ブログや自分史を読んでくださり、様々にフィードバックを頂き

ありがとうございます(^-^)

 

自分史では、まだまだこれから長く、不安や怖れや溜め込まれた思いや感情と共に過ごす日々が続きますが、

そんな私が今は、おおむね日々健康で、不安もさほど感じないで過ごしています。

過去の私が今の自分を見ると、驚くと思います。

その頃の私は、自分が不安や不快な症状から解放される状態など、想像もつかなかったからです。

いつもどこか辛くて、いつもどこか病んでいたんですよね。

辛さや病みが少し和らぐと、次にいつ悪くなるのかと怖くなる...。

そんな日々を送っていたのです。

 

 

 

 

今に至る様々を振り返って、人生において大切だなと思うことは

自分がそれまでに体験してきたこと、とりわけ未昇華になっていることに

心眼を向け、心の声を聴き、丁寧に掬い取ること。

これは、どの方にとっても当てはまることかなと感じています。

なぜなら、人生は唯一無二で、ギフトそのものだからです。

 

人生の中で、無きことや思い残しになっていることが多ければ(過去の私のように)

どんなに幸せに目を向けようとしても

そんな自分は、虚像にしか感じられなかったりします。

どんな体験もどんな思いも、他ならない自分自身そのものなのですね。

そして、それらに焦点が当てられ、昇華統合していくことで、

自分という存在は、虚像でありながらもどこか実像として

「この私」という感覚が湧いてくるようになるのです。

そして、その感覚こそ安心に繋がるもので

実は、本当に望んでいるものだったりするのですね。

 

 

 

 

そしてもう一つ、大切だなと思うことは「瞑想」です。

一日の中で、継続的に、自分自身の内に分け入り、

そこに深く留まるようなひとときをもつことは

豊かさ以外のなにものでもないことを感じます。

あらゆることは、理屈を超え、在るように調っていきます。

身体の声、心の声、魂の声、高次の声...

色々な声に気が付くと同時に調律されていくのです。

 

身体や心が調い、魂の望みと同調すると、感情や思いは豊かなセンサーとして

人生に喜びや安寧をもたらします。

また危険や不快を正しく判断し(こういう時に、正しさが大事なのですね)

よきはからいの方へ自然にイシキが向き、実際に「よき」になっていきます。

 

声(気づき)は音であり、ヒーリングそのもの...

だから、「気づくことで癒される」「気づくだけでいい」とも言われるのですね。

 

自分の人生の様々を昇華していくこと、

そして、瞑想を通して調律を味わいながら生きることは

日々の暮らしを穏やかに

ささやかな幸せに深く感じ入り

感謝と共に生きていくことと同じ領域に在ることを思います。

そして、昇華も瞑想も

この領域では努力ではなく、喜びなのですね。

 

おそらくこのブログは、そのような領域にいらっしゃる方がここまで読んでくださり、セッションに来てくださっていることを感じています。

ありがとうございます。

繋がってくださり、心から感謝しています(^-^)