セッションという場は

日常の中で内側にぎゅっと押し込まれている様々なエネルギーを

一度最大限に出し広げてみる時間空間です。

そういう過程の中で感じられてくることが、自然に気づきになってくる場だと感じています。

そういう気づきには、深い納得がついてくるんですよね。

思考で何度も言い聞かせるのとはまた違って、

この自然な気づきは、命をどう生きるかに繋がる大切なものだと実感しています。

 

 

(水晶が浜)

 

 

私は調律という言葉が好きですが、

セッションでしていることは、この調律のようなものだなといつも感じています。

 

例えば楽器の調律をするとき、まずいったんぐっと緩める(音を下げる)んですよね。

そしてちょうどよいところを感覚で捉えながらも

さらにそこを一旦越えて、あえて締めて(音を上げて)いくのです。

調律では、下げて、上げてという行程を何度か繰り返して、「ここ」という高さに自然に合ってくるまで続けるし、気になる時にそのタイミングですぐにするんですね。

 

プロは、自分の感覚で「ここ」という位置は分かっているけれど

だからといって調律しなくても瞬時にその位置を当てるとか

ずっとその高さをキープするとか

そういうことが大事なのではなく、

先に書いたよう行程を要所要所で丁寧に行うことが

美しい音楽(波動)を奏でる上で、当たり前のように自然なことで

大切なことなのが伝わります。

 

 

 

 
 
改めて、幅(流れ)の中で
ピタリと合う「ここ」が浮き出してくるような行程の大切さを感じます。

そして、それが美しい演奏や協奏には不可欠なんですよね。

 

同様に

生もまた、そこここに宿る美や繋がりの共鳴美を感じながら生きるのに

調律は不可欠であることを思います。

 

自分だから分かる感覚があり

また矛盾するようだけれど、自分だから分からない感覚もあり、

だからこそ、

自分が自分のエネルギーや波動における

調律のプロであることを自覚することが大切なのでしょうね。

 

「美」(愛や喜びや豊かさ)を生きることと「調律」は、いつだって共にあるのですね。