井上荒野という人は、繊細な人だ。
あ、そりゃあ、
繊細じゃなくて、人の心の動きに
鈍感な作家なんて、
作家として成り立たないから
そんなのはいないと思うが、
例えば
【私はこう思ってこう言った】
【相手は気付いていないようだった】
という展開に持ってゆく作家って
いるじゃない?
そういう作家は、登場人物を
【良い者】と【悪い者】
に分けて描く気がする

でも、井上荒野は
【私はこう思ってこう言った】

【相手は気付いていたのかもしれない、もしかしたら、去年のあの時も気付いていて、知らないふりをしたが故に、わざとああ言ったのかもしれない】

っていう話のもっていき方をする。

だったら、
わかってるなら、
意思の疎通も難なく出来そうだし
齟齬も、きたさないだろうし
何もかも上手く行きそうだけど、
そうならないのが、井上荒野の物語
なんだよな。

世の中に
【良い人】と【悪い人】の区別
なんてないんだよ

それぞれの事情で、敵になったり
味方になったりという事が
生じちゃうんだよ
というのが描かれている。


この小説、
【ママがやった】は、
母親が父親を殺したという連絡が入るところから、物語が始まる。
だけどこれ、ミステリーでもなければ
サスペンスでもない。
その死体をどうするか?という事が、
事細かく描かれてゆくわけでもないし
はたまた、罪を償う話とかでもない。

殺した本人はあっけらかんとしている
じゃあコメディタッチのドタバタ劇なの?
ううん、それも違う。

母親、息子、娘二人、その子供、父親の愛人
それぞれの過去の事情と心情が
語られてゆく。
かといって、それが直接
この殺人に結び付いたわけでもない
母親だけは、
耐え抜いた澱が、ある事がきっかけで
爆発したんだけど、
理由を説明してるんでもない。

みんながみんな、
自分の事情で生きてるんですよ
それぞれが一生懸命なんですよ
だけど、
片方から見たら、片方は悪人で
また違う人から見たら
また違う見方ができるんですよ、
世の中ってそうでしょう?
だってみんな、そうでしょう?
という事が書かれている。

それが、この小説の
言いたい事なのだと思う。


はっきり言って、筋はいい加減。
いや、それは言い過ぎか。
筋は、
ストーリーは、曖昧。
だけど、みんなの心情は緻密に描かれている



私は小説に求めるのは
いつも心理だ。

ストーリーはどうでもいい。
映画とかドラマとかで、
ストーリーばっかり充実していて、
心情や心理はいい加減、という話
がよくあるが、
それは好みじゃない。
つまりそれが、
私がテレビが好きじゃない理由なんだけどね

その点において、私好みなんだけど、
好き嫌いはあるだろうな、この小説。