけではないのです。

 

ただ、感じていることを感じていないことにしない...

 

怖くても、どうあっても、それらもそのまま感じながら、

そのうえで、他力も借りながら感じ切っていかれます。

そして、そういう方は、他者にとっての他力にも

自然になっていらっしゃるんですよね。

 

人生において、どんな風に何を選択して生きていくかは

言うまでもないけれど、人の数だけそのオリジナリティがあることを思います。

ただ、その唯一無二のかけがえのない人生の中で

自分だけがキャッチし得る感覚が

その時々の大切なサインであるのは、皆に共通することなのかなと感じています。

 

そのサインをキャッチし、その声に耳を傾けていくことは、

変容であり、癒しであり、成長そのものでもあり、魂の望みでもあるのかもしれないですね。