夫と夫の友達と飲んできて

健康的なおつまみを食べたのに

帰りにポテトチップスとドリトス

を買ってきて食べちゃった

あーあ


最近、いっぱい食べても太らない

肉体労働のおかけだ

でも食べ物って、太る太らない

だけの話じゃないからね、

健康に気を付けないとなあ




山本淳子 著

紫式部ひとり語り

という本を読み終わった。


ああ好き

平安時代好き


住んでみたいくらいだが、

タイムスリップしたって

どうせ私は農民だろう。

今生きてても、ハリウッド女優じゃないのと

同じように。


私は中宮定子が好きだった

枕草子の世界観が。


でも中宮彰子もすごく偉大な人物なのだと

知った。

この山本淳子という人は

本当に平安時代が好きなのだな


今年の大河ドラマは紫式部が主人公で

私にしては珍しく、光る君へは欠かさず

観ている。


ああ!!

あの、五節の舞姫のシーン!!

もう一度見たい!!

衣装のみならず、読経のような舞の歌

謡?違う?

なんていうの?

私、雅楽とかああいうの

本当に好き!!

本能に迫る感じ

私の何かに訴える。


どうして?

あそこに戻れないのはどうして?

私は、だって私は

と、

いつもそう思う。

ときめきと懐かしさ。掴めないなにか。


陪臚(ばいろ)という雅楽があって、

アップルミュージックでも聴けるので

時々聴いている

すごく好き。

だけどね、私も現代人だから、

夜中に聴いてると

時々ちょっと怖いの。

おーばーけぇーーー

みたいな感じがする


なにが、懐かしくて戻れない何か

だよ?ww

全然平安時代に染まれてないじゃん




光る君へは、

なんだか恋愛ドラマになっちゃってる

気がしなくもないけど、

そうかといって

私がわかるのは平安時代の文学のみだから

(それも、わかるという程はわかってない)

平安時代の政治について

全く理解してなかったのだと

今更ながら思い当たった。


そしてこの本を読んで

少ぅし理解した。

紫式部は政治に関わった

と言えるんだろう、間接的に。


作者が紫式部になりきって

創作秘話のように解説してゆく

ちゃんと史実に基づいてね。

紫式部日記とか栄花物語とか

もちろん源氏物語とかを鑑みて。


弟、藤原惟規の亡くなる場面も

心にグッときた。

父、藤原為時について任地に赴くんだけど

赴任地で病に倒れてしまう。


もういよいよという時、

僧侶が説法みたいにあの世について  

諭すんだけど

あの世に行く前の所中有(だっけ?)は

誰もいない野原だと教える。


そこで惟規は問う。

そこにも草むらに佇む虫たちはいますか?

紫式部の一人語りだから

それを説明する時に

いかにも間が抜けた質問

と書いてある。

僧侶は怒って帰ってしまった。


でも私にはわかるのだ、

弟のことだからそこで和歌を読んで

心の慰めにしたいと本当にそう思って

尋ねたのだろう

と書いてある。


そうして惟規は辞世の句を記して

死んでしまう。

それは、もう一度元気になって

都に戻りたい

という内容だった。

しかも最後の一文字が書けず

力尽きてしまった。

その紙を、父為時はボロボロになるまで

形見として大切にしていた。


人は有名でも無名でも

活躍しようがしまいが

人からの評価がどうであろうが

みんな、思いを持って現実を生きている。

そうして死んでゆく。

この本はそれがテーマだった。


紫式部の、というより

おそらく山本淳子から見た

人の世なんだろう


たった一度しかない人生、

とかよく言うけど

本当にそうだよね

どう生きようと一度しかない。


宿世がどうのこうの

といったって

平安時代の貴族だって

前世の記憶を持って生まれ変わることが

出来ないという理念は持っていただろう


どう生きるか

といっても、人生は巡り合わせだもんね

一人では完成しない。


なるようにしかならない

という言葉、

私は嫌いだ。

それは、真実だからだ。

そしてそこに文学がないからだ。


文学と絵と美容は似ている。

アクセサリーも。


わたしにとってアクセサリー

という言葉は、添え物という意味ではない

宝物という意味だ。

パワーという意味だ。


当時の食うや食わずの民に

文学は重要ではなかっただろう

娯楽はあったかもしれないけど

催馬楽(さいばら)とかね。


なんだか、まとまらない。

でも私は食べても太らない程の

肉体労働の中で

そんな事をツラツラ考える。